第16話 つながらない
希愛は警官とトンネルへ駆け寄った。
「はい、OK」のディレクターの声。悲鳴はある種の演技。ドキュメントのようでいて演出のある世界ならでは。撮影中だったのだ。希愛と警官が飛び込もうものなら、また怒られるところだった。
「終了です」
「おもしろかったー」と清美たちが走ってバスへ乗り込んでいくので、希愛もあとに続く。「大丈夫だった?」と声をかけると「平気平気」「寒くなってきた」「お腹すいた」といった声。
バスに乗るとホッとする。暖かいし乾いている。かえって自分たちがびしょ濡れであることが余計に嫌になる。
「着替えたい!」と彼女たち。
「いまはムリだわ」
それでも仕事を無事にやりとげて緊張の解けた女子たちの普段の表情を見て、希愛も安堵した。警官まで来てくれたのだから、ここではなにも悪いことは起きない、誰も傷つかない、と希愛も思いはじめていた。
あとは帰るだけ。この時間から帰るとして、それほどの雨なら当初の予定どおりに列車が動くかどうか。もしダメなときにはどうするか、希愛はスマホでいろいろと検索を始めたが、「なにこれ」と途中で諦めた。
なんと、ネットにつながらない。それほど深い山でもないのに。
試しに事務所に電話をかけてみるのだが、これもつながらない。
「こっちもダメだ」と清美たちもスマホを手にして嘆いている。SNSでその日の活動などを彼女たちなりにアップすることは、仕事の一貫でありファンサービスであり、ある意味で命綱のようにも思える大切な習慣となっていた。「撮影終了! 帰りまーす」といった書き込みをしたかったのに、残念がっている。
「それよりも、ちゃんと電車が動くのかな」と清美たちも心配しはじめる。
「早く帰りたいな」
「すき焼き食べたい」
「おまえに喰わせる肉はねえ! その辺の草でも喰ってろ!」
「うっせえ、あんたこそ豆苗食べてればいいでしょ。豆苗ババアのくせに」
そんなバカな会話が飛び交っている。
希愛は事務所にまだ誰かいる時間だけに、なんとか電話をかけたかった。撮影が終わったから帰ること、雨が激しいこと、明日の予定に変更がないか確認したい、ネットがつながらないので帰りの乗り物の予約ができていないなどなど、報告したいことはいっぱいある。
「なんで……」
二度、三度、試してもつながらない。
「ね、みんなのスマホ、どうなの?」
「えー? これ、マジやばいかも」
みんなもネットも電話もつながらない。
技術的なことに詳しいはずの男たちなら、なにかわかるかもしれない。あるいは警察官なら……。
男たちはすぐには戻って来ない。見れば、倒れた柵を起こして、切断された棒のあたりになにか別のものを取り付けて誤魔化そうとしている。
「用意周到」と希愛は思ったが、ぬーっと細野屋が入ってきて、彼女を手で払いのけるようにして自分のお気に入りの運手席の後ろに座る。
よっぽど「あなたは大丈夫だから」の意味を確認したかったが「希愛さーん」と清美たちに呼ばれて後方へ。明日の仕事の話を確認するが、このままでは現場へ辿り着けるのかもわからない。
「お疲れ様」と声がして、ディレクターたちも戻ってきた。
「じゃ、警察も来ちゃったことだから、とりあえず先ほどの病院まで戻ります」
戻ればトイレに行ける、と希愛もかなり体がしんどくなってきているのに気付く。いまや恐怖や不安よりも、トレイが最重要課題だ。電話もネットもそこへ行けばなんとかなる。あと二十分か三十分で解決するはずだ。それまでは我慢するしかない。
バスは方向転換に苦労したものの、なんとかパトカーのあとをついて道を下りはじめた。スリッピーな道だけに、運転はより慎重でノロノロだ。
気象予報は的中したらしく、あたりは到着してきたときの何倍もの激しい雨になっていた。バスの屋根を打つ雨音でエンジン音もかき消され、会話も大声でなければ通じないほどだ。
「なんだ、つながらないよ」とディレクターたちも困惑している。
その様子に希愛も麓に戻るまで電話は諦める。彼らでどうにもならないのなら、諦めるしかない。
ヘッドライトに照らされた道路は川の浅瀬のように水が流れている。まだ日没前というのにワイパーをいくら高速にしても、視界は悪いまま。パトカーの回転灯とテールランプがあるおかげで、なんとか道路を走っている。
「いやあ、パトカー、来てくれて助かりましたよー。ぜんぜん見えない」とADの声。彼の運転は登り道でかなりの腕前とわかっていたものの、これだけの雨の中をまして山道を走った経験はなかった。道というよりも川の中を移動しているようなものだ。希愛たちも気が気ではない。スマホも使えず、ぐったりとしている彼女たち。トイレに行きたい希愛。
日没にはまだ時間があるとはいえ、山の日暮れはそうでなくても早い。あたりは真っ暗になってきた。森も深くなっている。
「おおっ」と突然、ADの叫ぶ声とともにバスは停車した。
「なんだ、どうした」
ディレクターたちも声を上げる。
「パトカーが急に止まったんですよ。ぶつかったかと思った」
赤いテールランプがフロントグラスに乱反射している。
「どうしたんだ、なにがあったんだ」
「わかりません。見えないんです」
「ぼく、行きます」と音声さんが傘を手にして外に出ようとしたとき、懐中電灯がこちらに向けられた。警官がやってくる。
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