第一章

1.王城への道

 小高い山の頂に、鋭い尖塔を持った城がそびえ立っている。月の明かりを浴びた城壁は、昼間に見る白灰色よりも輝いて見えた。それもそのはずで、城壁に使われている石は「月影石」と呼ばれる、この国の名産物の一つで、月夜にひときわ輝くことからその名前が付けられたという。この国では高価ながらもありふれた石であるが、遥か南の方では宝石の仲間としても扱われるらしい。

 そんなことを考えていたリアンは急に馬車が揺れたことで思考を中断した。小さな馬車の中に提げられた黒い髑髏が左右に揺れている。どうやら大きな石にでも乗り上げたようだった。


「お嬢様、大丈夫ですか」


 箱の外からゾーイの声がした。リアンは「あぁ」と短く応じる。


「気にすることは無い。他の馬車に足を引っかけられるよりはマシだ」

「そんな真似はさせませんよ」


 王城に続く道には馬車が何台も続いていた。華美な花細工を大量に飾っているのは、ヴァリツィア男爵家。異国風の派手な色彩の旗を箱の左右に下ろしているのは、コーライン子爵家。どちらも十八か十七の娘がいたはずだった。リアンは黒いレースで作った扇子を口元に当て、その下で欠伸をかみ殺す。

 身分の低い貴族たちは、どうにかして上に取り入ろうとする。その手段は領地であったり、その特産物であったりと様々だが、年頃の娘を持った家ほど野望に燃える傾向にある。娘が誰かに見初められ、例えば王族の愛妾の一人にでもなることを夢見ている。

 その点に置いて言えば、リアンは自分の境遇に感謝していた。廃絶された侯爵家の元許嫁。それも処刑を司るシンクロスト家の娘。いくら伯爵家とは言え、周囲の貴族たちが遠巻きに見ているのは知っている。要するに「縁起が悪い」とでも言うのだろう。リアンとしては無駄な縁談をしなくて済むので好都合だった。


「ミルレージュ男爵令嬢は、今でも王子を狙っているのか」


 すぐ前を行く、赤く塗られた馬車の、その四隅で揺れている天鵞絨の房飾りを目で追いながらリアンは尋ねた。


「そういう噂ですよ。王子もまんざらではないとか。あの方も、許嫁の公爵令嬢が夭折したために、婚約者がいない状態ですから。でも身分が違います」

「彼女は男については賢い。誰が落としやすいかよくわかっている」

「棘のある言い方ですね」

「それはお前が彼女を快く思っていないからだろう。私は彼女を尊敬している。あれほどまでに無垢に狡猾な女性は珍しい」

「無垢に狡猾……あぁ、なるほど」


 ゾーイの背中が揺れて、笑ったのがわかった。それ以上先を言うのは、使用人として、またはミルレージュ家のために避けたのだろう。リアンはそれが少し面白くなかった。

 やがて馬車は王城の門を潜り抜け、広い庭園へと入る。既に到着している馬車からは着飾った身なりの貴族たちが下りてきて、城の中へと進んでいく様子が見えた。明らかに趣味の悪い装飾を首から下げた男が、脂肪の厚くついた体を揺らすようにして城へと入っていく。リアンはその男が誰かをよく知っていた。

 公爵家の当主の伯父であり、その家の実質的な権力者。現国王からの信頼は厚いとされているが、その信頼の大部分は公爵家の財産によるものだという説が一般的だった。勿論、身分の高い者に面と向かってそれを言う者はいない。リアンとて、その程度はわきまえていた。


「お嬢様?」


 いつの間にか馬車は庭園の一角に停められ、ゾーイが扉を開けていた。


「ご気分でも」

「いや、宰相殿がいたので見ていただけだ」

「左様でございますか。すぐ傍に旦那様もいらっしゃいましたよ」


 ゾーイも同じ人間を見ていたようだったが、リアンは自分の父親には気が付かなかった。普段からあまり気にしたことがないのが原因かもしれない。

 リアンは兎に角も外に出るために腰を上げた。ゾーイがそれに合わせて右手を差し出す。黒いレースに包まれた手を重ねて、馬車の外へと出た。途端、いくつかの視線が自分に向けられたのがわかった。シンクロスト家の馬車から出てきたのが、当主ではなく娘、しかも滅多に公の場に出ないリアンであることに驚いているのは明らかだった。好奇心に満ちた眼差しを、リアンは無視して数歩進んでから口を開く。


「では、此処で待機していろ。例のものはすぐに出せるようにしておけ」

「畏まりました。お嬢様、お気をつけて」

「誰に物を言っている」

「いえ、右に」


 その言葉にリアンは右側を振り返った。途端、視界に痛いまでの赤色が、月の光を浴びて禍々しく入り込んできた。

 それがドレスの色であることをリアンが認識するより先に、少々甲高いが上品な声が鼓膜を震わせた。


「リアン様、いらっしゃるとは思いませんでしたわ」

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