10.令嬢たちの戦い

 アルケイルの即位が発表された日の祝宴など話にならぬほど、大広間には人が賑わい、豪奢な食事が並んでいた。特に華やかなのは、当然のことながら各家の娘たちだった。まだ礼儀作法を覚えたばかりのような幼い少女から、年齢を問いただせば沈黙が返ってきそうな妙齢の女性まで揃っている。それぞれが美しいドレスと化粧で身を包み、優雅な微笑みを浮かべている。その側には、それぞれの両親かあるいは後見人がついていて、誰よりも先に国王の目に留まろうとしているのか、猛禽類のようなまなざしを周囲に向けていた。

 その中で一際目立つのは、ハイリット・カーディン・オスカー侯爵令嬢だった。銀糸の刺繍を施した白いドレスは、腰の部分をたっぷりと持ち上げて、贅沢なまでのレースで飾られている。母親譲りのブロンドは丁寧に巻かれ、ドレスと同じ色の髪飾りでまとめられていた。そのドレス一着、否、レースの一本だけで庶民の一か月分の食費にはなりそうだった。ともすれば下品にもなりかねない金の掛け方であるが、それを上等なものにしているのは紛れもなく彼女自身の美貌である。細い顎に収まった小さな赤い唇。涼しげな、それでいて煌めく茶色い瞳。どうにかして欠点を挙げるとするならば、整いすぎている鼻筋にも白粉が丁寧にはたかれて、その高さを強調していた。

 何人かの娘は、ハイリットの傍に近づくのを嫌がり、窓際へと逃げていた。何人かの娘は果敢にも隣に立とうとしていたが、あまりに差が歴然としていた。


「一体どれほどの金を使ったのやら」

「仕方ありませんわ。公爵家の御威光がありますもの」

「仕立て屋も宝飾屋も喜んで腕を差し出しただろうよ」


 意地悪く囁きあう貴族たちは、不幸にもと言うべきか幸いにと言うべきか、年頃の娘を身内に持たない者だった。遠慮のない品評と、下世話な噂話を口にしながら、手に持った酒を揺らしている。


「大体、オスカー家なんて成り上がり者じゃないか」

「滅多なことを言うものでないよ、君ぃ。ハイリット嬢が王妃にもなればそんなことを言えなくなる」

「だから今言っているのさ。ロスター家の領地と城を乗っ取っただけで、あれほど大きな顔をしているのは不愉快だね」

「ロスター家と言えば、前当主のゾーイ様がいましたわよ」

「様なんて付けなくてもいいじゃないか。あの変わり者の伯爵令嬢の従者だ」

「まぁそうですけど、血筋は高貴ですわ。その先祖に敬意を払っても良いではありませんか」

「その高貴な方を従者なぞにするリアン嬢は理解出来んね。婚約者だった男の名誉を回復してやろうとしても良さそうなものだが」

「批判をなさると処刑されるかもしれませんぞ」


 不躾な冗談を窘めるかのように、ラッパの音が広間に響く。新しい来訪者を告げる音に少し遅れるようにしてざわめきが起こった。来客たちのみならず、使用人までもが一様に驚いた表情で来訪者を見ている。ざわめきと衆目の渦中には、一人の美しい娘がいた。


「ミルレージュ男爵家の……」

「しかし今日は一段と美しい」


 アリセはそんな賞賛に対して、可憐に微笑んだ。赤いドレスは艶めく生地で作られ、丁寧に櫛を通して結い上げた髪も負けず劣らず輝いている。動くのに合わせて、結い上げた髪の中に忍ばせた小粒の真珠が覗き、それが一層美しさを引き立てていた。

 しかし、最も素晴らしいのはドレスの胸元を飾る赤い薔薇だった。どこにでもあるような造花でないことは、花弁の瑞々しさから知れる。摘んだばかりの薔薇の花はミルレージュ男爵家で育てられた中でも、最も大きく美しいものだった。だが、此処にいる殆どの人間は、それがアリセ本人によって育てられたことは知らない。


「なんて美しい薔薇でしょう」

「下手な金や宝石のネックレスで飾るより、なんと上品なことか」

「流石は男爵家の至宝ですな」


 アリセの登場により、高価なドレスや宝飾品によりなんとか自我を保っていた他の令嬢たちは、完全な敗北を味わうことになった。生来の美しさを、限られた財力で最大限まで引き上げる方法をアリセは知っていた。どのような化粧をすれば自分の瞳がより大きく見えるかも、どんな色を身にまとえば自分の肌の色が美しく見えるかも。

 アリセは静かに広間の中央へと進む。皆、彼女の姿を少しでも長く視界にとどめようとしながらも、邪魔をしないように静かに道を開けていく。薔薇の香りを四方に放ちながら歩き続けたアリセは、やがて足を止めた。


「ハイリット様、ご機嫌麗しく」


 淑女風の挨拶をしたアリセに対して、ハイリットは同じように応じた。その表情には、他の娘たちのような焦燥や嫉妬などは見られない。男爵令嬢が挨拶してきたので、侯爵令嬢として挨拶をした。それだけの態度だった。


「アリセ嬢も、変わりないようで何よりですわ」


 細い声だった。ハイリットは外見も教養も完璧に近かったが、唯一声だけは小さかった。だが、大抵の場合それは「女性らしい慎みのある声」として男性には評価されている。


「相変わらず、慎ましくて愛らしいお声ですわ。なんて羨ましい」


 アリセは微笑みながら言葉を続ける。


「私は声が大きいので、ハイリット様のような声に憧れますわ。一人静かにいたいパーティで、「君の声が聞こえたから飛んできたよ」なんて言う男性が減りますもの」

「あら、それでは口を閉ざしておけばよろしいのですわ」


 ハイリットは口元を隠して笑う。


「簡単ですわよ。上の唇と下の唇を合わせるだけですもの」


 微笑みあう二人の令嬢は、言葉さえ聞かなければ絵画のように完璧だった。城で雇っている宮廷画家たちが「白百合と赤薔薇の微笑」だの「令嬢たちの戯れ」だの題名をつけて描いてもおかしくはない。だがそこに繰り広げられる会話は決して可愛らしいものではなく、それぞれが隠し持ったナイフで斬りつけあっているに等しかった。


「ハイリット様は博識ですわ。自分のことが馬鹿みたいに思えます」

「卑下なさらなくても結構よ。アリセ嬢は聡明な方。ご自分のこともよく理解されているようですから」


 二人とも笑みは変わらない。自分こそが王妃に選ばれるのだと、信じて疑っていない者の眼差しで互いを牽制し合っている。他の者たちはそれを遠巻きに見ていたが、そのうち一人がふと疑問を零した。


「男爵は来ていないのか?」

「いや、入口までは一緒だった筈だが」


 傍にいるべき男親がいない。それはいくら娘の容姿に自信があったとしても不自然なことだった。

 だが、よく見ればハイリットの傍にいたはずのオスカー侯爵も姿を消していた。


「そういえば先ほど、侯爵が男爵を呼び止めているのを見ましたわ」

「あぁ、見たまえ。あそこにいるよ」


 広間の隅にその姿を見つけた者が、指を直接差さないように気を付けながら他の者の目を誘導する。広間の北側にある、大きな窓が並ぶ場所で背の高い男と、赤い髭をたっぷりと蓄えた男が向かい合っているのが見えた。背の高い男はオスカー侯爵、髭の男はミルレージュ男爵である。どちらの容姿も、娘たちの美しさには殆ど貢献していないようだった。特に侯爵の方は、窪んだ眼窩の奥にある黒い瞳ばかりが目立って、異国の呪術人形のように見える。


「何を話しているんだろうね」

「男爵家に帰れとでも言っているんじゃありませんこと?」

「流石にそんな恥知らずではないだろう。いやしかし、王妃になるためならあり得るかな」


 野次馬と化した貴族たちが、再び無責任な推論を口にしかけた時だった。ラッパの音が広間に鳴り響く。それを聞いた全員が、揃って口を閉ざして両手を交差し、頭を低く下げた。全員が頭を下げるのを待っていたかのようなタイミングで、純白のマントを身に着けたアルケイルが、玉座の後ろにある小さな扉から姿を現した。その側にはゾーイが控えている。そのためなのか、いつも自信なさげにしている国王も、心なしか胸を張っているように見えた。


「頭を、上げて、よろしい」


 言葉を少々途切れさせながらアルケイルが告げる。言葉は前国王のそれだったが、まだ初々しさや戸惑いが残っていた。

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