7.ささやかな攻防
いつものように声は柔らかくとも率直な物言いだった。
「それは勘繰りだな。その程度の王妃、王室に相応しいとも思わない。私が望むのは王を支え、見守り、ある時は激励する者だ。貴女には教養と美しさだけではなく度胸もある。並みの女ならば、伯爵家の娘の前にそんな服装で出てこない」
「リアン様が服装を気にする方だと思っていなかっただけですわ」
「気に留めないだけで、気にはする」
リアンの掴みどころのない答えに、アリセはなにも答えなかった。その代わりに、少し視線を外して遠くを見る仕草をする。可憐な唇から一度だけ物憂げな溜息が零れた。
「私はリアン様から疎まれていると思っていましたの」
「貴女が私を疎む真似をするからか?」
リアンの遠慮ない切り返しに、アリセは虚を突かれた表情になった。そこに隙が生まれたのを見逃さなかったリアンは、優雅な微笑みと共に一歩詰め寄った。
「この際だ、妙な遺恨を残さぬようにはっきりと言っておこう。私は貴女が嫌いではない。寧ろ、その辺の女より好ましいとすら思っている」
「な、にを」
「貴女が私を好きかどうかは、まぁ正直言ってどうでもいい。興味がない。そもそも私は人から好かれようなどと思ったことがないからな。そしておそらく私のその態度が貴女にとって不愉快であることも想像はつく。貴女は私と違い、周囲の機微を感じ取れる人間だ」
アリセは答えずに、唇だけを動かす。何か言いたいのに言葉が見つからない。そんな仕草だった。男の前で見せる、か弱い甘えた空気はそこにはなく、計算高い女の顔が覗いていた。
「だから私は貴女を尊敬する。貴女は自分の感情を全て理解した上で、最も効果的な方法で曝け出している。私にあのような挑発を向ける女は、後にも先にも一人だけだろう」
従って、とリアンはまるで学者のような物言いで締めくくった。
「疎んだことは一度もない」
風が一陣吹いて、茂みを揺らす。薔薇の匂いと土の香りが交じり合って二人の間をすり抜けていった。
アリセの赤い髪が風になびき、その一房が頬に掛かる。
「これはリアン様への……借りになるのでしょうか」
「当然の疑問だな。勿論、貴女が王妃になれたら貸しにはなるだろう。しかしそれは陛下を立派な国王にすることで返してくれればよい」
「それが出来ない場合はどうなるのでしょう」
「次の王妃を探さないといけないが、出来ればそんなことはしたくない。前の王妃を居なかったことにするのは骨が折れる」
冗談めかして笑うリアンだったが、目元は一切笑っていなかった。それを見て取ったアリセが引きつった表情になる。暫く無言で見つめあっていた二人だったが、それを打ち破ったのは遠くから聞こえる馬車の音だった。
「……迎えが来たようだ。今日はこれで失礼しよう」
「えぇ、私も急いで仕立て屋に行かないといけませんから」
「それがいい。私と無駄な話をしている余裕はないはずだ」
リアンは端的に告げて踵を返した。アリセは見送るつもりはないらしく、その場に佇んだままだったが、視線だけは痛いほどにリアンの背中へと刺さる。
これが、アリセが普段味わっている他者の視線かと思うと、リアンにはとても愉快に感じられた。
「お嬢様、お話は」
薔薇のアーチを潜ってきた黒い馬車がリアンの前へと止まる。先ほどと異なり、馬は匂いに慣れたのか随分と大人しくなっていた。
「済んだ。家に戻る」
「一応伺いますが、何か事を荒立てたりしていませんよね?」
「お前は私を何だと思っているんだ」
御者台から降りてきたゾーイが、馬車の扉を開けてリアンに手を差し出す。それに自らの手を重ねながら、リアンは小さな声で囁いた。
「余計な事は喋るな。まだそこにアリセ嬢がいる」
「……畏まりました」
ゾーイは短く答えたのみで、決して茂みの方を確認しようとしたり、聞き返したりはしなかった。リアンの真の目的を知っているのはゾーイのみである。周りに人がいない、見えないからといって口を滑らすような男でないことはリアンは承知しているが、慎重になるに越したことはない。
馬車が緩やかに走り出しても、リアンは門の外に出るまでは口を閉ざしていた。薔薇のアーチが段々と遠くなり、それが遠景となりつつあるのを確認してから、ゾーイにも聞こえぬ程度に息を零す。
「薔薇もあそこまで密集していると、頭がくらくらしてくるな」
「お嬢様はあの手の匂いに慣れていませんからねぇ。俺は全然平気です」
「次に来るときは裏門から来いと言われた。薔薇が少ないのだろう」
「次?」
ゾーイが不思議なことを聞いたかのように聞き返す。
「また来るつもりですか」
「その予定はないが、一応言われたので伝えておく」
「覚えておきます。それで、アリセ嬢を王妃に出来そうですか?」
「ハイリット嬢がいると難しいだろうな。アリセ嬢に比べると美しさでは劣るが、家柄と教養は文句なしの出来栄えだ。それに宰相殿がついている」
「オスカー侯爵家……あそこのご当主は宰相殿の言いなりですからね。ハイリット様が王妃になれば親子ともども傀儡にされるでしょう」
「元は貧しい伯爵だろう。それがロスター侯爵家の領地と爵位を奪った。お前としては面白くないのでは?」
石畳を抜ける時に、少し馬車が傾いた。ゾーイは冷静に手綱を操り、馬の進路を保つ。
「面白いと言えば、オスカー伯爵家が貧しかった理由をご存じですか?」
「確か城に蓄えていた穀物が全て駄目になり、それで他の領地から借り入れたのが発端と聞いているが」
「えぇ。方々から借りたために、その返済額が何十倍にも膨れ上がった。それを助けたのがマグレット公爵家です」
バルトロスの生家でもある名に、リアンは少し反応を示す。
「助けた?」
「全ての借金を伯爵家の代わりに支払い、伯爵家が自分にだけ返済すれば良いようにした。期日毎の返済額は微々たるものです」
「だから伯爵家は逆らえなくなったのか」
「その通りです。言われるがままに縁戚関係を結び、言われるがままに領地のいくつかを公爵家に渡し、そして命じられたままに、どこかの侯爵の命を奪った。まぁ最後のは俺の推論ですけどね」
「あまり口にしない方がいい推論だな。しかしお前の話の面白いところはわかった。そもそも公爵家が伯爵家を陥れたと言うんだろう」
ゾーイが肩を揺らして笑った。
「お嬢様には敵いませんね。既にご存じでしたか」
「いや。今までもオスカー侯爵家の忠犬ぶりは目に余ったからな。これは何かあると思っていただけだ。お前こそ、よくそんなことを知っていたな」
「使用人たちの情報収集力を甘く見たらいけませんよ」
リアンは扇子を手慰みに開き、そして再び閉じることを何度か繰り返した。ハイリットが王妃になるのは避けなければならないが、避けたところで侯爵家がバルトロスの手駒であることには変わりない。
前の人生で、リアンはそれほどオスカー侯爵家と関わりがあったわけではない。だがアルケイルの首を落とす数日前に、処刑台で会ったことは覚えている。当主のジークと、後妻のコーネリアは最後までバルトロスの助けを待っていた。それこそ、首が転がる直前まで。否、転がってからもそう信じていたのかもしれない。リアンはその時のことを思い出して小さく笑った。
「オスカー侯爵には消えていただこう」
「穏やかでない言葉ですね」
「穏やかな意味で言っていないからな。手伝うか?」
「拒否してもお嬢様は一人で事を成すのでしょう。なら、喜んで手を貸しますよ」
背を向けるゾーイの表情はわからない。二人の秘め事を聞いていた馬たちが、まるでそれを諫めるかのように嘶いたきりだった。
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