第14話 脇道

「やったな」と希愛さんは呟く。

 あのディレクターたちは、昨日ここで柵を壊したのだ。だったら、捻挫も芝居なのではないか。この業界ではなんとか爪跡を残したい人間が、どんなことでもすることを、希愛も理解するようにはなっていた。業界の外れも外れの半地下ではあったが。

「敵を欺く前に、まず味方からってこと?」

 それにしても、なにも知らせないでおくことは、共犯にはされないだけマシである。だからといって希愛たちがそれを非難することもできないことを知っていてのことだ。タチが悪い。

 そのとき、ADが走って戻ってきた。

「どうしたんですか?」

「え? いえ、バスの向きを少し変えてヘッドライトでトンネルを照らそうと思って」

「そんなことをして」と希愛は思う。これまでもこうした現場では、みな真剣に仕事に取り組み、熱心さのあまり世間の常識からはどんどん逸脱していく様を見てきた。たいがいのことには驚かなくなっていたが、ここに着いてからはいちいち気になってしかたがない。ここはスタジオでもライブハウスでも秋葉原でもない。

 細野屋から「あなたは大丈夫だから」と言われたことも気になっていた。自分は大丈夫だとしても、誰かは大丈夫じゃないかもしれない。だとすれば、すでにメンタルでかなりやられているネコノミニコンのメンバーたちこそが危ないのではないか。彼女たちを守らなければならない。こんな状況で彼女たちを守ることができるのか。

 これ以上、メンバーが減ったら間違いなく解散するだろう。

 最年長の清美が最年少の明日華と組んだユニット「あめりけん」は、解散への布石ではないかと数少ないファンたちがネットで解釈していた。それは正しい。

 希愛は、清美が事務所の社長の愛人であることを知っていた。彼女の引退を引き伸ばすための新ユニットである。ただ、あくまで噂だが、社長はいま明日華に手をつけたか、あるいはつけようとしているらしい。それは、社長として若く将来のありそうな方へ乗り換える布石でもあった。清美は捨てられてしまうだろう。美しい解散などあり得ない。

 解散と修羅場が同時に来るのか。そのとき、自分はどうするのか。希愛は正解のない疑問を抱え、自分ではどうしようもない不安をいくつも引き受けている。それが迫り来る尿意とともに、焦りへとつながっていった。

 バスのエンジンがかかり前後に少しずつ動かしながらヘッドライトをトンネルに向けた。

「OK、OK」と久しぶりにディレクターの元気な声が聞えてくる。やはり捻挫はウソだったのだろうか。

 キラキラと光る雨粒の向こうに、トンネル内の岩肌が露わになる。あたかも漆黒の中に宝石が光るかのように、誰が掘ったか削ったかわからない岩肌が牙のようにギラッ、ギラッと鋭く反射している。

 昼間に自然光で見るよりも、この薄暗い中で見る方が、おどろおどろしく、せっかくライトを当てたのにちっとも明るくなった気がしない。表面的な闇ではなく、その世界そのものが沈み込んでいくような深さがある。

 懸命に仕事をしている彼女たちの姿に、希愛は「私が守る」と改めて決意した。「私は大丈夫。だから私が守る」と。

 幼い頃から柔道を教わって、彼女の頭の中には正義であるとか人として守るべき道が叩き込まれている。ある意味、頭が固い。ある意味、一直線。それがこんな思いがけない脇道にはまり込んで抜け出せなくなっている。

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