第17話 ハプニング、大歓迎
ドアを開けた音声さんに、「この先、道がなくなっています」と警官が叫ぶ。
その言葉の意味を誰もがすぐには理解できない。
「どうやら崩れてしまったらしく、いまもがけ崩れが拡大していて危険です。戻りましょう」
その言葉を誰もが理解できない。この時代に、道がそうそう簡単に崩れるなどということがあるのか。ここはオリンピックも万博もワールドカップも開催できるまがりなりにも先進国、日本ではないのか。ときおりニュースで取り上げられる大惨事のようなことは、日本では滅多にない、まして自分たちの周辺では起こらないと思い込んでいたのだ。
「ウソだろ」と音声さんは信じない。傘をさすと豪雨の中を外に出ていった。
代わりにずぶ濡れの警官が入ってきて、もう一度、みんなにわかるように告げるのだ。
「残念ですが、この先の道が崩れていて、いまもそれが広がっているみたいで、とても危険です。いったん、戻りましょう。ここにずっといるのも危険です。トンネルの前なら比較的いいのではないですか。あそこはかなり昔からあのままのはずなので、しっかりしているのではないでしょうか」
「戻るって、バックしろってことですか?」とADの叫び。
「真っ暗で、この雨ですから、バックで戻るのはムリでしょう。みなさん、荷物は置いて、体だけでトンネルまで戻ってください」
もちろん、最初に「えー」と声を上げたのは、ネコノミニコンたちで、希愛さえも「うそ」と叫んでいた。
「いやだ、ぜったい、いや!」
「歩くなんて、ムリ」
「怖い」
「ここがいい!」
誰一人、バスを降りる気がない。
それは希愛も同様だ。あのトンネルに戻るのはゾッとするし、トイレが遠ざかる。
「なんとかなりませんか?」と希愛は情けない声が出てしまう。
その時、ひときわ大きな声を上げたのは、細野屋籐七朗だった。
「あそこに戻ってはなりません!」
すると、ディレクターが「そういうの、いいから」とつぶやきながら「どうしてですか、先生」と一応、真意を伺う。
「これから夜になる。雨で夜。あそこに巣くう魔物たちが好む条件です。さらに、そこにうら若き乙女たちが向かうなど、絶対にあってはなりません」
「化け物でも出ますか?」
「だったら、それを撮ったらいいかな。へへへへ」とカメラマン。
スタッフたちはトンネルに戻ることを了承しているらしい。
「ハプニング、大歓迎ですけどね」と常人の神経ではない彼らは、撮影準備をはじめる。機材を持ってトンネルへ戻ろうというのだ。
「まだバッテリーもあるし」
「ここで救助を待つのはどうでしょう」と希愛も負けない。「そうだ、そうだ」とネコノミニコンたちも、面倒なことが嫌な上に、雨の山道を歩くのはどうしても避けたい。せっかく服も少しは乾いてきている。
「トンネルに戻りましょう。その前にがけ崩れの絵も押さえておこう」とディレクター。
バスの中は、男たちと女子の対立といった様相に。こういうときに、一番やってはいけないことは、男たちが「これぞ正解に決まってる」と主張することかもしれない。合理的、論理的にいくら正しいことを言っても、そこに男がしばしば陥る独善的で、黙ってろ的な圧力が滲み出したとたん、女子の感情的反発はMAXになるのだ。
ワーワーと埒のあかない言葉の応酬。
うんざりした警察官が「すぐそこが崩れていて、いまもそれが広がっているんですよ。この先、道はないんです。ここにいたら危ない」ともう一度、丁寧に説明している。
「残りたいやつは残ればいいじゃないか」と無責任なカメラマンの声。
「それはよくない」とさすがにディレクター。「救助が来るまで指示に従った方がいい。ところで、救助はいつ来るのですか?」
警官はすぐに返事をしない。
バスの中に奇妙な沈黙が訪れた。ザーッと激しい雨音は、バスの天井を叩き、窓を叩き、地面を、そして周囲の濃い木々を叩いる。何十分もその勢いは止まらない。
「それが」
警官は間を取った。
「無線が通じません」
ザーザーと雨音がその言葉だけではなく、自分たちをも、この世から消そうとしているかのようだ。
「電話もです」
「ネットもだよ!」
再び女子たちの文句が波のようにバスの中を行き交う。
突然、ディレクターがケラケラと笑った。
「ウソでしょ。じゃ、ここで僕たちがこうしていることを、誰も知らない?」
「いえ、署には病院を出発するときに連絡を入れています」
「でも、救助は来ないんでしょ!」と日奈子が突然、叫んだ。「私たち、ここで死ぬの! こんなところで死ぬの!」
女子たちのパニックを食い止めようとする希愛だが、自分自身も叫び出したい。
その横に細野屋籐七朗がぬーっとやってきた。希愛とともにまるで防波堤のようにパニックの波を食い止めようとするのだろうか。
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