第48話 川田と清美

 彼は拳銃の感触を楽しんでいる。銃身の短いリボルバー。赤堀ジュニアの分厚い手の平の中では、小さく感じる。

 野上が近い。そう感じた高森は、後頭部を野上にぶつけて、振りほどこうとした。

「お前みたいなよそ者に、とやかく言われたくないんだ。この人殺し野郎が」

 パンと乾いた音が階段に響いた。あまりにも至近距離で三人とも耳が一瞬、おかしくなっていしまった。

 赤堀ジュニアはいきなり引き金を引いたのだ。

 しばらくして高森は野上が「ぐううう」とうめいていることに気付く。思い切って振り切ると、彼女から力が抜けていた。一瞬で立ち上がることができた。

「よせ」

「来るな!」

 赤堀ジュニアは拳銃を構えたままゆっくりと階段を後ずさりしながら三階へ戻ろうとしていた。

「ああっ」

 野上の声に、高森が振り返ると、さっき発射された弾丸が彼女の右側頭部を吹っ飛ばしていたことがわかる。顎が裂けて耳は吹き飛び、そのあたりの頭骨がえぐれ、脳が剥き出しになり、大きな損傷を受けていた。

「はああ」と野上は、なにがおかしいのか、笑うような声を上げていた。自分の身になにが起きたのかわからないまま、踊り場に仰向けに倒れていった。

「ちくしょう」

 高森は赤堀ジュニアの足に飛びかかった。

 パン!

 もう一発、撃った。なんの訓練も受けていない者が撃って、そう簡単に当たるものではない。弾は階段の上のコンクリートを削ってどこかへ消えていった。

 高森はいっきに赤堀ジュニアの足をすくい、さらに腕をつかんで、そのまま階段に押し倒した。

「ぐあっ」

 受け身も取れずに倒れた赤堀ジュニアは、後頭部を階段に激しく打ち付けてしまう。このまま制圧したい、と高森はその腹部から下半身にかけて体重をかけながら、拳銃を持つ腕を必死に掴んでいた。

「離せ、離せ!」

 パン!

 もみ合っているうちに発射されると、赤堀ジュニアは力なく階段に倒れたままになった。彼の体から力が抜けていく。もう抵抗はない。

 高森が彼の腕を掴んで拳銃を奪い取ろうとしたとき、思い切り肘を縮めて抵抗した赤堀ジュニアは銃口を上に向けたまま引き金を引いていたのだった。銃弾は彼の右の顎の下から左頭頂部を抜けていった。

 左の眼球が飛び出している。

「バカ野郎! なんてことを!」

 その一因は高森自身にもあるのだが、自分の拳銃で二人の命が瞬時に奪われた事実に驚愕しつつ、受け入れることができずにもいた。

 勤務中に一度も拳銃を握ったことはなかった。訓練でしか撃ったことはなかった。まして人に向けたこともなければ、威嚇でさえ発射したこともない。

 それなのに……。

 高森は急いでベルトを取り戻し、拳銃をホルスターに戻した。

 三階の廊下からは、いまのところなにも変化は見受けられない。銃声は響いたはずだが……。

 いつしか踊り場まで水がきていた。野上の遺体が浮いてふわふわと揺れている。破壊された顔は、笑っているようにも見えた。暗いので、それ以上はわからない。

 高森は、赤堀ジュニアの遺体も踊り場に引きずりおろした。そして二人を水に沈めようとした。完全には沈まないが、とりあえず遠ざけたかったのだ。

「はあっ」と息を吐いて、いま起きたことを自分の有利な方向で解釈しようと試みる。報告書には、どう記すか。想像力を膨らませる必要がありそうだ。

 そして頭を振る。ここで起きたことは、もはや本部にまともに報告できないし、自分の経歴の汚点でしかない。拳銃を奪われて犠牲者が出た。すべて高森の責任だ。

 異常な事態の中で起きた事故だ、と自分に言い聞かせる。警官ひとりではどうにもならなかった。だからといって、起きたことを正当化できない。

 三階へ行こうと階段を上がる。

 そのときなにか重たいものが髪の毛にくっついているような気がした。

 なんだろう。手をやると気味の悪いものがべったりとへばりついている。

 その手に光を当てると、真っ赤な血だった。

「へっ!」

 自分も撃たれたのか。

 いや違う。

 髪に野上から飛び散った血と脳みそがべったりと貼り付いていたのだ。

 腕から胸にかけて、赤堀ジュニアの血も飛び散っている。ジャージに染み込んでいる。

 暗い中では、それは目立たない。それでも、踊り場に戻って水で洗ってみた。よく見えない上に、そもそもちゃんと血液を洗い流すことなどでるはずはない。それでも少しは気持ちがすむまで、水をかけて手で拭った。

「ちくしょう、ちくしょう」とつぶやきながら。

 二人の遺体は二階の闇に消えてしまっていた。


 雨に加えて激しい風が加わってきた蛇角山の中腹。下っている川田と清美。手を取り合って、道なき道を進んでいた。

「こっちかな」と川田。

「こっちかも」と清美。

 懐中電灯を持っているのは清美だが、照らすと、光の輪に浮かび上がったところがいかにも道のように見える。それぐらい、右も左も藪で、しかも山全体が雨水に洗われている状態だから、崩れて出来た道のようなものなのか、本来あった道なのか区別がつかない。

 そのため、「きゃー」と突然、清美が尻餅をついて落下しそうになって、それを川田がしっかりと手を掴んで引き留めることもしばしばだ。

「もう、いやっ!」

 何度も清美は動けなくなる。それを川田が抱き締める。軽い清美の体は、川田にとっては片手だけで支えることができた。

「ここにいたら危険なんだ。早く病院に行かなくては」

「うん」

 川田に力を貰って、清美は再び道を探しては下っていく。その繰り返し。

 実際、二人は本来あった道、つまり高森が美桜を背負って希愛と下った道からは外れてしまっていた。とはいえ、山を下りさえすればなんとかなるはずだ。それを信じるしかない。

「な、なに、これ!」

 懐中電灯の照らしたものを、清美は理解できなかった。

 いままで急峻な山を下っていたはずで、すでに何時間も同じことをしてきたような印象がある。

 ところが、目の前を右から左へ水が流れている。それもかなりの勢いだ。藪も樹木も水の中から生えている。その木々に水がぶつかって波しぶきを上げていた。これほど大きな川がこのあたりにあったのだろうか?

「うーん」

 川田もその光景に唖然としていた。

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