第21話 殺される!

 まさか前を警官二人を乗せたパトカーが走っているとは思わない。

 降りしきる雨。薄暗くなる中、ゆっくりと一つ、また一つ、カーブを通過して斜面を上がっていく。

 ヘッドライトをつけても先が見えないほどの雨になってきたが、男はよく知っているらしくアクセルを緩めることなく登り続ける。

 大男で腕力も強そうだが、細部にまで目が行き届かないところもあった。

 運転する後ろの席で仰向けになっていた美桜は、ふと意識を取り戻した。

 手足と口の不自由さに気づき、必死にもがいていると、手首の縄が緩んでいくのがわかる。慌てていたのだろうか、不器用なのか。あるいは雨で濡れていたから指先が滑ったのか。ともかく、美桜を拘束していた縄は、しっかりと縛り挙げたつもりでも、ゆるゆるに解けていく。

 逃げられるかもしれない。逃げなくてはならない。でも車はエンジンをうならせて進んでいる。どうすれば逃げられるのか。

 大男が運転席にいる。すぐそこだ。

 縄を解いたとわかったら、なにをされるかわからない。殺されるかもしれない。いや、間違いなく殺される。どこかに死体を埋めるために、急な傾斜を登っているのだ。

 しばらくは手が自由になっても縛られたふりをしていたが、やがてその縄を男の首にかけたらどうなるか、と閃いた。

 腕力ではとてもかなう相手ではない。後ろから縄をかけて、美桜自身の全体重をかければ、さすがの大男も動けなくなるのではないか。車が停まれば逃げられる。とにかくこのまま進めば男の思う壷。恐ろしいことが待っているに違いないのだ。

 いつやればいいのか。いまにも車を停めて美桜の様子を確認するかもしれない。道路の状況のせいか、クルマの速度は遅い。それでもこうしていれば目的地に着いてしまう。そこで待っているのは死。

 カーブを曲がるときよりは直線のときの方が揺れは少ないので、チャンスがありそう。ところが山道はなかなか直線はない。常に右か左に振られている。

 いくつかのカーブのあと、美桜は自由な手にロープをしっかりと巻き付けて握り締めた。いつでもやれるように。

 男はなにも気付いていない。視界が悪いので運転に集中しているのだろう。

 そのとき、道路は平坦になった。車の速度も少し上がる。

 美桜は、ふわっと縄を男の頭からかけて、思い切り肩のあたりへ全体重をかけて引き下ろした。彼女は体重をかけるためシートから床へ転が落ちた。

「ぐああ」

 車はぐらつくものの、スピードは落ちない。

 死んでいないのか。もう一度やるしかない。

 美桜は縄をたぐって上体を起こした。男のシルエット。手で縄の絡んだ首のあたりを掻きむしっている。

 そのとき、なにか巨大なものがヘッドライトに浮かび上がったように見えた。光が反射し、驚愕している男の目が見えた。

 美桜はそのあまりにも不思議な光景に、なにがなんだかわからなかった。

 一抱えもあるような巨大な木が真横になって車の前を、ゆっくりと横切っていったのだ。

「え? なに? どういうこと?」

 次の瞬間、ドーンと車は横から押されるように斜めになり、さらに下向きになって車輪が空転した。

 縄を男が掴み、ひっぱられた美桜は思わず手を離してしまった。

 鬼のような形相で振り返った男。

「殺される!」

 次の瞬間、ガシャンと激しい音と衝撃。

 なんと車はさらに下へ落ちていきながら、そこに倒れていた太い木がフロントグラスを突き破って車内へ飛び込んできた。

 バリバリメリメリガリガリと激しい音。

「あっ」

 床に転がりおちた美桜の上を木の枝が、ずぼぼぼぼっと通過していく。

 そのおかげで車の落下は停止したものの、まるで串刺しのようになっている。

 車内は杉の木の枝でいっぱいだ。身動きできない。そこから雨のしずくや泥や枯れた葉が落ちてくる。

 必死で足にからまる縄も解いたが、口に貼られた粘着テープがうまく剥がれない。皮膚がちぎれそうに痛いのでとりあえずそのままにして、木が貫通していって半分ほど開いた後ろのドアへ向かってゆっくりと這っていった。

 自分たちがいまどうなっているのかわからない。運転席の男がどうなったかもわからない。彼女が動くと車も気持ちの悪い揺れ方をする。もしかするとさらに落下するのか。それが怖くてならない。早くここから出なければ……。

 枝を折りながら、掴みながら、必死に後方へ体を動かしていくと靴が脱げてしまった。それを取り戻すこはできそうになく、顔も手も足も木の枝に擦れて傷だらけになりながら、座席と天井の間を乗り越えていった。

 真後ろのドアが半分ほども木で持ち上げられている。驚いたのはそれが木の根っ子の方だったことだろう。こんなに間近に太い木の根を見たことはなく、ルームライトに照らされた泥だらけのそれは生き物のように気持ちが悪く見える。必死にそれを掴んで体を引き上げた。

 車は前方を斜め下に、左側へ大きく傾いていて、ねじれた空間のようになっている。

「がんばって」

 声が聞えたような気がした。優しい女性の声だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る