終章

二度目の結末

 空に花火の音が鳴る。城の前に集まった民衆は、今まさにバルコニーから出てきた王と王妃に祝福の言葉を向けた。自分達のために集まった彼らを労うように、王は手を振り王妃は微笑む。来賓として招かれた近隣国の王族達も、この日のために誂えた衣装を煌めかせながら、それぞれの国の作法に従って二人の婚礼を見守っていた。


「あれが有名な怠王か」


 賑やかなバルコニーから少し離れた部屋で、リアンは窓を少し開いてその光景を見ていた。視線の先には赤みがかった金髪の若い男が、来賓の座る席の一番端で居心地悪そうにしている。


「悪魔を冠にしているとのことだが、とてもそうは見えないな。陛下と気が合いそうだ」


 愛用の黒い扇子を口元に当てて笑う。その身に纏うのは上等な黒い絹のドレスで、裾に鳥と蔦が白い糸で刺繍されたものだった。それは少し遠くから見ると、髑髏が並んでいるようにも見える。シンクロスト家の礼装であり、リアンも袖を通すのは初めてだった。


「外交の手腕は確かだという話ですよ」


 その横でゾーイが口を開く。いつもの使用人の服ではなく、黒地に金糸の刺繍が入ったコート姿で、銀色の髪も絹のリボンで束ねられている。これも礼服の一種であるが、まるで普段から着ているかのような自然な装いだった。


「どんな不利益も利益も自分の都合に合わせてしまうので、ご兄弟から「究極の自分勝手」と言われているそうです」

「仲良くなれそうだ。後でご挨拶に伺おうか」


 リアンは声を立てて笑う。二人のために用意された部屋には、アルケイルからの心づくしの品として食事や贈り物が用意されている。食事と一緒に置かれた花瓶には、赤い薔薇が生けられて匂いを振り撒いていた。


「結婚式など興味はないが、出ないと父上が煩いからな。それにお前だけ向かわせるわけにもいかない」

「俺はお嬢様がいないところには行きません」

「当たり前だ」


 リアンはそう言い切ってから、窓を閉めた。外の音が少し遠くなる。


「私の計画では、結婚式までには奴の首を刎ねるつもりだったのだが。上手くいかないものだな」

「まだそんなことを……。あの時、俺がどれほど気を揉んだかわかっていらっしゃいますか」

「わかっている」


 ゾーイが大きな溜息をついた。形の良い鼻と頬を手で覆い、軽く天井を仰ぐ仕草をする。リアンは大袈裟なその所作を見て、不機嫌な表情になる。


「何だ。文句があるのか」

「……ありますよ」


 顔から手を離したゾーイは、呆れた表情のままでもう一度溜息を吐く。


「ならはっきりと言え。私は誤魔化されるのが嫌いだ」

「自分は嘘つきのくせに」


 溜息と一緒に敬語まで払い落としたかのように、ゾーイは口調を転じる。


「また誰かに嵌められても知らないよ。君はそれすら、自分の思い通りにしそうだけど」

「何でも思い通りになる人生など、退屈以外の何者でもない。私は、思い通りにならない人生をどうにか捻じ曲げているだけだ。お前のことも、アルケイルのことも」


 リアンはテーブルの上にあった果物が積まれた皿から、葡萄を一粒取り上げた。丁寧に皮を剥いて、瑞々しい実に口をつける。

 ゾーイはそれを見ながら、また口を開いた。


「今回はねじ曲げられた?」

「あぁ」

「満足した?」

「少なくとも前世でやり損ねたことは、殆ど出来た」

「その口ぶりだと、まだ諦めてないんだな。陛下を処刑することを」


 嘆くような口振りを、リアンは鼻で笑った。


「まさか、あれで大団円だなんて思っていないだろう? 私は御伽噺は嫌いだ」

「陛下に命を助けてもらったのに」

「だから暫くは大人しく、相談役の仕事をするつもりだ」

「信用出来ないなぁ」

「だったら傍で見ていればいい」


 そうするよ、とゾーイが応える。


「君も少しは素直になったようだし」

「何のことだ」

「別に。それよりハイリット嬢のことは聞いた?」

「オスカー領を手放して、隣国に嫁ぐと。まぁ我々に振り回されたのは可哀想だが、宰相の共犯者として処分されるよりはいいだろう。彼女の美しさは素晴らしい財産だ。彼女が自由に使う権利がある」


 宰相の庇護の元で、その操り人形だったオスカー家。唯一残ったハイリットの処遇については、アルケイルに一任された。

 アルケイルは、彼女はバルトロスに利用されただけであるとし、領地と爵位の返還で不問とすると告げた。もはや、誰も国王の決定を疑うことはなかった。ハイリットは隣国のある名門に嫁ぐこととなり、アルケイルはその祝いとして爵位のみを彼女へ返した。


「しかし、オスカー領を次に手に入れるのは誰だろうな」

「男爵か、あるいは元宰相派の筆頭か。どっちに渡っても面倒そうだな。シンクロスト家が貰ってもいいと思うけど」

「また父上に要らない勘ぐりをされる」

「されたら困るんですか、リアンお嬢様?」


 ゾーイの問いに、リアンは一瞬だけ反応が遅れる。しかし、その間を埋めるように外から花火の音が連続して鳴り響いた。

 窓の外には花の形に切り取られた紙吹雪が見える。今の花火と共に撒かれたものだろう。この国では結婚式に花の形をしたものを用いる。それは「アーシャルの祝福」と呼ばれていた。

 リアンは、あの女神を思い出す。あれ以来、女神には会っていない。特に会いたいとも思わないが、今後会うことがあればリアンは少しばかりの感謝を述べてもいいと思っていた。


「失礼致します」


 扉の外から声が聞こえた。ユーリのものだとすぐに察したゾーイが、それに応える。


「はい、何でしょうか」

「ミスト閣下をお連れしました」


 ゾーイが扉を開けると、老猫を抱いた騎士が丁重に頭を下げた。


「少しご機嫌が悪かったのですが」

「閣下は気難しいですからね。わざわざありがとうございます」


 礼を述べたゾーイに、ユーリは「いえ」と微笑んだ。騎士であるユーリはいつもと変わらない服装で、それがこの浮かれた空気を引き締めている役割を果たしていた。


「閣下も陛下のお姿は見たいでしょうから。お二人が連れて行ってくださるなら安心です」

「責任重大、だな」


 リアンはユーリから猫を受け取る。灰色にも見える白い尻尾を揺らして、猫は短く鳴いた。


「ユーリ殿は警備をよろしく頼む。宰相派が何か企んでいるかもしれないからな」

「はい、抜かりありません。我々衛兵騎士は王の身を必ずお守りします」


 凛と背筋を伸ばして言う姿は、リアンには少し眩しかった。


「貴方のことは信頼している。今後とも頼む」

「はい」


 短く返事をして踵を返したユーリだったが、去り際に不意に振り向いた。


「シンクロスト様」

「何か?」

「俺も貴女のことは信頼しております」


 ユーリは今度こそ振り返ることなく立ち去る。残されたリアンは、暫く考えてから口を開いたが、その時になって漸く自分が驚いた顔をしていることに気付いた。


「信頼か。彼に言われると少し心苦しい」

「なら、今からでも善良なる人間を目指してはどうですか?」


 敬語口調に戻ったゾーイがリアンの顔を覗き込むようにして尋ねる。表情は明らかに面白がっていた。


「善良で清廉清楚な令嬢。いいと思いますよ」

「ふざけるな。どこがいいんだ、そんなもの」


 部屋を出て歩き出したリアンを、ゾーイが慌てて追いかける。バルコニーの方からは、王と王妃の名前を呼ぶ、大量の声が聞こえてきた。


「善良な女が好きならそちらに行け」

「そういう意味ではありませんよ」


 リアンの脳裏に、前の人生の最後の日が蘇る。王の処刑とは別に、やり残したことがもう一つだけあった。


「ゾーイ」


 賑やかな声にかき消されないように、少し声を張る。猫を抱いているリアンより、少し先に進んでしまっていたゾーイが足を止めた。

 リアンはそちらに歩を詰めると、顔を上げてゾーイと視線を合わせる。前の人生でゾーイに言いたかった言葉を、処刑の後に言おうとした言葉を、リアンはやっと口に出した。


「私を置いて、いくな」

「すみません」


 先んじて歩いたことへの抗議だと捉えたゾーイは、リアンの手を取るために自分の手を伸ばす。


「それでは、共に参りましょう」

「あぁ」


 そして善良とは程遠い女と、その女に従う男は光と祝福に溢れる方へと歩き出す。アルケイルの二度目の人生は、リアンによって前と異なる結果を得た。しかし、そこから先はまだわからない。どのような結末を迎えるかは、神ではなく人間の決めることだった。


『処刑令嬢は断頭台で笑う』 完

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処刑令嬢は断頭台で笑う 淡島かりす @karisu_A

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