3.仕組まれた茶番

「……諸侯には、以上のように伝えようと思うんだけど」

「よろしいのではないですかな」


 バルトロスがそう答えるのが聞こえる。執務室で先ほどから発言をしているのは、殆どアルケイルだった。最初の頃、バルトロスの顔色ばかりを窺っていたのが嘘のように、その態度には主体性があった。

 そこに前王であるデストラ四世の面影を探すのは、恐らく容易だろうとリアンは考える。怯えた痩せ牛のようだったアルケイル。リアンはアルケイルを「馬鹿王子」だと常々思っていたが、それは決して彼の知能を指して言ったわけではない。生まれながらに持った地位や、身に着けた高い教養を台無しにするような振舞を指していただけである。今、リアンの目の前にいるアルケイルは、自分に自信を持っていた。


「リィは?」

「陛下のお考えの通りと思います」


 枝の隙間から見える紫色の眼差しは、リアンやゾーイへの信頼に満ちている。城にいる誰もが、アルケイルの姿を見て「この国の王」と心から認めるだろう。それはバルトロスやその取り巻きにとっては不都合なこととなる。宰相は前王の時代から、政治の殆どを掌握することで力をつけてきた。自分に都合の良い増税や減税、法の改正に廃止。もしそれらを奪われれば、バルトロスはただの「公爵の親類」でしかなくなる。

 リアンが考えていたのは、「王が宰相を追放しようとしている」という噂の流布だった。追放という言葉には重みがあり、一方で内容が曖昧でもある。どのように追放するのか。追放されたらどうなるのか。そういった曖昧さが噂を広げるには大きな効果を齎す。噂に対して、バルトロスが動揺することはないだろう。その程度の人間ではない。しかし、取り巻きたちはそうはいかない。自分たちが甘い汁をすするために近づいた巨木が、ただの老木なのではないかと疑いの目を向ける。彼らの信用を取り戻すために、バルトロスは王を排除しようとする。リアンはそれにただ乗れば良い。

 それが、今朝までの考えだった。リアンには勝算があった。前の人生においてバルトロスは兎に角自分の邪魔になる存在を許さなかった。自分に従わない、あるいは王を立ち直らせようと目論む貴族たちに、片っ端から罪を着せて断頭台へと登らせた。アルケイルはそれを自分が指示したからだと信じて疑っていなかった。暴政の道具として使われたアルケイルは、最後はバルトロスが逃げる時間稼ぎに断頭台へと登らされた。


 だから今回も、バルトロスはアルケイルを排除する。そうするように仕向ければ良いとリアンは考えていた。だが、此処に至ってその計画が「前の人生」を土台にしたに過ぎないことに気が付いてしまった。前の人生においてアルケイルが断頭台に登らされたのは、それしか使い道が無かったからではないか。あれがアルケイルの一番良い使い道だったとすれば、バルトロスが行った行動が単なる逃走ではなく、緻密に計算された生存計画だったと考えることが出来る。そもそも前の人生で、リアンは逃げたバルトロスがどうなったのか、その目で見届けていなかった。「アルケイルに全てを押し付けて逃げた」という考えばかりが先に立ってしまい、他の可能性まで思いつかなかった。

 ユーリと話していた時に生まれた疑念と仮説が、次第に色濃くなっていく。妙に冷静で冷え切った頭の中で、リアンはまだ何かを考えようとしていた。しかしそれは、バルトロスの声によって中断される。


「陛下、一つよろしいですかな」

「うん、いいよ。何か提案?」

「いえ。ただの確認です。……陛下はいつまで、謀反者を傍に置いておくのですか」


 執務室に響くその声は、明らかな敵意をリアンの方へ向けていた。アルケイルは、最初こそ意図がわからないように目を見開いたものの、すぐに相手が何を言っているのか悟ると、今度はリアンの方を見た。


「どういう意味?」

「さぁ、私には宰相殿が何を言っているのかわかりかねます」


 冷静に返せたのは、リアンがこの事態を数秒前に確信していたからだった。それがなければ、多少の動揺を見せていたに違いない。

 リアンは誤算をしていた。バルトロスにとっては、王が無能だろうと有能だろうと、そんなことは関係がない。最初からバルトロスはアルケイルのことなど、自分の道具にしか考えていない。バルトロスはアルケイルを見捨てて断頭台に送ったわけではなく、最後まで自分の道具として使っただけである。だから、アルケイルが言いなりにならないとしても、簡単に排除することはない。どうにかしてアルケイルの信頼を手に入れようとする。そのために邪魔な人間は、一人しかいない。


「この期に及んで白を切るな。先日の幽霊騒動を忘れたとは言わせぬ」

「勿論覚えております」

「そなたは何をしていた」

「何も」


 リアンは短く答えた。バルトロスがそれを聞いて笑う。


「ほう、それは奇妙だ」

「何がですか」

「衛兵騎士もそなたの従者も寝ずに番をしていたのに、何もしていないと言うのか」

「私に何が出来ると? 女の身で剣を振るえと言うのですか」

「剣は振るえずとも斧は振れよう。それこそ眠っている陛下の首にもな」


 アルケイルが反射的に自分の首に手を置く。ただ、その表情はまだ疑惑も確信もなくて、事の成り行きをただ見守っているようだった。


「恐ろしいことを仰いますね、宰相殿。それでは私が陛下に何か危害を加えるかのようではないですか」

「幽霊騒ぎに乗じてな」

「いくら宰相殿とは言え、これは私への侮辱にあたると思いますが」

「陛下の命を狙う者相手に、遠慮も配慮もあるものか」

「待って」


 漸くアルケイルが口を開いた。声は落ち着いている。落ち着くように努めているのかもしれないが、それは枝越しではよくわからない。


「よくわからないよ。リィが僕の命を狙ったとでも言うの? それは何を根拠に?」

「あの幽霊騒動での出来事でございますよ、陛下」


 いつになく優しい、粘性のある声をバルトロスが出す。


「宰相はあの日はいなかっただろ?」

「儂があのまま帰って寝てしまうような薄情者と思われるのは心外ですな。一度は自分の屋敷に戻りましたが、夜中に再び参上したのです」

「何のために」

「陛下を幽霊の呪縛から解き放つためですよ。しかし、陛下はご自分の力で勇敢にも幽霊に立ち向かった」


 賞賛と揶揄の混じった台詞に、アルケイルは答えなかった。バルトロスはそのまま話を続ける。


「陛下。これは侮辱と捉えずに聞いていただきたい。陛下があのような勇敢なお姿を見せることを、リアン殿は予期していたと思いますか?」

「それは……その、難しいんじゃないかな」


 アルケイルがこちらを一瞥してから言う。リアンは内心で舌打ちをしながら、頭の中で打開策を探していた。

 バルトロスの矛先は完全にリアンを向いている。元から人を陥れることは得意な男のこと、単純な言い訳程度で逃れられることは難しいだろう。かといって必死に抗弁するのも得策ではない。このような場合、焦った方が負けだとリアンは承知していた。


「リアン殿は幽霊を見た陛下が、怯えて部屋に戻ることを期待していたのでしょうな。そうすれば騎士たちは幽霊の対応に追われて、陛下のお部屋の中までは手が回らなくなる。おまけにあの日は酷い雷雨。そこにいる謀反者が部屋に入り込んで陛下の首に斧を振り下ろしたとしても、誰も気づかないことでしょう」

「何でリィが僕を殺そうとするんだよ。宰相が言っていることは」

「殺すとは言っておりません。陛下の命を脅かすことが出来れば十分なのですよ」


 わざとらしい笑いが部屋に響く。それが天井に衝突して落下してくるのではないかと思うような、肺の中の息ごと吐きだすような笑い方だった。

 恐らく今、バルトロスの顔は醜悪に歪んでいるに違いない。せめてそうであってほしいとリアンは思っていた。


「幽霊に怯える殿下に、斧を振り下ろす。恐怖を感じさせるには十分でしょうな。儂のような小心者は、想像しただけで気絶してしまいそうだ」

「脅す……って、何を? 僕はリィに脅されるようなことはしてないよ」


 少し遅れて、アルケイルは「多分」と付け加えた。その保守的な発言は、どう考えても悪手だった。

 バルトロスはそれを聞き逃すことなく、一段と声を張り上げる。


「リアン殿は陛下を脅し、そこにいる下男の爵位を取り返そうとしたのです」

「ゾーイの?」

「その通り。陛下、御雄姿を見せた後でこのようなことを申し上げるのは誠に気が咎めますが、あの幽霊はそこにいる謀反者の仕業なのですよ」

「それは……つまり」

「茶番ということです」


 新たな声と共に扉が開かれる。リアンは姿を見ずとも、それが誰だかわかっていた。

 扇を広げて口元を隠し、浅く溜息をつく。それから、今入ってきた人間に対して声を投げかけた。


「こんなところに何をしに来たのですか。……父上」

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