7.意志を持つ

 増税に関する国民の反応は、当初は戸惑いと怒りが大半を占めていたものの、すぐにそれは新しい王への期待へとすり替わっていった。街道の工事とそれに伴う雇用の増加。街道沿いの土地の繁栄。そしてなによりも各領主が自分たちの名前が付いた街道が出来ることを歓迎し、領民たちに一時的な免税と、街道沿いに店や宿屋を作る者への援助を約束したからである。

 より良き国になることを、皆が期待していた。その半数以上は愛国心などではなく、己の懐が豊かになるのを期待してのことではあったが、兎にも角にも増税に反対する者は最小限に抑えられた。


「陛下、随分と思い切ったことをなさいましたね」


 国王の初めての仕事としては、上々とも言える成果を出したにも関わらず、アルケイルはいつもより更に怯えた眼差しで椅子に座っていた。左耳から入ってきた女の声から逃れるかのように、顔を右へと逸らす。しかしそちら側には気難しい表情を浮かべる老人がいた。

 アルケイルは困った表情で、自分の膝の上に視線を落とす。それから、まるで叱られた子供のような声を発した。


「二人とも怒ってる?」

「臣下である私たちが、陛下の決定に口を挟むことはございません」


 リアンは静かな声で返したが、そこに棘を含ませることを忘れはしなかった。思い出すまでもなく、アルケイルを誘導したのはリアン自身である。だがそれを気取らせるような真似はしない。


「その通り。我々は陛下の意向に従うまでです」


 バルトロスも同調するように言うが、声からして全くそう思っていないのは明らかだった。


「しかしですな。この部屋で決めたことを、我々に断りもなく捻じ曲げるというのは、まぁ愉快なことではありませんな」

「でも、やっぱり三割というのは行き過ぎだと思うし……。工事のことだって、領主たちの協力を得るためにやったことだよ」

「儂は別に陛下の行いを咎めるつもりはございませんぞ。ただ、臣下としての憂い、その一欠けらだけでも陛下にわかっていただきたい。それだけでございます」


 枝の隙間からアルケイルの困惑した表情を見たリアンは、笑いたくなるのを堪えながら背筋を伸ばした。バルトロスの言葉は巧妙である。何か求めているわけではないのに、何かの答えを用意したくなる言い方を心得ている。今の地位を手に入れる前、バルトロスがまだ公爵の後見人であったころから使ってきた手管だろう。

 人には自我がある。己の頭と言葉がある。どんな人間とて、一方的な抑圧には耐えきれない。それを防ぐために人は抗おうとする。白と決めつけられれば黒と言い、罪人だと詰られれば善良であることを主張する。

 要するに、欲しい答えを導きたければ、それが逃げ道となるような抑圧をすればいい。


「……次からは、ちゃんと相談するよ。それでいいだろ」


 少し不貞腐れたような言い方でアルケイルが答える。国王としての威厳や自信はそこにはない。だがバルトロスはそれに対して何も言わなかった。自分が望む答えを引き出せれば、例えそれが本心かどうかなど、どうでもよいのだろう。

 バルトロスは是とも非とも言わず、代わりにリアンに問いを投げかけた。


「リアン殿は何か言うことはあるか?」

「いいえ、言うべきことは宰相殿が全て仰って下さいました」


 恐らく相手が求めているであろう言葉を返すと、バルトロスが満足そうに鼻を鳴らす音が聞こえた。


「では過ぎたことは水に流すことにしましょう、陛下。儂とてこんなつまらないことで陛下のお時間を使うつもりはありませんからな」

「う、うん。次は気を付けるよ」


 バルトロスの態度が緩和したのを察知して、アルケイルが安堵の表情を浮かべた。宰相に媚びへつらう小貴族と何ら変わらない姿に、リアンは怒りとも失望とも違う奇妙な感情を抱く。恐らくそれは一種の「郷愁」だった。幼い頃に、アルケイルが何度もゾーイに見せていた顔と殆ど変わっていなかった。

 まだ「善き王」には程遠い。もう一押し必要である。リアンはそう判断すると、さりげなく、しかし二人に聞こえるような溜息を吐いた。


「アリセ嬢に良い顔をしたいのは理解いたしますが、ほどほどにお願いしたいものです」

「彼女は関係ないだろ」


 気分を害したように、アルケイルが眉間に力を入れる。目に活気が満ちて、紫色の瞳が鮮やかなものになった。


「これは全部、僕の意思でやったことだ」

「えぇ、そうでしょうね。陛下のご意思は尊重いたします」

「何が言いたいんだよ」


 先ほどまでの態度を一変して喧嘩腰になったアルケイルに、リアンは涼しい眼差しを向ける。


「いいえ、別に」

「別に、って顔じゃないけど」

「そういう質問をするということは、既に答えを得ているのではないですか」


 リアンはあくまで冷静な態度を崩さなかった。口にしている内容は、アルケイルとアリセの仲を揶揄するものでありながら、それを強く責めているわけでもない。ちょっとした雑談とでも言わんばかりだった。

 だが、アルケイルはリアンの言葉を自分を責めているものだと受け取ったらしく、頬から耳の辺りを赤く染めて、ますます目を見開く。


「文句があるならはっきり言えばいいじゃないか」

「仰っている意味がわかりません。何か無礼があったならば謝罪いたしますが」

「僕がアリセのために税率を下げた。リィはそう思っているんだろ」

「いいえ、そうは言っておりませんが。何か勘違いをなさっておいででは。私はただ、アリセ嬢の前で……威厳のあるお姿を見せたかったのでは、と」


 アルケイルが椅子から立ち上がる。重い椅子が大きな音を立て、中央に立った木が揺れる。揺れる枝葉の向こう側で、アルケイルの表情は今までに見たことがないほどに鋭いものとなっていた。


「僕は、僕の意思でそうしたんだ!」


 音が、声が、そこで全て途切れた。静寂が場を支配する。アルケイルは我に返ったように左右を見回すと、決まり悪そうに椅子に座りなおした。

 リアンにとっては、先ほどの一瞬の反応で十分だった。自分が誘導したとはいえ、アルケイルの口から出されたのは、紛れもなく彼自身の言葉である。自分が意思を持って行動したことを、その口で認めた。

 木を隔てた向こう側から、ほんのわずかな吐息が聞こえた。リアンが注意していなければ聞き逃してしまったであろう、小さな音だった。それはバルトロスが放ったもので、微かに驚愕が含まれていた。


「そうでしょうとも。そうでなくては、困ります」


 リアンは鷹揚に返しながらも、バルトロスの反応の意味を考える。自分が傀儡にするつもりだった人間が、急に意志を持って動き出した。恐らくそう見えたに違いない。それはバルトロスにとって不利益なことだった。

 勿論のこと、それはリアンにも言えることである。リアンの望みは、アルケイルが良き国王になるように誘導することで、そこに相手の自由意志は求めていない。だが、「善き王」となるには、今の言葉はどうしても必要だった。


「ゾーイ。私は今何か失礼なことを言っただろうか」


 振り返りもせずにゾーイに尋ねれば、一瞬だけ間が空いた。今のアルケイルの行動は、ゾーイにも多少の驚きを与えていた。


「お嬢様は、口調が優しくないのです。「陛下はアリセ様のためにも、ご立派な姿を見せたのですね」のように言えばよろしいかと」

「なるほど。私が言いたかったのはまさにそれだ。陛下、お気を悪くしませんように」


 幼馴染二人に見つめられたアルケイルは、黙って首を縦に振った。しかし、その目にはもはや先ほどまでの、誰かの顔色を伺うようなものは消え失せていた。

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