第18話 正体やいかに

「大丈夫よ、とりあえずトンネルに避難した方がいいかもしれない」

 希愛がいくらなだめても、彼女たちはなかなか落ち着きを取り戻せない。

「黙れ!」と突然度鳴ったのは、細野屋籐七朗だった。ろうろうと響く声は舞台俳優のよう。そもそも彼は若い頃劇団に所属し、何十という映画やドラマに端役で登場していたのだ。当時は紅顔の美少年とまではいかないまでも、地元では二枚目。ところが東京に出てみると凡庸な男に過ぎなかったのでエキストラの仕事が精一杯。これといった才能もなく、三十代になっていたあるとき。ミニシアターで霊能者の役を得た。するとウケるウケる。彼は天啓を受けて役者として邁進した、というのではなく、むしろキッパリと役者を諦め、自らを霊能者と名乗ることにした。当時のテレビ関係者と組んで本物になろうとしたのだ。そして、いろいろな人たちを騙したり誤魔化したりしながら、なんとかかんとか生き延びてきた。

「これは議論することではない。目の前の危険に立ち向かうためには、ただちにバスから降りてトンネルへ戻る。そこで救助を待つ。ほかに方法はない。それだけです。そういうことですね?」と警官に問いかける。

「はい」

 希愛も驚く豹変ぶり。さっき「戻ってはいけない」と叫んだこの霊能者が、いまは戻れと言い出す。

 それって何? この人バカなの? やっぱりさっきのは演技?

「どうやって、この状況を、本部でしたっけ、そちらへ知らせるのです?」

「私たちが歩いて降ります」

 警官がきっぱりと告げる。

「道はあるんですか?」

「あるはずなんです。いまは使われていませんが、かつてはそれがトンネルへ行く唯一の道だったはずで……」

「あー」とディレクター。「おい、あれ、見せろ、ドローンのやつ」

 小型のモニターに昨日撮影した映像が映し出され、ADが素早く頭を出す。

「昨日、トンネルの下見をする前に、ちょっと晴れ間があって、空撮やっちゃおうってことで病院からドローンを飛ばしてみたんです」

 雲が多いとはいえ、穏やかで明るい緑の中をゆっくりと上昇していく映像。濃い緑でびっしりと埋まる山肌をなめるように移動していく。霞やモヤもかかる中、確かに人工的な線のようなものが見え隠れしていた。

「ほら、ここ。これ、道でしょ」とディレクター。

「そう、ですね」

 木々の間にわずかに道らしきものが見えた。あくまでも「道らしきもの」で、はっきりとはわからない。

 そして例のトンネル。突然そこだけが開けて、まっ黒い穴とそれを塞ぐ柵がはっきり見える。ドローンはそこに近づいてから、ぐーっと離れていった。

「直登ルートって感じですよ。歩けるんですか?」

「ジグザグになっているはずです。工事のときに荷揚げをしていたというので、それなりに使えるはずなんですが……」

「確か標高八百メートルほどの山ですよね。その中間か、やや下ぐらいにトンネルがあるので、標高は四百メートル弱ってところでしょう。病院は平地のちょっと高くなったところにあるので、おそらく高低差も四百ぐらいはありそうですよね」

「ブラタモリかよ」と誰かが茶々を入れる。

「崖が崩れるほどの雨ですよ。夜になるし」

「誰かが行くしかないでしょう。それは我々の仕事です」と警官。

 こうした声を受けて、ようやく女子たちも落ち着きを取り戻した。誰かが助けを呼びに行ってくれるのなら、おとなしく待つしかない。

「荷物は最小限に。ほとんど置いていってください。それに動きやすい服にしてくださいよ。体を冷やさないように重ね着をしてください」と警官。

「えー」

 またしても女子たちはあーでもない、こーでもない。

「機材は持って行くからな」とディレクター。「撮影もする」

 ついに自分にも運が向いてきた。こんなことは滅多にない。もしかするとニュースで流れるかもしれない。しっかり撮影すればコンテンツとしてもいいものになるだろう、これはチャンスだ、有名になるかもしれない、次の仕事が来るかもしれない、この作品が評価されるかもしれない、抜擢されるかもしれない、お金が貰えるかもしれない、慰謝料も払えるかもしれない、馴染みの店の借金も返せるかもしれない、もっと広いマンションに住めるかもしれない、ハワイへ遊びに行けるかもしれない……。

 制作意欲と個人的欲望が混在したディレクター。その欲は、いまここにいる誰よりも大きい。それを止める者はいない。

 くじいたはずの足首も、打ったはずの頭も、彼にとってはもはやどうでもいい。もっと大きな、業界的に言えば「フック」がいま目の前に示されている。未曽有の大雨、決死の救助、アイドルグループ、心霊スポット……。おいしさの塊がそこにあるのだ。しかも紛れもないノンフィクション。

 自らGoProを頭に装着。自分の目線でも撮影する。

「希愛さん」と清美が声をかけてきて、ハッと希愛も我に返った。

「これ、お願いね。私たちの最小限の荷物にまとめたから」

 素早く着替えた彼女たち。私服といっても見栄え重視の格好だが、全員色気もなにもないズボンと重ね着でもこもこしている。彼女たちのスーツケースはそれぞれ、泥棒に物色されたかのような散乱ぶり。一つのスーツケースに「絶対に持っていきたい」と主張するさまざまなものが詰め込まれて、それだけを持って待避するのだと主張する。

 マネージャーとしてその荷物を運ぶのが希愛の役目と言わんばかり。片手では持ち上がらないほど重い。ハンドルと車輪がついているからといって、この山道、役に立つかは不明だ。

 てきぱきと機材を持ったディレクターたちがバスから降りて行くと、あれだけ嫌がっていた彼女たちもさっさと付いていく。こうなると置いていかれるのが怖いからだろう。

「早くしないと、崖が崩れちゃうよ」「怖い」「ヤバイ」とはしゃいでいる。

 希愛はひとり、何が入っているのかやたら重いスーツケースを持たされて最後にバスを降りた。

 地面はぬかるみを通り越し、川の中にいるかのよう。流れてくる水は、彼女の両足にぶつかって左右に分かれて流れていく。

 道は緩く上へと傾斜しており、トンネルの方からはもちろん、すぐ横の山肌からも水が流れている。これなら確かに崖が崩れてもおかしくはないな、と納得する。それは恐怖であり、同時にエネルギーとなって足を速めるのだった。

 遅れたくはないのでスーツケースを持って、なおかつ傘を持って急ごうとしたとき、「うわああああ」と明らかな人の叫び声のようなものが背後でした。雨音を突き抜けてくるその声。

 錯覚でしかない。なにかの聞き間違いだ。

「うああああ」

 確かに聞えてくる。

 人なのか獣なのか魔物なのか。

 希愛は恐怖に凍り付いた。見てはいけないものが、背後にいるのではないか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る