2.麗しき令嬢

 豪奢な赤いドレスに身を包んだ女は、眉間からまっすぐに伸びた形の良い鼻の下で、淡い色に塗られた唇の両端を持ち上げる。零れ落ちそうな琥珀色の瞳は、月明かりの下で妖しく輝いている。人によってはそれを蠱惑的とでも表現するだろうが、リアンには意味のないことだった。


「アリセ嬢。久しぶりだな」

「えぇ、本当に。あまりにお姿を見ないので、隠居でもなさったのかと思いましたわ」


 甘ったるい声で紡がれる言葉は、その内容の辛辣さを和らげることに成功していた。声のみならず、その顔立ちのためでもある。

 アリセ・バートン・ミルレージュは、幼少期よりその愛くるしさで「ミルレージュ家の至宝」と言われていた。その愛らしさは成長するにつれて洗練された美しさも内包し、十八才となった今でも幼い頃の称号を維持している。ドレスや馬車の色と同じ赤い髪は、綺麗に巻かれた状態で高く結い上げられ、派手な髪飾りと共に彼女の美しさに一役かっていた。


「まだ隠居をするには少し早い」

「ですが、リアン様はまだご婚約もされていないでしょう。二十三歳で」

「二十二だ」


 アリセの長いまつ毛に縁どられた目が、リアンの頭から爪先までを、無礼にならない程度に、しかし値踏みをするように動く。最新の流行を集めたアリセの恰好に比べると、リアンのそれは少々地味とも言えるものだった。黒と白を基調としたドレスは、装飾らしい装飾はなく、布地に織り込まれた銀糸が月の下でぼんやりと光っていた。腰回りの膨らみはなく、胸元も強調されてはいない。コルセットで締め付けた細い腰が無暗に目立つ。髪は綺麗に櫛を通しているが、右側を軽く編み込んで、それを後頭部に回しただけ。そこに白い大輪の花と髑髏の飾りを差し込んでいる。それらを確認した後に口元が僅かに嘲笑するような動きを見せたのを、リアンは見逃さなかった。


「今日はどうしてこちらに?」

「愚問だな。招待状が来たからだ。それとも貴女は招待状もなく押し掛けたのか」


 平然と答えたリアンに、相手はわずかに眉を寄せた。しかし、すぐに気を取り直したように微笑を浮かべる。


「個性的なお召し物ですわね。どちらの流行でしょう。私、そういうものには疎くて」

「貴女の恰好も随分と変わっているな」

「これは最新のファッションです!」


 咄嗟に言い返したアリセは、続けて顔を真っ赤にして黙り込む。リアンは自分なりの礼儀で微笑み返した。


「これは失礼。そういうものには疎いのでね」


 ドレスの裾を持ち上げて一礼をした後、リアンは歩き出した。アリセが悔しそうに睨んでいる気配は察したが、振り返るほど優しくはない。事の成り行きを見守っていた周囲も、どこか決まり悪そうにそれぞれの目指す方向へと歩き出していた。

 リアンは扇子を広げると、その下で小さく笑う。周囲は、そして本人も誤解しているかもしれないが、リアンは彼女のことが嫌いではなかった。馬車の中でゾーイに言った通り、尊敬すらしている。アルケイル王子を意中の者にしようと画策するアリセは、どういうわけだかリアンのことを敵対視していた。「王子の遊び相手」だった経歴が気に入らないのだろう。リアンが自分の恋敵になるのを警戒しているのかもしれない。偶に顔を合わせれば、先ほどのような挑発を繰り返す。ある意味で最も真摯なその態度は、リアンが好むものだった。陰で何か言われるよりは余程良い。


「そうだな。彼女がいい」


 誰にも聞こえないように呟く。

 前の人生、と言っていいのか定かではないが、やり直す前の世界では国王は独身のまま処刑された。前婚約者の肩書に釣り合うような家柄の娘がいなかったからである。他の公爵家には息子か、すでに嫁いだ娘しかおらず、かといって身分の低い貴族の中から選ぶわけにもいかなかった。

 確か他国の王女を迎え入れる話もあったようにリアンは記憶しているが、その話は遂に実現されなかった。その国が相続争いとそれに伴う内乱で婚約どころではなくなったためである。


「彼女は王子の愛妾にでもなれば満足なのだろうが、あれほど美しい娘をそれで終わらせるには勿体ない。それに立派な国王と言うものは家柄に拘らず優れた者を起用すべきだ。それが頭脳だろうと、容姿だろうと」


 決めた、とリアンは扇子を畳む。晒された口元は貴族令嬢に相応しい弧を描いていた。

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