第四章
1.女神の苦言
目が覚めた、という感覚はなかった。気付けばそこにいたという表現が正しい。
銀色の光で作られた部屋に、リアンはナイトドレスを身にまとった姿で立っていた。前に来た時は処刑用の正装をしていたことから考えて、服装は常にその時着衣しているものになるらしい。別にリアンとしては服装などはどうでも良いことだった。裸だったとしても、特に困りはしない。女神相手に恥じらう方が愚かというものだった。
「久しぶりですね、女神様」
「……どういうつもりですか。リアン・エトリカ・シンクロスト」
女神アーシャルが槍を床に叩きつけながら憤った声を出す。美しい顔には怒りが滲んでいる。
「どういうつもりとは?」
「お前が今やっている全てのことです!」
「アルケイルを立派な王にしているだけですが」
「お前が周りを操っているだけでしょう」
その指摘に、リアンは首を傾げた。
「それが何か」
「何か、ではありません。あれでは王を騙しているも当然ではありませんか」
「えぇ、騙して脅して誘導していますが、何か文句がありますか」
「も、文句って……」
まるで自分が苦情を入れているかのようにあしらわれ、女神が頬を引きつらせる。
「こんなのは誠実ではありません。お前がしていることは、自分に都合よく王を操っているだけ。前の人生における宰相と何が違うのですか」
「違いませんが」
あっさりと認めたリアンに、女神が肩透かしをくらったように言葉を失う。意味もなく口を上下する様を見ながら、リアンは髪をかき上げた。
「もしかして私が献身的に国王に仕え、その政道を正しい方向に導き、王の持つ才能を引き出すとでも思ったのですか。残念ながら私は聖人聖女の類ではありませんし、女神様の期待に沿うために生きているわけでもありません」
「お前がそういう人間だと王が知ったらどう思うでしょうね」
「アルケイルは私がこういう人間だと知っています」
何を今更、とリアンは呆れたように言った。
「私が善人だと思っていたのなら、それは女神様の傲慢です」
「善人とは思っていません。しかし、お前は神によって二度目の人生を繰り返すことになった。そこで行うことは誠実であるべきではないのですか」
「なるほど」
女神の言葉を聞いたリアンは、額に手を置いてからたっぷり数拍分の溜息をついた。
本来ならば、という表現はおかしいが、神の前で次に紡がれる言葉は謝罪かそれに準じるものであるべきだった。だが、リアンにそのような考え方はない。
「女神様は少しは知力を付けた方がいい」
「はぁ?」
「折角、神という高い座におられるのに、そのような短絡的かつ傲慢な考え方しか出来ないなら無駄というものでしょう。神は神になるべく生まれたのかもしれませんが、努力は必要です。知力が足らぬのなら、それを補っていただきたい」
「無礼な! 私は神ですよ!」
「知っています。私は人並みの知能はありますから、何度も繰り返さなくてよろしい。神に生まれたというだけでふんぞり返っているなら、貴女こそ前の人生のアルケイルと何が違うと言うのか」
リアンは一歩踏み出して、女神との距離を詰める。一瞬だけ、女神が顔を少し後ろに退くような仕草を見せた。
「誠実を誰が決めるのです。それは要するに「女神の気に入る方法」を取れというだけでしょう。まさかこの私に、女神のご機嫌を取れと言うのですか」
「な、何故お前はいつもそんなに偉そうなのですか」
「私は自分を偉いと思ったことなどありません。神の前では人間など無力。私の態度を不服と思うのなら、やはり女神様は私に機嫌を取っていただきたいのでしょう。神ともあろう方が矮小すぎはしませんか?」
「待ってください。また何か騙されている気がします。お前の論法には悪意が満ちていて……」
「人が話している時に何をブツブツ言っているのですか、女神様。神ならば泰然と構えていてください」
全く、とリアンは聞き分けのない子供に対するように首を左右に振る。
「続けてよろしいですか?」
「え、えぇ」
「どうやら女神様は、私の手法が気に入らない様子。しかし、私はこの手法が気に入っていますから、ご意見は結構」
遠回しに黙っていろと言われたばかりの女神は、何か言いたそうにしながらも口を閉ざしている。
「アルケイルが即位する前から、宰相によって国政のバランスは安寧を失っていました。それを地道に立て直す暇も、技術も私にはありません。そしてアルケイルにしても、元々甘え根性が抜けない男でした。悠長にしていたら、宰相殿が周りの貴族たちを抱き込み、王を傀儡にして、前の人生と大差ない終わりを迎えるだけです。それがよろしいと?」
「そうは言っていませんが、宰相の傀儡だったのがお前の傀儡になっただけでは」
「だから何ですか。王のために国があるわけではない。国のために王がいるんです。それに同じ傀儡ならば、人から愛される傀儡が良いでしょう」
リアンは口元に笑みを浮かべた。
銀色の光がところどころで瞬く。黙り込んでいる女神の代わりに何かを伝えようとして、しかし悉く失敗している。そんな風にも見えた。
「それに勘違いをしていただきたくないのは、私はアルケイルを操っているかもしれませんが、彼の名誉や人格を損なう真似はしていません。自主性に欠けるアルケイルに自信を持たせているだけ。あれでも父王の偉大さに気圧されているだけで、素質は悪くないのです。それを良くないと言うのであれば、この世から善意は消えてなくなるでしょう」
「お前のは善意ではないではないですか!」
女神が声を振り絞った。リアンが反論する前に、急いで言葉が続けられる。王家に崇められているアーシャル神は、最近やっとリアンという人間を理解し始めていた。この人間は何も恐れないし躊躇わない。だからこそ喋らせてはならないと。
「お前はその立派な国王を処刑したいと言ったはずです。そこに何の善意があるのです」
「善悪で物事を判別することこそ罪では。その判別をする己が善であると言えるのですか」
「神の判断に誤りはありません」
「だったらあんなダメな国王を作らないでいただきたい。どれだけ私が苦労したと思っているんだ。「罪人」の首を毎日十人はねていたせいで腕は痛くなるし、罪状をいちいち述べないといけないから喉も枯れて大変だったというのに」
「それは人間たちの都合でしょう。そこまで神にゆだねるのは甘えというものです」
「では私の行動をいちいち善悪で判断しないでいただきたい。都合のいいところだけ神が口を出すことこそ、まさに人間への甘えでしょう」
屁理屈を屁理屈でこね回すかの如きリアンの抗弁に、ついに女神は諦めた。少しは理解したと考えた己の浅慮を嘆く。そもそもリアンは女神に対して敬意も畏怖も持っていない。そんな人間を、諭して反省させようとしても無駄な努力でしかない。
しかし、アーシャルにも神としての誇りはあった。屁理屈だらけの人間に対して白旗を揚げて引き上げるわけにはいかない。そんな気持ちから、女神は持っていた槍を再び地面に叩きつけた。銀色の光がそこに集約したと思うと、今度は一気に四方に散る。その細かい粒子の向こうでリアンは腕組みをして立っていた。
「お前の思い通りになると思ったら大間違いです。お前のやったことが、前の人生で起こるはずだったことを全て歪めてしまった。上手くやったつもりかもしれませんが、それこそ傲慢というものです」
「大した捨て台詞だな。そういうのは手洗いで小声で言うぐらいが最適なのに」
「黙りなさい。お前が望まない結末になった時、後悔しても遅いのですよ」
「結末?」
光の向こう側で、リアンの表情が変化した。それはアーシャルが期待したような不安を帯びたものでもなければ、恐怖を感じているものでもなく、その辺の朽ちた死骸でも見ているような冷たいものだった。
「この世に結末などあるものか。私が欲しいのは結果だけだ」
これ以上は、もはや女神には耐えきれなかった。槍を持ち直し、穂先を下へと向ける。そして力の限り足元へと叩きつけた。鋭い刃が地面を裂き、そしてそこから眩いばかりの銀色の光があふれだす。それは光を含みすぎて、やがて白い奔流となり、アーシャルとリアンを染め上げるかのように飲み込んでいく。
リアンはその光を弄ぶように腕を動かしながら、殆ど見えなくなった女神に対して微笑みを向けた。
「ごきげんよう、女神様。お忙しいでしょうから、二度と私の前に顔を出すな」
最後の一瞬まで憎まれ口を忘れないリアンに対し、女神の返答は無かった。
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