第13話 トンネルの中
「頭は打ってないから」
「しょうがないな」とADも肩を貸し、みんなでディレクターをバスの中へ。
「なにがあったんです?」と希愛。びしょ濡れの音声さんが「トンネルの柵が突然倒れてきたんですよ」と、彼も手の甲からうっすら血が出ている。
「ええっ!」
ディレクターはさっきはふらついてステップに落下、今度は柵が倒れかかり捻挫。なにかおかしいと誰しも感じている一方、撮影をやらないと帰れない、いやこれは偶然ではないとすればドキュメンタリーとしてむしろ歓迎すべき……。彼らの中でも、さまざまな思いが錯綜していることが、希愛にもなんとなく伝わってくる。
希愛はバスの中で男たちが大騒ぎをしながらディレクターの足を手当しているので、中へは戻らず、ぼんやり立っていた。もちろん、こんな状況でもカメラは回っている。雨で取れ高が期待できないのでなんでも撮影しておくのだ。わかってはいても、希愛はこういう業界体質には馴染めない。
すぐに病院に戻って手当を受けるべきだろう。そもそもこうしたケガの連鎖は、祟りや怨霊の仕業というよりは、ムリなスケジュール、過度な緊張状態の連続、酒の飲み過ぎ、睡眠不足といった劣悪な環境によって引き起こされるのだ。
アスリートはケガをする畏れのある試合の前に、どれだけ時間をかけて心と体のケアをするのか。希愛はそれが足りずに選手を諦めるほどのケガをしたのだが、仕事も同じではないのか。
希愛は世の中ではそうではないことを学んでいる。仕事に対して、試合に臨むような準備をしている者はほとんどいない。まして希愛の飛び込んだ業界では。
希愛は漠然とあたりを見渡す。
トンネルはすぐそこだ。こんな近くにいたのか、と改めて驚く。
バスから見たときは、トンネルというよりも洞穴のようで、人が入るにしても小さすぎると思えたのに、いま目の前にすると大きく感じる。
入り口を塞いでいた柵は、三枚の大きなパネルをつないだような形状で、その一番右側が地面に倒れている。この三枚を横に串のように通していた太い鉄の棒が、ポッキリと折れている。
細野屋籐七朗が、その断面をじっと見つめている。まるで、いまさっき彼が不思議な力で柵を破壊したかのように。
直径二、三センチはある。それがスパッと切断されたように鮮やかに輝いていた。
いまではトンネルのかもしだす不気味さと霊能者の出す不気味さ、そしてこんなときでも撮影し続けるスタッフたちへの違和感が混じり、雨を通してもなお希愛にビンビンと痛いほどの嫌悪として伝わってくる。
「ここにいちゃダメだ」と思わず呟いている。頭の中は「ここにいちゃダメ」がぐるぐる回っている。
それを宣言しようとバスへ乗り込もうとしたとき、「いやあ、びっくりしちゃったよ」とディレクターを先頭に男たちが再びバスから降りてきた。今度はネコノミニコンのメンバーたちもぞろぞろと降りてきて、その様子も撮影されている。希愛は少し離れて彼女たちを見守ってついていくしかない。
「では、いきますね」
ディレクターの声。清美たちは薄っぺらな台本を希愛に渡すと、照明で入り口付近だけ明るく輝いているトンネルの前へ。
ここからは予定されていたシーンの撮影が始まる。
「とても強い力があります」と細野屋の声が響いてくる。声だけはいいんだな、と希愛も感心する。自信たっぷりでよく通る。
キャーとかワーとかリアクションする彼女たち。賑やかさはあるものの、細かいセリフは雨に消えて希愛のところまでは届かない。こんな状況でも収録は順調に進んでいる。仕事は仕事だ。
「中へ入るのはとても危険です」と細野屋の声。
希愛には、なぜか彼の声だけがよく聞えてくる。妙な悪寒とともに。
「えっ、入るの?」と慌てます。そもそも閉ざされているトンネルが前提だった。中へ入るシーンなど予定にはない。たまたま柵が壊れて倒れた……。のか?
ADが彼女たちから傘を受け取り、ぴょんぴょんと彼女たちはトンネルの中へ。照明でキラキラと光る濡れた岩肌が剥き出しになっており、まるで巨大な口の中へ飛び込んでいくかのよう。
「ちょっと、それはダメでしょ」と希愛は駆け寄ります。
すでに撮影中。ADに遮られてしまう。
相談も受けていないのに、これを止める権限は希愛にはない。彼女たちが危険な状態ならともかく、トンネルに入ったすぐのところで、なにかやり取りをしているだけなのだ。ここでマネージャーがしゃしゃり出れば、撮影がさらに遅れて迷惑をかけてしまう。
スタッフがもう少し多ければ、近くにいるスタッフに声を掛けることもできるだろう。希愛を遮ったADも、いまはトンネルのすぐ近くまで行ってしまい、みな撮影に夢中になっている。
あれだけ深かった闇の、ほんの一部だけが煌々と照らされていて、まったく無害な岩肌にしか見えない。
そのとき、希愛の微かな疑問は確信になる。いまから撮影というときに、そんなに都合よく柵が壊れるなどということはあり得ない。いくら老朽化しているとはいえ、鉄の棒をスパッと切断するようなことは、よっぽどの超能力者でもない限りムリだ。少なくとも細野屋にそんな力はない。あれば、こんな番組に出ているはずもない。
確か、ディレクターたちは昨日もここに来ていたのだ。
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