8.騎士の末路
「あの腑抜けた陛下にも、少しは意地というものがあったらしい」
リアンはいつも通りの辛辣な言葉で、先ほどのアルケイルの行動を評した。城内にある無数の部屋のうちの一つに、軽い笑い声が響く。今はだれも使っていない、殺風景極まる部屋には、古びた暦が壁の上に未練がましく貼りついている。日焼けして殆ど読めなくなった紙の上に、辛うじて赤い丸がいくつかと、幼い文字の痕跡があった。
「元護衛としては嬉しいだろう、ゾーイ」
「陛下に王としての自覚を持たせるため、ですか」
暦を見つめながらゾーイが呟く。部屋の扉は開け放たれているが、そもそもこの部屋に訪れる者は少なく、日当たりも良くない。そのため、まるで密閉した空間のような雰囲気がある。
格子を嵌めた窓からは、女神像の立つ中庭が見えた。今日はそこには誰もいない。誰かいたとしても、この窓に目を向けることはないだろう。かつてただの物置で、数年の間だけ王子の遊び場所という栄華を極めた小部屋。もはや覚えている者さえ限られる。
「善き王であるには、まず自らが王であると知らなければならない。もう玉座について六十日は経とうとしているのだぞ? 幼子とて道理を理解する頃合いだ」
「ごもっともですが、宰相殿には警戒されたのではないでしょうか?」
「それは私も考えた。だが、あんな媚びへつらうような態度の王が民の目に触れればどうなる?」
「国政が王によるものでないと疑われる」
「その通り。あくまで政治は王の力によるものだと、民に理解してもらう必要がある。それに宰相殿はともかく、私は目立ちたくない」
「はぁ」
ゾーイは異国の冗談でも聞いたような顔をした。
「お嬢様は目立ちに目立っていると思いますが」
「それはお前の気のせいだ。女らしくもなく、社交界に顔すら出さない「引きこもり」だぞ、私は。それがちょっとその気になって、国王の相談役になっただけだ」
「目立つことしかしてませんね」
「周りが勝手に見てくるだけだ。見てくれと頼んだことはない」
リアンは「さて」と雑談に一区切りをつけると、ゾーイの方を見た。翡翠色の瞳は愉快そうな色を帯びている。
「前の人生の話をしよう。陛下は悪政を繰り返したが、民はそれに唯々諾々と従ったわけではない。どこにでも反骨精神にあふれる者はいる」
「反逆が起きたのですか?」
「それだと随分と大仰だが、まぁ似たようなものだな。国王の暗殺計画だ」
暗殺、とゾーイは呟いたようだったが、殆ど声にはなっていなかった。驚いたというより、それを声に出さないようにしていると言った方が正しいようにリアンには見えた。
「誰が一体そんなことを」
「衛兵騎士団だ。王の命を守るための騎士たちが、王の命を取るために剣を掲げた。先頭に立ったのは、ユーリ・テルメド。あの隊長殿だ」
赤い帯を帽子に巻き付けた騎士の名を、リアンは尋ねたこともないのに迷いなく口にする。前の人生でその名を知ったのは、処刑場でのことだった。最もその時には既にユーリはこと切れていて、物言わぬ屍となっていた。だが、王の命を狙った者は処刑しなければならない、とバルトロスが主張し、ユーリの死骸は麻袋に包まれて、縄で体を固定された形でリアンの前に突き出された。あの時の斧の感触を、リアンは屈辱的なこととして記憶している。処刑を司るシンクロスト家は、罪人の命を終えることを生業にし、それを誇りとしてきた。死体に斧を振り下ろすことは処刑人のすることではない。
「三度目の増税が決まった日、ユーリは腹心の部下三人を連れて、王の御前へと出た。赤翼の暦、十の月の頃だ。ユーリは勇敢にも自ら剣を抜いて王へと斬りかかった。どうなったと思う?」
「陛下が怯える様が目に浮かぶようですが……お嬢様の言い方ですと、暗殺は失敗したようですね」
「賢いな。賢い男は好きだ」
躊躇もなくリアンは言い切ってから、口元に意地の悪い笑みを浮かべた。
「翌日に街中にばら撒かれた号外によれば、「陛下は反逆者の剣をヒラリヒラリとかわし、その姿はまるで槍の神、キシトーのようだった」とのことだが、全く持って信用に値しないな。玉座の前で腰を抜かして、キシトーが生まれた池のような黄色い水を垂れ流していたに違いない」
リアンはその時の号外に描かれた、宮廷画家の力作を思い出す。首を少し傾け、真一文字に口を結んで、剣を構えたアルケイル。その剣の先に心臓を貫かれた反逆者の顔は、あまりに矮小に描かれていた。
「ユーリの剣は王には届かなかった。背後から三本の剣がその胸を貫いたからだ」
「三本と言うことは、部下によって?」
「その通り。信頼していた部下に裏切られて、ユーリはさぞかしこの世を恨んで死んでいったことだろう。部下たちはそれぞれ別の方法によって、バルトロスに買収されていた。存外、彼らも驚いたかもしれないな。裏切り者が自分だけでなかったことに」
「王家の誇る衛兵騎士団にしては、あまりにお粗末ですね。父が存命の頃であれば考えられないことだ」
「それだ」
リアンは両手で扇を弄びながら、ゾーイの言葉の一部を示す。
「かつてはロスター侯爵家が衛兵騎士団の動向を管理していた。だが今やその抑止力はなく、彼らは独立した組織になっている。武力を持ち、王城内部のことを把握し、その気になれば誰かの命を奪う事が出来る。アルケイルの悪政により、彼らはユーリを筆頭として、騎士団でありながら反王政派のようになっていた」
誰もいないとは言え、リアンは自分の声が外に漏れないように細心の注意を払っていた。ゾーイにだけ届くように小さく、しかし聞き漏らされることのないよう、はっきりとした発音で言葉を繋げていく。
「バルトロスはユーリが……というより騎士団がそのうち自分達を排しかねないことを予感していたのだろう。だから予め幾人かの人間を買収しておいた」
「ですが、なぜ陛下に刃が向けられるまで、それを放置していたのですか? 事前に暗殺計画のことを知っていたのなら、陛下を危機に晒す前に手を打てたのでは」
「ゾーイ。お前は賢いが少々お人好しが過ぎる。バルトロスがただ陛下のために騎士団の人間を買収したとでも思っているのか? 命が狙われているという恐怖を奴に与えて、そして目前で救ったことにより恩を着せるために決まっているだろう。単純なアルケイルは「宰相が僕を助けてくれたんだね」と仔犬のように喜んで、ますます言いなりになる」
「……陛下はそこまで単純でしょうか」
「単純だったぞ。翌日には騎士団を解体して、代わりに宰相と自分専用の親衛隊を作る程度には」
信じられない、とゾーイは嘆く。そこには多少の願望も含まれていた。自分が護衛を務めたこともある人間が、そこまで愚かだと信じたくない、という願望が。
リアンはそんなゾーイの様子に眉を寄せた。アルケイルに対して、ゾーイはあまりに寛容すぎた。聡明なゾーイのこと、アルケイルの能力については正しく理解している筈なのに、情がそれを邪魔している。
「前の人生において、衛兵騎士団は王室に対する猜疑心を抱いたことで崩壊を迎えた。しかし元々、彼らは国民の憧れでもあった。騎士団の解体は民に不安と疑心を与え、それが革命へとつながったわけだ」
「裏を返せば、騎士団が陛下を尊敬して忠誠を貫けば、民は陛下を「善き王」と認識する。そういうことですか」
「その通り。そのためには陛下が騎士団を尊重する必要がある」
「……まさか、また暗殺事件でも誘発するつもりではないでしょうね」
ゾーイは眉間に皺を寄せて、嗜めるような目をリアンに向けた。
「二度目は流石に怪しまれますよ。どうしたって人には「癖」がある。違う手段を取ったつもりでも、第三者から見れば共通点が浮かび上がったりするものです」
「それくらいわかっている。大体、暗殺事件なんて大それたことを手軽に出来るものか」
「それではどういう手段を?」
まだ何か疑っているらしいゾーイの口調に、リアンは鼻で笑ってみせた。その視界には、朽ちた暦が映っている。幼い筆跡はすでに満足に読めないほど風化していたが、リアンはそこに書かれた文字を覚えていた。「ゾーイの誕生日」と、その単語を覚えたばかりのアルケイルが自慢げに書いてみせたことも。そしてリアンが当時すでに正しい綴りで書けていたことも。
「そうだな。ロスター侯爵にご協力願おうか」
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