6.髑髏の下の密約
「これは失礼。少々考え事をしていたので」
「考え事だと? それこそ身なりを整えて行うべきだな。ゾーイ!」
男は声を張り上げて、至近距離にいる使用人を呼んだ。
「はい、旦那様」
「お前もお前だ。リアンの身の回りの世話はお前に一任しているのだぞ。お前が甘やかしているから、いつまで経っても淑女しての振舞は身につかないし、縁談も来ないんだ」
「旦那様、後者については自分にも若干の責任はあると思いますが、前者については物心ついたときには既に今と同じだったかと」
「口答えをするな!」
「父上」
激高する父親を、リアンは静かな声で嗜める。
「勘違いしては困ります。ゾーイは私の従者であって、父上の物ではありません。叱るのも褒めるのも私の役目です」
「あぁ、そうだな。そうだったな。十年前にお前が私の書斎に居座って三日目の朝に決まったことだからな。忘れてはおらん」
嫌味を交えた父親の言葉にも、リアンは眉一つ動かさなかった。
「忘れていないなら結構です。それで、何か御用ですか」
「あぁ、そうだった。明日、王城で開かれる晩餐会にはお前も出席するように」
「わかりました」
「いや、今度ばかりはお前の我儘を聞くわけにはいかないぞ。何しろこれは……」
男は瞼を何度か上下して、リアンに怪訝そうな目を向けた。
「何と言った?」
「わかりました、と」
「どういう風の吹き回しだ。いつもは腹が痛いだの、馬が骨を折っただの、ドレスが炎上しただの言い訳をしては出席しなかったくせに」
「それは偶然です。私は伯爵家の人間ですよ、父上。王家の忠実なる臣下としての振舞は心得ています」
堂々とそう言い切った娘を前に、父親は少し気圧されたように「そうか」と返した。
「ま、まぁそれならばよい。何しろ王子殿下の誕生祭だ。幼馴染のお前が参加するとなれば陛下に対して面目もたつ」
「陛下はお元気なのでしょうか」
「あまり良いとは言えないな。だからこそ、王子殿下のため、陛下のために参加し、英気を養うお手伝いをせねばならん」
「ゾーイを連れて行っても良いですか」
リアンがそう尋ねると、父親は渋い表情をした。
「それはならん。侯爵家が廃絶したのは陛下のご意向だ。ゾーイを見て気分を害さないとも限らない」
「城の中まで連れてはいきません。私が馬車を下りるまでです」
「だったらメイドだっていいだろう。カリーチェなどはどうだ」
「カリーチェは以前、私の帽子を水たまりに浮かべたことがあります。悪い娘ではありませんが、まさか泥まみれの帽子を被って出席するわけにもいかないでしょう。その点、ゾーイなら安心です」
更に言葉を続けようと口を開いたリアンに、父親は右の手のひらを向けて静止した。その手には長年、処刑人として斧を振るい続けたことによる皮膚の角質化が見て取れた。
「あぁ、わかったわかった。どうせ反対したところでお前が聞くとも思えん。勝手にしろ。その代わり、晩餐会ではシンクロスト家の者として相応しい振舞をするように」
「はい、父上」
リアンは敢えて素直に応じて、再び腰を屈める。父親は溜息を一つ残して部屋を出て行った。いつもより素直な娘の姿に困惑をしているのだろう、とリアンは推測しながら頭を上げる。眼前にはゾーイが呆れた顔をして立っていた。
「お嬢様、どういうつもりですか」
「明日は王子の誕生祭ではない。いや、誕生祭であることは事実だが、それ以上に重要な内容を兼ねている」
「と言いますと」
「次の国王、シンドラ三世のお披露目会だ」
その言葉に、ゾーイが目を見開いた。
「つまり、国王陛下は」
「病身のため退位。そして王位継承権第一位である王子殿下が、次の国王となる。まぁそのあたりには、宰相派の工作もあるようだが、それは私にとってはどうでもいい。重要なのは、いかにして王子の懐に入り込むかだ。そのためにはゾーイ、お前の力が必要となる」
「俺に何をさせようと?」
「王子の好きな菓子があっただろう」
「あぁ、葡萄のパイですね」
「それを明日までに用意しておけ。いいか、王子の即位祝いを持ってきたという体にするんだ」
「それなら、もっと豪華な品のほうが相応しいのではないですか」
ゾーイがそう言うと、リアンは首を左右に振った。
「わかっていないな、ゾーイ。良いか、お前は使用人だぞ? それが豪華な品を持ってきてみろ。誰の差し金かすぐにわかる。「王子の即位を知り、自分の出来うる範囲で最大限の贈り物を用意した」という演出が大事だ」
「……俺はロスター家の私財は持っていますよ」
「金の無駄だ」
呆気なく、そして有無を言わせぬ声でリアンは言い切る。本気でそう考えていることは、無表情に近いまなざしからも明らかだった。
ゾーイには、一人で生涯を過ごすには十分なほどの財産がある。父親と母親からの遺産であり、侯爵家ではなくゾーイ自身の私財とされたことから没収はされなかった。だがそのことを知っているのは、リアンとその父親ぐらいである。ゾーイはこの十年間、その私財に手を付けたことはなかった。
「いいか、動かすのは金ではない。心だ。急に大役を担わされて不安で揺れ動く王子の心に、優しさと驚きでもって付けこむ。これが上手く行けば、私とお前は王の信頼する相談役になれるかもしれない。立派な国王にして、立派な最期を迎えさせるに、なくてはならない地位だろう?」
「お嬢様、先ほどから当然のように俺も計画の一部に入っているのですが、それはつまり、王子を処刑するのを手伝えということですね?」
「嫌なのか?」
一瞬だけ、リアンは傷ついたような表情を見せてゾーイを見上げた。まだ若い女に特有の、少々の高慢さの中にある幼い部分が顔を覗かせる。自分が拒絶されることなど想定していないのに、どこかでその懸念を感じている。そんな眼差しだった。
「お前は私の従者だろう。私の言うことには従うのが道理だ」
「手伝うのなら、お嬢様のご縁談やご結婚などの方が良いのですが」
「そんなことは自分でどうにかする。手伝うのか、手伝う気はないのか、どっちだ」
暫くの沈黙の後で、ゾーイは自分の顔についた泥を手で拭った。床に片膝をついて、胸をその立てた膝に密着させるように体を前傾する。
両手を軽く交差し、互いの手首に指先を乗せただけの状態で、それを自らの頭より高く掲げた。
目上の者に対する敬礼を、天井の髑髏が虚ろな目で見守る。
「お嬢様の仰せのままに」
リアンはその言葉に、満足そうに口角を吊り上げた。
この国の次期国王の命運が、決定づけられた瞬間だった。
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