7.嘘つきたちの終幕
リアンは少しの間、座り込んだバルトロスの後頭部を眺めていたが、そのうち、見るべきものがこれ以上ないことに気付くと顔を上げた。
「陛下。処刑の儀式は始まってしまいました。中断するわけには参りません」
「そうなの?」
「はい。中断出来ないからこそ慎重にすべし、というのがシンクロスト家の教えでございます」
「ふぅん」
アルケイルは少し首を傾けるようにして呻いた。
「じゃあ話は簡単だ。このまま宰相の処刑に移ろう」
「御意に。……誰か、父上を呼んできてくれ」
リアンは後ろに控えていた、自分の家の使用人に告げた。だがそれをアルケイルが横から静止する。
「いや、リィにやってもらおう。それが筋だと思う」
「私ですか」
「だって、それがリィの望みだろ?」
見透かすような声と目に、リアンは口角を吊り上げた。使用人の一人がリアンに近づいて、その手の拘束を外す。重い木枠が取り外されると、久々に自由になった腕が妙に軽く思えた。その手を持て余すように動かしながら、リアンはアルケイルに問い直す。
「私の望みですか?」
「そうだよ。ここまで来て腹の探りあいはやめよう。これがリアンの作戦だったんだ。宰相の告発に素直に従ったことも、自分で喋り出したのも全て」
民衆の歓声にかき消されて、アルケイルの声は彼らには届かない。
使用人と騎士達は、動かないバルトロスの傍へと向かい、両側から腕を掴んで立たせる。全く抵抗しない体は水袋のように重そうだった。
「宰相を油断させるためだったんだろ? 自分から処刑されに行く人間がいるなんて、普通は思わないからね」
「えぇ。そして陛下を利用するため。そう言ったらお怒りになりますか?」
「どうかな。ここで怒っても無意味だと思う。リィがいなかったら僕は腑抜けの王のままだったし、こうして此処にも立っていない」
卑下するような言い方だった。リアンはそれに答えようとしたが、背後から耳馴染んだ声で呼ばれて振り返る。そこには処刑道具の一式を持ったゾーイが立っていた。
「旦那様から預かってまいりました」
「察しの良い男は好きだ。父上は何か言っていたか?」
「えぇ」
ゾーイは頷くと、喉を少し指で押さえて低い声を絞り出した。
「馬鹿娘、もう勝手にしろ。だそうです」
「お前の父上の真似は傑作だな」
笑いもせずに返したリアンは、黒い処刑人用の服を手に取るとドレスの上からそれを羽織った。細身の体に合うように作られたドレスは、重ね着された服と見事に調和する。まるでこうなることを予知していたかのようだった。
「まぁ勝手にしろというのは、父上なりの賛辞だ。受け止めておこう。父上は義兄上たちにはそんなことを言わないからな」
「全てお嬢様の予定通り。そういうことですね」
「結果としてはな。何も確証などなかった」
長い髪を束ねて縛り、服の中へと押し込む。
「お前たちが予定通りに動いてくれなければ、今頃私は首だけになっていただろう」
「動かせて満足ですか」
「動いたのはお前たちだ。私はただ祈っていただけ。柄にもなく女神様へとな」
自嘲の笑みを仮面に隠して、左右から伸びたベルトを頭の後ろに回す。更にフードを目深に被れば、先ほどまでの令嬢の姿は消え失せて、ただの処刑人がそこにいた。
「私はこれまで、全て自分だけで出来ると思っていた。だがそれは間違いだったようだ」
「リィにだって出来ないことはある。君がする刺繍は最悪だ」
茶化すような言葉を受けてリアンは肩を竦める。ドレスと衣装が擦れ合い、微かに音を出した。
「そういう次元の話ではない。人を信じるのも悪くない、ということだ」
斧を手に取ったリアンは、ゾーイからアルケイルに視線を移した。
「陛下も大変ご立派になり、嬉しい限りです」
「僕も自分で自分に驚いてるよ」
「本当は、陛下の首を刎ねたかったのですが」
「……はぁっ?」
素っ頓狂な声を出して目を見開いた顔は、幼い頃と変わっていなかった。リアンは仮面の中で少しだけ笑う。本当は声を出して笑いたい気分ではあったが、仮面に反響した自分の声というのは少々煩わしいことを知っていた。それに処刑人に笑みは似合わない。処刑人に求められるのは粛々とした執行のみである。
体を縄で拘束されて、板の上に座り込んだバルトロスの横に立つ。哀れな老人は、急に二十歳ほど老け込んで小さくなったように見えた。
「残念だったな、宰相」
そう告げると、バルトロスはゆっくりと顔を上げた。憔悴した表情だが、リアンを見た途端に目に力が籠る。体の中に残るありったけの感情を両目に溜め込んで、リアンへと向けていた。まだそんな活力があったことに素直に感心し、リアンは感嘆符を零す。
「素晴らしいな。まだ諦めないのか。だがそれでいい。最後まで生にしがみつくのは生きている者の権利だからな」
斧を水平に持ち上げて、それより低く頭を下げる。神に捧げる儀式の手順はリアンの体に染みついていた。話しながらでもそれが狂うことは無い。左手で斧の柄を掴み、右手で斧の背の装飾を掴み、左右へと大きく回す。それを見て民衆が一層歓声を上げた。
「……どこから芝居だった。儂はどこからそなたの芝居に巻き込まれた」
「最初からだ」
「陛下も、カルトンの息子も好きに操ってさぞかし気分がいいだろうな」
「今回に限っては操ったわけではない。私は彼らを信じただけだ。私は、この処刑をひっくり返すのはアルケイルしかいないと考えていた。そしてゾーイがそれを察してくれることを信じた。此処については心配していなかった。ゾーイは賢い男だ。私の意図にすぐ気づく。ゾーイは陛下に、宰相と対峙するように進言した。そこならば民衆の目と私の口があるからと。そして私は、アルケイルがゾーイを信じることを信じていた。善良なる陛下の御心をな」
「善良なるだと? 笑わせるな。カルトンの霊を見たなどと大嘘を吐いたくせに」
リアンが斧を頭上に掲げると、広場にいる者は全て口を閉ざした。状況の読めない赤ん坊がどこかで泣いているのだけが微かに聞こえる。
「アルケイルは嘘は吐いていない。事実を述べたまでだ」
「馬鹿なことを。何故わかる」
「わかるに決まっているだろう。アルケイルが何と言ったか思い出して見るがいい」
――僕の寝室にロスター元侯爵が現れた
「あれはゾーイのことだ」
それだけを最後に告げて、リアンは斧を振り下ろした。刃が肉に食い込み、筋肉を千切り、骨を斬る感触が伝わる。腹には脂肪を溜め込んでいても、首は老人特有の衰えが出ていた。枝を手折るように、その首がゆっくりと傾き、そして首受けの桶へと転がる。遅れて肥えた体がその上に倒れ込んだ。最前列から徐々に興奮が広がっていき、最後には歓声の渦のようになる。
リアンはそれを聞きながら、暫くその場に立ち尽くしていた。しかし、斧を引くとそのまま踵を返す。振り返った先にいたアルケイルは少し青い顔をしていた。そう言えば処刑を間近に見るのは初めてだった、とリアンは今更思い出す。
「ゾーイ。陛下を部屋にお連れしろ。顔色が悪い」
「はい。そちらは」
「決まっているだろう。いつもの儀式をするだけだ」
そうして、一国の宰相の処刑は呆気なく幕を引いた。時間も手順も、そのあたりの小悪党と何ら変わることはなかった。
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