第3話 おトキ
平穏な村は、恐ろしい選択を迫られた。誰かを犠牲にするか。それとも山師が言うようなよそ者たちであふれる村になってしまうのか。
話し合ったところで解決するものではない。
そのとき、人づてに話を聞いた村の娘トキが現れる。村一番のべっぴん。そのためか、この伝説でもほかの者たちの名は忘れられ、おトキだけ名前が伝わっている。村のアイドル、誰もが嫁に欲しいと願っていたトキが村人たちに直訴する。
「みなさま、私を打ち首になさってください」
「なにを言うんだおトキ。おまえはなにも悪くない」
いきり立っていた村人たちも、トキを代官たちに差し出すなど考えられない。
「いいえ。みなさんもご承知のように、私の働きは大したものではありません。みなさんのような働き者は村にとって必要です。この村のためになるなら、私をお役に立ててください」
誰もが止めるので、これでは自分の気持ちが伝わらないと、トキは夜のうちにこっそり一人で村を抜け出して代官の元へ走っていった。
トキは自ら代官の前に出て、打ち首にしてくれと願い出る。
それを知った村の者たちも半ば諦めつつ、さすがに若く美しい娘を目の前にすれば代官も心変わりするだろうと期待し、祈るしかない。
山師は「打ち首ではダメだ、人柱にせよ」と言い出す。娘を差し出してきた村人たちに腹を立ててもいたのだろう。
「人柱とは?」と代官が尋ねると山師は「捧げ物ですよ。若くてきれいな娘なら最高です。きっとうまくいくでしょう。これまでも何度も経験してきましたからね」
ウソかホントか、代官にもわからない。
ある鉱山では、坑夫たちが突然亡くなる現象があり、銀を掘っては人を埋めるような毎日。そのおかげもあってたくさんの銀を掘り出すことができて、大勢の者が潤ったと山師は言い張る。
「犠牲が多い分、取り分も多い」とうそぶく。「この工事ではまだ誰もケガ一つしていないではないか。そんなことでは上手くいくはずがない」と断言する。工事現場の近くにトキを生き埋めにして祠を建てろ、と。
「打ち首ではダメだ。死体を捧げることになる。生きて埋めてこそ役に立つ」と山師は代官に言い続ける。
三日三晩、山師は「人柱の準備」と称してトキと小屋に籠もり、美しいトキを自分の欲望のために汚し続けたあげく、トキの手足を獣のように縛りあげ、目隠しに猿轡までして、山に生き埋めにした。
小さな祠を建てて「これで万事、うまくいく」とうそぶいた。
ところがその日から三日三晩、激しい雨が降り続いた。いわゆる「これまで経験したのことない大雨」だ。
蛇角山と呼ばれるようになったのは、そもそも主な山が三つ並んでいている三つの角といった「みすみ」だったのか。また、雨が降ると水が溢れ、それがうねり狂って山肌を流れ落ち、複雑な谷をうがち、人を様が蛇のようだと「蛇」の字をあてるようになったのか。
四日目にようやく晴れて、人々が隧道の入り口へ辿り着くと、すっかり地形が変わっていた。
祠も娘を埋めたあたりも崩れ去っていた。
隧道の奥へ行くと、水が大量に出ており、そのおかげか。あれほど行く手を阻んでいた固い岩を迂回する道が見つかった。そこを掘り進むことでついには岩そのものを砕いて外に出すこともできた。
「トキのおかげだ」と村人は、感謝するしかない。
時は得難く失い易し。たまたま起きたことかもしれない豪雨によって事態が打開されたことが山師の言葉を裏づけてしまった。このため、工事が止まると次の人柱を差し出す。それも決まって娘を。
すると大雨が降り山は荒れる。それでいてトンネル工事は思いがけず進む。その繰り返し。隧道の完成までに何人もの村の若い娘が人柱として埋められ、しかも祠は流されてしまうのでいつしか作ることさえしなくなる。
娘を差し出せば工事は進み、村は潤う。代官はご機嫌で、山師は娘達を生贄に酒をあおり爛れた欲望を満たす……。恐ろしい循環がしばらく続いた。
当然、亡くなった者たちの行き場のない悲しみは蛇角山に、そして蛇角山トンネルに重く積み重なっていった。
遂に、隧道が完成した頃には肝心の銀鉱山は涸れ果て、山師もどこかへ消えてしまっていた。山師に裏切られたことを知り、代官は気が触れて、「トキに呼ばれた」と大雨の中、山へ一人で向かっていったまま行方知れずとなったと言う。
恐らく恨みに思っていた村人たちによって、一人のところを見つかって殺されたのではないか。
多くの犠牲を払って作られた隧道は以後、忘れ去られ、ほとんど人の通ることもなくなった。
明治に入り、日本は急速に近代化へと進む。道路建設、正確な地図の制作のためなどで何人もの人々が蛇角山に入った。若い女の幽霊に誘われて、山道を彷徨ったあげくどこかへ消えてしまう事態が相次いだため、地元では立ち入る者はいなくなった。
村人は年に一度あるかないかの大雨が降ると、人柱の祟りと恐れて、雨がやんだあとに弔いをする習慣が大正時代頃までは続いていたと、昭和に入ってもなお語り継がれていた。
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