5.斧の行く末

「そして私は無事に此処に戻ってきたというわけだ」


 説明を終えたリアンに対して、ゾーイは呆れたような顔をしたまま首を少し右に傾げていた。

 そして、本人も意図したところではないだろうが、平素の敬語が剥がれ落ちて昔の口調が露出する。


「リィ、君は何を言っているんだ」

「今説明した通りだ」

「何で得たおとぎ話だか知らないけど、そんなこと他の人に言ってごらんよ。正気を疑われるから」

「だからお前にだけ話しているんだろう」


 お前に、と繰り返すとゾーイは自分の今の立場を思い出したのか、慌てて背筋を伸ばした。


「どういう意味でしょうか」

「お前は私が嘘つきだと思うのか」

「頭でも打ったのではないかと心配はしておりますが、嘘つきなどとは思っておりません」

「打ったかどうか確かめてみるか?」


 リアンが自らの頭を指で示しつつそう問うと、ゾーイはわざとらしく一歩下がった。


「高貴なるお方の御髪に触ることは出来ません」

「臆病者。私だって今の話を誰かれ構わず吹聴するつもりはない。それこそ、頭に傷でも負ったかと心配された挙句に教会の祈祷院にでも放り込まれるのが関の山だ。その程度の分別はある」

「ではなぜ私には明かしたのですか」


 一瞬、リアンは口を閉ざした。それは言葉に詰まったわけではなく、単に相手の問いの意味を考えただけのことだった。


「そういう質問は想定していなかった。私はお前を信頼している。それだけだ」

「それだけって……」


 再び従者の仮面が剥がれ落ちそうになったゾーイだったが、寸でのところでそれを堪えた。


「じゃあその是非については置いておきましょう。お嬢様のお話が本当だとすれば、王子は王となり、やがて殺されてしまう。それがいつですか?」

「赤金の暦、三の月の二十日だ。単純な日数換算とすれば三百日後か」

「三百五日後ですよ」


 ゾーイは冷静に指摘しながら、視線を中空に彷徨わせる。それが考え込むときの癖で、小さい頃から全く変わっていない。


「流転の儀式を乗っ取り、過去に巻き戻った……。あの儀式をねぇ」

「ゾーイは知っていたか」

「殿下に聞いたことがありますよ。でもお嬢様と一緒で、おとぎ話だと思っていました」

「だろうな。しかも話したのがアルケイル王子とくれば尚更だ」

「お嬢様は最近は王子殿下にお会いになりましたか」


 ゾーイにそう聞かれて、リアンは首を横に振った。


「用事がない。お前こそ会ってはいないのか」

「殿下に? 俺が?」


 右の眉を持ち上げながら、使用人の男は苦笑した。


「会うわけないでしょう」

「昔は、あの王子に懐かれていただろう」

「俺が殿下の遊び相手だったのはずっと前のことですよ。お嬢様だって一緒にいたではありませんか」

「アルケイル王子は私には殆ど見向きもしなかった。一つ下の女児よりも一つ上の男児に遊んでもらう方が楽しかったのだろう」


 リアンは当時のことを思い出しながら言った。王子の遊び相手として選ばれた時、リアンはまだ五歳だったが、それでも自分の感情を整理出来るだけの知性は持ち合わせていた。それは完全とは言えなかったし、子供らしい不条理も含んだものであったが、周囲から利発な子供だと思われるには十分だった。


 一方、ゾーイが遊び相手として選ばれたのは、ロスター侯爵家が代々王室の相談役を務めていたためである。その父親が王の遊び相手だった時のように、ゾーイも同じ役目を与えられた。

 二人はそれぞれの誠実さで、アルケイル王子の遊び相手を務めたが、当時のことをリアンは「退屈な日々」としか記憶していない。アルケイル王子の相手はただただ退屈だった。


「お嬢様は殿下が……その、お好きではないですからね」

「王家に対する礼儀ぐらいはある」

「礼儀がある人は、処刑するために人生を繰り返そうとしないんですよ」

「しかし、王子が立派な王になるのは喜ばしいことだ。そうだろう?」


 当然のことのように言いきったリアンに対して、ゾーイは大げさに溜息をついた。


「それは否定しませんが」

「ならば私に協力しろ。二人であの馬鹿王子を立派な王に仕立て上げて、そして美しく処刑台に散らそうではないか」

「微妙に拮抗しているんですよね。善意と悪意が」

「どう見ても善意しかないだろう。このまま放っておけば、馬鹿王子は馬鹿王として一生を終えるだけだ。少しでも良い結末にしてやるのが、臣下としての務めだ」

「お嬢様の務めは、国家直属処刑人として、斧を振るうことでは」


 ゾーイはそう言ったが、言った直後に苦い顔をした。自分の失言に気が付いたようだったが、リアンはそれを聞き逃してやるほど優しくはない。


「だから、別に間違っていないだろう。私は廃王に斧を振り下ろす」

「ですよねぇ……」


 気抜けした声を最後に、ゾーイはそれ以上の説得やら詰問やらを諦める。

 すると、まるでそれを待っていたかのように、誰かが部屋に入ってきた。リアンはそちらに視線を向けると、ナイトドレスの裾を持ち上げて腰を浅く沈める。


「おはようございます、父上」

「……お前はいつまで夢の中にいるつもりだ。年頃の女がいつまでも寝間着姿でいるものではなかろう」


 背の高い壮年の男は、黒く豊かな髭を顎に蓄えているが、その代わりのように頭頂部が少々薄くなっている。瞳の色はリアンと同じであるが、垂れ下がった瞼や、右目が革製の眼帯に覆われているために随分と印象が異なる。リアンの瞳が宝石であれば、男のそれは湖の底の色だった。

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