3.玉座に座る者

 他の貴族たちと共に、大きく開かれた王城の扉へと歩を進める。この扉は王城の正面ではなく西側に位置する。中に足を踏み入れれば、すぐに大広間に繋がっており、舞踏会や祝賀祭といった王家の行事の時のみ使われていた。つまり、この扉を通ることが出来るのは、使用人などの例外を除けば貴族階級のみである。多くの国民はこの扉の存在とて、殆ど知らないに違いなかった。

 大広間は、小さな村一つなら入ってしまいそうな程に広く、外壁と同じように月影石が使われていた。高い天井にはいくつものシャンデリアが輝き、まるで昼間のように照らしつけている。リアンはその十分な光源を頼りに目的の人物を見つけると、そちらへと近づいた。歩く間にも、豪華な食事の匂いや、それを運ぶ使用人たちの笑顔が洪水のように押し寄せる。


「父上、遅くなりました」

「心にもないことを言わないでも良い」


 壁際にある背の高いテーブルに肘を預けていた男は、リアンの方を見ながら言った。

 いつもと違い、その右目を覆う眼帯は上等な絹と金色の刺繍で作られた物に変わっている。それが父親にとっての正装であることをリアンは理解していた。伯爵家の当主、リヴァンス・エトリカ・シンクロストには相応しい装束だった。


「……もう少し派手な色のドレスは無かったのか」


 リヴァンスは娘の服装を見て、呻くように言った。


「いや、出てきただけ上等かもしれないな。お前が城の前で引き返すのではないかと気を揉んでいたのだから」

「それはいけませんね、父上。娘のことを信用していないのですか」


 リアンは父親の隣に並び、レースの手袋に包まれた手をテーブルの天板に重ねた。


「信用以前の問題だ。お前が何をしでかすか、私にはさっぱりわからない」

「父上の教育の賜物です。胸を張ってください」


 リヴァンスは溜息をついた。しかし辺りのざわめきに紛れて、その音まではリアンに届かない。


「どうして今日に限って出てきた。何か目的があるのか」

「婿でも探そうかと」

「それは朗報だな」


 わざとらしく快活に笑った父親に、リアンも微笑み返す。傍から見れば仲睦まじい親子にしか見えない。

 実際、親子仲は良好な部類に入る。リヴァンスは娘の言動に手を焼きながらも、ある程度の自由は認めているし、リアンもそんな父親に感謝をしていた。それは、要するにどちらか一方の利益を損なうことにでもなれば、あっさりと崩れ去ってしまうようなものではあるが、貴族階級の家庭では珍しいことではない。


「で、本当は何が目的だ。私も忙しい。お前と言葉遊びをする暇はない」

「私も言葉遊びのために此処に来たわけではありません。父上にお願いがあって来た次第です」

「言ってみるがいい」

「今日、私が何をしようとも邪魔をしないでいただきたい」


 娘と言えども、それは伯爵に対する言葉として礼儀を欠いたものだった。リヴァンスはそれを叱咤すべきかどうか悩む仕草をした後で、結局それを諦めたように首を左右に振った。


「何をするつもりだ」

「王子殿下と久々に語らいたいだけです。しかし、私と父上が並んでいたならば、殿下は父上と話さざるを得ない」

「それは道理だ。しかし、王子殿下は幼少の頃からお前のことを遠ざけているきらいがあった。久々に会ったからと言って、あちらが話に応じなければ意味がないぞ」

「それについては問題ありません。殿下は必ず私を見る」


 自信に満ちた言葉に、リヴァンスは呆れたような顔をした。


「お前は少々、自分を過信しすぎているのではないか」

「私は私という人間を、拙いながらも理解しています」

「殿下の目を引きたいのであれば、どうしてそんな地味な恰好でやってきた。他の者のように宝石で着飾ればいいものを」

「父上も存外、自信家であられる。貴方の娘は宝石を積めば積むほど輝くような、絶世の美女ではないのですよ」


 その時、広間にラッパの音が高らかに響き渡った。街中でパン屋が吹き鳴らすようなものとは全く違う、洗練された美しい音に、全員がその場で背筋を伸ばして視線を奥へと集める。そこには床から数段分高い檀上があり、月影石と最高級の天鵞絨を使った椅子が中央に置かれていた。

 そしてその横には、金銀で飾られた少し小さな椅子、しかし作るのに費やされた資金と資材と時間が膨大であることを伺わせるものが置かれている。それは国王以外の王族が座るためのものであり、此処にいる人間は皆、誰が座るのかを知っていた。


 ラッパの音に導かれるようにして、玉座の後ろにある扉が開く。大広間の規模から考えると小さな作りをしているが、何も金を惜しんでいるわけではない。王に万一のことがあった時に、逃げやすいようにしているだけである。

 扉の向こうから姿を見せたのは、金銀豪奢な衣服を身に着け、純白のマントを羽織った老人だった。否、老人というにはまだ年は若い。ただ長年に渡り患っている肺病と、その治療による疲労が実年齢より何歳も上に見せていた。全員が両手を交差して指を手首につけ、頭を低く下げる。


「頭を上げてよろしい」


 厳かに、しかし少し掠れた声で、デストラ四世ことロイン・デストラ・ファリティーニは告げた。決して大きな声ではなかったが、ラッパの音は既に止んでいたため、全員その声に従って一斉に頭を上げた。


「皆の者、よく来てくれた」


 ロインは大広間の中空を見据えるようにして口を開く。自らに向けられている視線を自然に受け止めていた。それも当然だろう、とリアンは父親と同じ方向を見ながら考える。国王は堂々としていなければならない。衆目に怯える、あるいはそれを意識しすぎるような人間は王として相応しくない。


 例えば、とリアンは王の横に控えている若い男に視線を向け、それからどうにか嘆息を吐きたくなるのを堪えた。王によく似て、そして全く似ていない男。母親譲りの栗色の巻き毛の奥で、父親譲りの紫色の目が落ち着きなく左右に動いている。背は高いが筋肉のない肩を丸めるようにした姿は、王子というより追い詰められた痩せ牛だった。

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