第45話 トンネルに背を向けて
「うーん、どうかな。これだけの雨を降らし続けている。まだまだ被害は大きくなるかもしれない。それだけ力がある。母親のように、うまく帰せるかはわからない。それに、すでにタイミングを逃している」
「いつがよかったのだ?」
「今日だ。いや昨日やっておくべきだった。明日になったらもう遅い」
「もし彼女をトンネルに帰せなかったら?」
「これまでは十二年ごとに起こる災いだった。それを防ぐためにおれたちや村、いやこの町の者でやってきたことだ。少なくともこの百年ほどはそれでしのいできた。災いを最小限に留めた。犠牲はいつも一人で済んだのだ。今回はそうはいかない」
「これからどうなるんだ」
「わからない。誰も、そんなことは知らない。この三百年の間に積み重なった犠牲者の怨念は、どれぐらいの大きさになっているのか、わかるはずもない」
「うううっ」
苦しげな細野屋。
「先生!」
清美はすぐ近くまで来ていた。
「ちくしょう。本当の力が欲しかった」
それきり、細野屋はなにも言わなくなってしまった。
大きな影から、ひとつの影が分離していく。
「おまえ、誰だ」
「私は、関係ない!」と清美は叫ぶ。「そんなことと、なんの関係もない!」
「引き寄せられたんだよ。お前たちは」
ついに立ち上がった影が、再びトンネルへ向かって進む。
「ねえ! どうするの! これから、どうすればいいの!」
なにも怖くないのか、影はトンネルの柵に積み重なった遺体を、外に引きずり出して並べていく。人形のようにねじれた体を、可能な限り元に戻していく。衣服は剥がれ破れ、洗濯物のように絡まってしまっている。
「これがなんだかわかるか」
闇の中でも、ほんのり白いものを影は手にしていた。
「骨だ。これは彼らのものじゃない。もっとずっと古い骨だ」
「なんで? そんなもの、私と関係ないから!」
「もう関係してしまった。ここにいる以上、逃れられない」
「だから、どうすればいいの?」
「おれにもわからない。いまから間に合うものなのか。警官はこの道を下りていったんだな?」
暗くてその影の仕草はよく見えない。
「そうよ、希愛さんと一緒に下りていったのよ! 私たちを見捨てて!」と叫んでいた。
「きあいさん? 誰だそれは」
「私たちのマネージャーです」
「さっぱりわからない」
そうおっしゃるなら、こちらもあなたのことがさっぱりわかりませんが、このお話を遡ってみるしかありません。簡単に整理しますと……。
1、宝家美桜誘拐事件。宝家一家惨殺事件。
2、線状降水帯による経験したことのない大雨の予報。
3、ネット配信の怪奇オカルト番組による蛇角山トンネル撮影。
4、撮影隊は、避難指示を受けたものの、避難に遅れて道路が崩れてしまい、トンネルに引き返す。無線もネットもスマホも使えない状態。
5、その崖崩れに宝家美桜誘拐犯もろとも巻き込まれ、美桜は脱出。
6、警官の高森によって美桜救出。その後、アイドルグループのマネージャーである希愛と蛇角病院を目指し、トンネルの直下にあるとされる古い道を辿って下る。
7、砂防ダム崩壊。
8、希愛、ケガで山中で動けなくなる。
9、高森は美桜を蛇角病院に届けるが、希愛を救出すべく軽トラを借りその持ち主、赤堀と向かったものの、洪水巻き込まれて高森だけ病院に戻る。
10、近辺の三つの河川が氾濫。市街地を含め広範囲の浸水と停電。
あー、えーと、ほかにもいろいろあるのでございますが、これ以上の整理はいまはいたしかねるのでございます……。同時多発的な事故の積み重ね。重ね重ねの災厄。すでにお腹いっぱいでございましょうけれども、このお話、まだまだ終わらないのでございます。
このお話で把握している状況は、蛇角山で生きている人間は、この影の人物と清美さん、そしてもしかすると山中の希愛さん。蛇角病院では、高森君と意識の戻らない美桜ちゃん、看護師の川田さんや野上さん、入院患者たちと避難してきた町の住人たちといったところであります。
このとき、時刻は夜の八時を回ったあたり。断続的な豪雨がこのあたりに降り続き、河川の氾濫による町の水位も上昇する一方でございます。
影は「おれは、川田利晴。君は?」と改めて自己紹介してきた。すると清美は「大橋清美。ネコノミニコンの初代メンバー。アイドル歴十一年」と答える。あやうくステージでの自己紹介「キュートなしっかりお姉さん、ネコノミニコン、アメノ凜でーす」と言いそうになる。
同時に清美は、自分たちが巫女スタイルのアイドルだったこと、「アメノ」という名を使っていたことが「雨」と符合すると気づき、川田の言う「山に引き寄せられた」説を信じてしまいそうになっていた。
「じゃ、私たち、みんな殺される?」
「まだ間に合うかもしれない」
「どうすればいいの?」
「美桜を殺す。帰るべきところへ帰す」
「わかった。やる! 私、やる!」
「なにか使えるものがないかな」
川田は遺体の間に転がる機材から、ようやく懐中電灯をもう一つ、見つけた。小さな頼りない懐中電灯だが、白っぽくきれいに光った。
「ついた」
細野屋を照らすと、すでに息もしていない。
「貸して」
清美は懐中電灯を川田から受け取ると、巨大な彼に向けた。
濡れた髪がべったりと顔に貼り付き、全身泥だらけ。そして口をぎゅっと結んでいる姿は、不敵な笑みを浮かべているように見えなくもなかった。
いま無制限一本勝負を負えたばかりのプロレスラーのようでもあり、冷酷な殺し屋のようでもあり、仮面を取ったジェイソンのようでもあった。
清美は、こんなときなのに、ギュッと心臓を鷲づかみにされたような衝撃を感じていた。
ああ、こんな男がこの世にいるのか。東京でも大阪でも地方都市でも、何百人ものファンに会っても、なにも感じたことはなかった。それがいま、彼女を捉えてしまった。
「ねえ、タバコ、ある?」
すると川田はふっと顔を崩した。清美も誘われるように微笑んでいた。
「ないよ。あんなもの、健康によくないからな」
清美は体の中を熱いものが駆け巡っていた。
「そうね、やめるわ」
懐中電灯を川田に渡そうとすると「腕が痛い。持っていてくれ」と言われる。
「わかった」
そのとき、川田は比較的楽に動くらしい左手で清美の右の手首をぎゅっと掴んだ。思ったよりも優しく、温かい手だった。
清美は懐中電灯を左手に持ち替えた。
「行こう」
川田と清美は、トンネルに背を向けると直下の道へと分け入って行った。とにかく下山するのだ。
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