6.証拠なき陥落

「ありがとう。十分だよ」


 アルケイルは短く謝辞を述べる。


「宰相は離してあげて。まさか暴れ出すなんてことはしないだろうしね」

「はい」


 ユーリは手を離したものの、そこに立ったまま去ろうとはしなかった。再びバルトロスが抵抗を示せば、即座に制止をするつもりなのだろう。しかし、バルトロスは腕を左右に揺らして拒絶の意を示した。


「離れろ、無礼者。 ……陛下、いつまでこのようなことを続けるのですか」

「ハイリットを僕のところに向かわせて、どうするつもりだったの?」

「それは前に説明したではないですか」

「宰相は説明してないよ。リィが言ったんだ」


 リアンはその返しに、心の中で「及第点でございます」と微笑んだ。かつてのアルケイルの家庭教師のように。最もそれが本心から放たれたことなど、数回しかなかっただろうが。アルケイルを褒めるよりも、リアンを咎める回数の方が多かったに違いない。

 殿下を負かしてはならない。女の癖に出しゃばってはならない。自分の立場をわきまえろ。思い出しても不愉快極まりない言葉の羅列だったが、リアンは実に十五年ぶりに家庭教師の言うことに従うことにした。宰相を敗北に追い込むのは、王でなければならない。そのためなら助言も醜態も厭わなかった。国のために何の役にも立たずに死んだアルケイルと、逃げたバルトロス。今回の人生では二人にどちらも許すつもりはない。


「えぇ、私が申し上げました」


 リアンは即座に肯定する。


「宰相殿からも特に否定はございませんでした」

「それも、宰相がリィに言わせたならば納得出来る」

「出鱈目です。こんなのは出鱈目ですぞ、王よ!」


 声を張り上げて、バルトロスが会話を遮った。その目はまだ冷静だったが、声には若干の焦りがある。この断頭台に全く味方がいないこと、そして民衆を上手く操れないことを体感しているようだった。伯爵令嬢の処刑を見に来た筈の民衆は、自分たちがなぜここにいるのかも理解出来なくなったように、両目を見開いて事の成り行きを見守っていた。彼らにとって処刑は娯楽だが、それは非日常への渇望である。彼らにとっては今の状況は既に処刑を超えてしまっていた。突如として始まった「面白い見世物」に、残酷なまでの無邪気な目を向けている。


「この小娘の妄言に踊らされていることに気付きませんか。儂を陥れようとしているのですぞ」

「随分な仰りようですね、宰相殿」


 リアンは一歩も退かずに、バルトロスに悲し気な顔だけを作ってみせた。断頭台を下から見ている人間には、謂れのない中傷に心を痛めているように見えるだろう。処刑人として、リアンは断頭台の上だけでなく、下からも何度か処刑を見ている。どの角度でどのような顔をすれば彼らによく見えるかは知り尽くしていた。


「私の何が妄言だと?」

「何から何までだ。儂が脅したと言ったな。証拠がどこにある。貴様らがいい気になって述べたうちのどれも、根拠のない出鱈目ではないか!」

「証拠ならばあるではないですか」


 そう切り返したリアンに、バルトロスが一瞬言葉を失う。


「いいえ、無いことこそが証拠と言った方が良いのかもしれません。宰相殿、一つだけお答えいただけますか」

「……なんだ」

「私が幽霊騒ぎを起こした。ではその仮初の「幽霊」を出していただけますか。宙を飛び、陛下の前に現れたという幽霊を」


 バルトロスの表情が歪んだ。

 リアンはあの時の告発において、バルトロスが「リアンがどのように幽霊騒動を起こしたか」言わなかったことを覚えていた。ハイリットから、リアンの不審な動きまでは報告を受けていても、詳細までは聞き出せなかったのだろう。ハイリットが物事を正確に伝えられなかっただけかもしれない。だがリアンにとっては好都合だった。


「実物でなくとも結構です。どのように私が、カルトンおじ様の幽霊を見せることが出来たのか教えてください。メイドたちが体験したことも含めて」


 何か言い返そうと、バルトロスが口を開く。しかしそれより先にアルケイルがリアンの後ろから声を発した。


「そうだね。それを見せてよ、宰相。まさか何も証拠がないのにリィを問い詰めたわけじゃないでしょ。……自分の犯そうとした罪を誤魔化したのなら話は別だけど」

「陛下、違います。この者は儂を……」

「ハイリットが宰相の用意した「偽者の幽霊」ってことは、既にわかっている。じゃあリィの用意した「偽者の幽霊」は何処にいる?」


 アルケイルは淡々とした口調で、しかし迷う様子もなく言葉を連ね続ける。それの殆どがリアンの用意した言葉や道だとしても、やはり王の口から告げられたという事実が、大きな効力を持つ。


「なるほどね。これで繋がったよ」


 そう言うと、アルケイルは民衆の方を一度見て、それからバルトロスに視線を戻した。今からこの老人に話をするのだと。それを聞いていて欲しいと、身振りだけで伝える。民衆は固唾を飲みながら、視線を一様にバルトロスへと集めた。


「宰相は幽霊騒動に便乗して、ハイリットを使って僕を暗殺しようとした。しかしそれをリィに見られてしまった。ハイリットは作戦を中止して、宰相にそのことを知らせたんだろう」

「陛下!」

「黙れ。僕が話をしているんだ」


 バルトロスの必死な叫びは、アルケイルによって無力化される。


「宰相はリィを脅した。シンクロスト伯爵とゾーイの命を盾に取ってね。何しろリィは宰相と同じく、僕に直接進言が出来る人間だ。放っておけばいつ自分の悪だくみがバラされるかわからない。二人の命を盾に取った上で、宰相はハイリットが城に入り込んだ理由を捏造し、そしてその理由に便乗する形でリィを追い詰めた。そうだよね、リィ?」

「えぇ」


 アルケイルの方を振り返って、リアンは答えた。すぐ近くからバルトロスの、人ひとりは殺せそうな視線が向けられているが、それには気づかない振りを貫く。


「私は貴族の娘。家の存続を盾にされれば従うしかありません」

「ふざけるな……、お前がそんな殊勝な人間か」


 呪詛のような言葉は、非常に小さかった。先ほどのアルケイルの静止が効いているのだろう。存外肝の小さいバルトロスに、リアンは少しおかしくなった。こうして追い詰められるのは、バルトロスにとっては初めてのことに違いない。


「私が度々、差し出がましい口を挟んだためでしょう。宰相殿は一刻も早く、私を消し去りたかったに違いありません。だからこそ、神に決められた手順を無視して、処刑を進めようとした」

「早く口を封じたかったということか。それほどまでにリィが邪魔だった。いや、リィが知っていることが不都合だった」


 そこでアルケイルは、バルトロスに問いかけるような視線を向けた。それは殆ど温情の類だった。窮地に追い込まれている人間に、わずかな望みを抱かせるような。それに縋りつかない者はいない。


「何もかも誤解です。儂はいつも国のため、ひいては王のために尽力して参りました。この処刑とて、その一環です。王に仇なす存在を排除しようとしたに過ぎない。この小娘は首をはねられたくないばかりに妄言を言っているだけなのですぞ」

「リィは今まで、命乞いも何もしていない。この場にある真実を明かそうとした僕に協力してくれているだけだ。それに彼女の主張は筋が通っている」

「それこそが、この小娘の策略なのです。自分の立場を利用し、ありもしない証拠をでっちあげているのです」

「それは宰相だろ」


 アルケイルは、哀れな者でも見るような眼差しを相手に向けた。


「宰相。もはや言葉は尽きただろう。シンクロスト伯爵家、ならびにその息女への恐喝行為。更には僕への暗殺計画。ここまで揃えば、極刑は免れない」

「馬鹿な!」


 告げられた罪状に、バルトロスは青ざめた顔で叫んだ。

 だが、それをかき消すように民衆から歓声が上がる。彼らは、王の言葉に納得をした。リアンに罪はなく、バルトロスこそが真の罪人であると。興奮する彼らを止めるほどの力は、既にバルトロスには失われた。孤立無援の断頭台の上に、バルトロスは膝をつく。その拍子に首飾りの紐が切れて足元に転がった。それまでの栄華の終わりを示しているかのようだった。

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