5.追及の断頭台

 小さく、声が漏れる音がした。リアンはバルトロスの方を見る。今聞こえた声のそのままに、渇いた唇が開かれていた。


「何を……馬鹿なことを」


 嘲笑おうとしたのだろう。しかし、それが完遂されるより先にアルケイルが言葉を続けた。


「僕が嘘を言っていると?」

「そういうわけではございません。しかし、夢や勘違いということがございます」

「……リィはどう思う?」


 アルケイルが話を振ってきたことに満足しながら、リアンは顎を少し持ち上げた。


「幽霊の存在の正誤について語るほどの知識は私にはございません。ですが、一つだけ言えることがございます」

「言っていいよ」

「どうやら宰相殿は、ロスター侯爵が陛下の元に現れては困るようです」


 リアンの処刑は、王への暗殺未遂ではなく幽霊騒動から始まっている。アルケイルが言った通り、幽霊騒動が「リアンの起こしたものではない」と証明出来れば、全てはひっくり返る。

 バルトロスの失敗は、リアンを陥れるために余計な理由をつけてしまったことである。最初からリアンがしたことのみを責めれば、勝ち目はあった。やり方によっては、ただそれだけでリアンを失脚させることも出来たかもしれない。しかし、バルトロスは完璧な勝利を望んでしまった。邪魔なリアンをこの世から消すために、存在しない罪状を作ってしまった。これまで、数多の人間をそうして消してきたように。

 だがそれは陥れられた人間が善良かあるいは正直であったからこそ成功してきただけである。リアン・エトリカ・シンクロストは神に誓って善良ではなく、正直でもなく、まして臆病でもなかった。


「そうなの、宰相?」


 すかさずアルケイルが尋ねる。


「幽霊がいたら、なにか不都合なことでもあるのかな」

「何を仰っているのか、儂にはさっぱり。陛下は動揺されておられる。だから存在しない者を見たなどと」

「僕は、幽霊がいたら不都合かどうかを聞いている」


 答えろ、と低い声で告げられたバルトロスは黙り込んだ。そして、アルケイルとリアンを交互に見る。

 自分の敵が二人いることに困惑し、そしてどちらを先に黙らせるべきか悩んでいるようだった。リアンはそれを見て、淑女の笑みを浮かべてみせる。


「宰相殿。私のことはどうぞお気になさらず。陛下のご質問にお答えください」

「き……さま……」

「それともお答えできない理由でもあるのですか?」


 リアンは静かにバルトロスの傍に歩み寄り、その顔を見つめる。そして、まるでその皮膚に何か書いてあったかのように驚いた表情を浮かべてみせた。


「あぁ、なるほど。幽霊がいたら困りますものね。だってあの夜、宰相殿はご自分で偽者の幽霊をご用意して陛下の寝室に送り込もうとしたわけですから」

「たわけたことを抜かすな。それはそなただろうが」

「……宰相だろ。ハイリットを城に送り込んだのは」


 リアンの肩越しに、アルケイルが口を開く。


「確かに僕はそれをリアンから聞いた。宰相も否定しなかったじゃないか」

「それは……、儂はただ陛下をお慰めしようと」

「幽霊の正体として、ハイリットを連れてきた。まるで……そうすることが目的だったみたいだね?」


 民衆のざわめきが大きくなる。アルケイルはそちらに向き直ると、右手の甲を見せて中空に掲げた。生まれかけた声たちは一斉に静まり返る。


「皆の者、聞いてくれ。先日、王城でカルトン・ルパート・ロスター侯爵の幽霊と思われるものが目撃されていた。リアンは僕のために、自分の従者を護衛として貸してくれた。彼女が僕の命を狙おうとした……とされるのは、この日のことだ。それは此処にいる宰相によって告発された」


 バルトロスはアルケイルを止めようと口を開きかけたが、紫色の瞳に睨みつけられて何も言えなくなる。


「宰相によれば、彼は僕を……慰めるために、ハイリット・カーディン・オスカー嬢を王城に送り込み、そこでリアンの企みを見たと言う。その告発により、彼女はこうして断頭台にいるわけだ」


 だが、とアルケイルは静かに、しかしよく通る声で言った。


「そもそもハイリットが堂々と城に入ったことこそがおかしい。僕の妻となるアリセと違い、彼女にはそんな権限はないからだ。ハイリットをわざわざ呼び寄せて、城に入れ、そして王の寝室まで行かせようとした。彼女にも僕を殺せたと考えられるのではないか」

「馬鹿な!」


 反射的にバルトロスが叫ぶ。アルケイルは煩わしそうにそちらを一瞥した後に、リアンを振り返った。


「そういうことだよね?」

「彼女に暗殺未遂の罪を与えては可哀想です」


 リアンは手枷を鳴らしながら持ち上げると、少々苦労しながらもバルトロスを指さした。


「命令したとすれば、宰相殿でしょうから」

「幽霊は貴様がでっちあげた嘘だろう。よくもまぁ、白々しい」

「城の階段で、ハイリット嬢を見かけた時には驚きました。いるわけがありませんから」


 微笑みながら話すリアンと対照的に、バルトロスの顔は怒りに満ちていく。


「私は黙っているつもりでした。しかし、ハイリット嬢は私に見られたことを宰相殿に報告したのでしょう。だから、あのような告発を」

「貴様も認めたくせに何を言っているか!」

「認めるしかありませんでした。宰相殿は父とゾーイの命を盾に取った」


 ここで涙の一つでも流せれば効果的だっただろうが、リアンにはそれほどの演技力はなかった。あったとしても、流石に過剰というものである。涙を流す労力があるならば、話術に使った方が良い。


「恐らく、私が騎士たちに連れていかれた後に宰相殿はゾーイ……陛下のお命を守るために護衛につけた従者をも捕縛しようとしたのでは?」

「うん。リィと同じように牢につなげと言った」

「これは酷い裏切りです、宰相殿。大人しく捕まれば、ゾーイのことは見逃すと仰ったではないですか。そうとわかれば、もう黙っていることは出来ません」

「いい加減にしないか!」


 怒りを爆発させたバルトロスが、リアンに掴みかかろうとした。それを誰かが背後から止める。


「宰相様、落ち着いてください」


 赤い帯を帽子につけた、中年の騎士が宥めるように言った。アルケイルがその姿を見て「あぁ」と呟く。


「ユーリ・テルメド隊長。丁度良かった。君にも聞きたいことがあるんだ」


 衛兵騎士団の隊長である男は、その言葉を聞くとバルトロスを後ろから抑えたまま背筋を伸ばした。


「何でしょうか」

「正直に答えて欲しい。あの日、衛兵騎士団は幽霊を見たのかな」

「私は屋上の警備をしておりましたから、見ておりません。しかし、部下たちは見たと言いました。私は部下のことを信じます」


 凛とした声が広場に響く。ユーリは何も嘘を言っていない。幽霊を見ていないのも、部下が言ったのも、それを信じるのも全て本当のことである。アルケイルも、ユーリに嘘を言わせないような聞き方をした。不器用なほどに正直な男は、嘘を吐くようには出来ていない。だが、事実を述べさせればこれほどに堂々とした人間はいないだろう。

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