第43話 その頃トンネルでは……
さて、その頃トンネルでは……。
清美と細野屋籐七朗が、トンネルの入り口から少し奥へ入ったところにいた。
スマホで照らすと、最初のカーブの向こう側は水浸しとなっている。とてもそれ以上、進む勇気はない。
「この水、深いかもしれない」と細野屋が脅えている。
「わからないでしょ。みんな向こうに行ったんでしょ?」
「いや、行かない方がいい」
「ふざけないでください。トンネルの向こう側へ行けば助かるのかもしれないじゃないですか」
その時。
ヒューッと冷たい風が奥から流れてきて、清美は気持ちが悪いなとゾクッとした。「きゃー」
思わず叫ぶほどの突風が二人をたじろがせた。髪がばさばさになるほどの強い風だった。
「なにこれ!」
「出るんだ、早く!」
細野屋は清美の手を掴んで出口へ急いだ。
「どうして! 放して! なによ!」
二人はトンネルの壊れた、いえ、壊された柵から外に出た。雨は相変わらず降っている。しかも冷たさが増している。山の雨は、そもそも氷の粒が溶けて水滴になったもの。ついさっきまで凍っていたのだ。
「なにすんのよ!」
清美は、怒って彼を突き飛ばした。
そのとき、トンネルから奇妙な音が響いてきた。人の声。老人のつぶやきのような低い声。それがいつしか大きな振動となってあたりを震わせる。地震か。
「なに! なんなの?」
その言葉を言い終わらないうちに、トンネルからなにかが飛び出してきた。
「ええええっ」
あっという間に二人は、トンネルから噴き出した大量の水とともに、吹き飛ばされてしまった。地面はすでに雨水が溜まっていたので、その上を二人は押されるように滑っていく。手にしていたスマホもどこかへ飛んでしまった。
「だめえー!」
このままでは斜面に落ちてしまう。
このとき、細野屋はありったけの力で清美を抱えて、かばおうとしたのだが、そのまま、もんどり打って斜面の藪へ突っ込んでしまった。
「ああ、もうー」
清美がびしょ濡れになって、下になった細野屋の手から逃れようと立ち上がる。こんな男に触れられているだけで、虫酸が走る。
なぜか、すぐそこに点灯したままの懐中電灯が転がっていた。不思議なこともあるものだ。清美は一瞬だけ、そう感じたが、光は必要だ。しっかり握る。もしかするとその懐中電灯はトンネルの奥へ消えた日奈子が持っていったものではないか?
あたりを照らし出す。
「ぐうううう」
うめいている細野屋。きつい下り斜面で頭を下にして仰向けになっている。
「しっかりしてくださいよ、ホントにもう」
なんの役にも立たないジジイだと言おうとしたとき、細野屋の身体の異変に気付いた。
懐中電灯で照らすと、何本もの木が彼の身体を貫いていた。太いもので腕ほどの太さで、折れたからか鋭い槍先のような形状になっている。
「うそっ!」
とくに酷いのは、首の付け根から飛び出している細い木で、こちらは矢のように見える。
太い血管を傷つけてしまったらしく、真っ赤な血飛沫が、彼が呼吸するたびに噴き上げている。
「えええっ」
清美は助けるどころか、怖すぎて近づくこともできない。藪の中で後ずさり。あたりは、折れて尖端の鋭く尖った細い木々が針山のように並んでいることに気づいた。
「いや、いやああああ」
瀕死の彼を放り出して、木々を掴んで崖を這い上がろうとする。二メートルぐらい落ちたのだ。木や草を掴むたびに、手の平に深い傷が出来てしまうのだが、清美はそれどころではなかった。
「死んじゃうー」
傷つきながらも、這いずるようにして、なんとかトンネルの前まで戻ることができた。
あたりは水びたし。撮影機材があちこちに散乱している。
なにがあったのかわからない。トンエルが爆発でもしたかのように、大量の水が噴き出して清美たちを吹き飛ばしたのだ。
懐中電灯はときどきふいに消えてしまう。ゆさぶったり叩くとまたチカチカと点灯する。
その光が残されたトンネルの柵を照らした。
「ふううっ」
清美は、そのままその場に崩れおちてしまった。
あまりの恐怖に、言葉も出ず、意識がすっと遠くなった。
「もう、いや」
倒れた彼女の手にある懐中電灯は、チカチカと明滅しながら、トンネルの入り口を照らしている。まるでライブ会場のストロボ演出のようだ。
その柵には、日奈子やディレクターや警官の岡崎、音声さん、AD、そしてカメラマンらの生首が積み上がっていたのだ。よく見れば手足や胴体もあるのだが、生きているならとうてい不可能な、複雑なかたまりとなって貼り付いている。捨てられたマネキン人形のように……。
その様は、この世のものとは思えない。
全員がびしょ濡れで、真っ青で、目を閉じた者、目が飛び出している者、べろっと舌の出たままの者、完全に首がねじ曲がっている者、背中が折れている者……。まるで巨大な洗濯機で洗われたかのようだ。
いったいトンネルの奥にはなにがあるのだ。
怪物が獲物を飲み込んだあとに、吐き出したようなありさまだ。
「なんてこと……」
清美は震えながら、消えそうな意識の中で、そのおぞましい光景から目をそらせることができずにいた。
みんな死んだ。それもあんなにも無惨に。
日奈子を見ろ。あんなに可愛かった彼女なのに。多少はがさつだったが、年齢が清美に近いメンバーでもあり、清美の苛立ちについてはよく理解してくれていた。なにより彼女がステージに立つと、みんなが元気を貰えた。がさつだけど。
それが、ものすごく悔しそうな表情で空を見上げていた。首が捻れて、体はその下にあるようだがボロ布ようにしか見えない。ずぶ濡れで、目が飛び出しそうだ。彼女は最後になにを見たのか。なにを感じたのか。
ここにいたら殺される……。
しかし体が動かない。このまま震えていても、遠からず命が消えていくのではないか。朝まで生きていられるだろうか。ずぶ濡れのままで凍え死ぬかもしれない。あるいは気付いていないが体のどこかに大きな傷を負っているかもしれない。こんなところで死を待つしかないのか。かといって、あのトンネルに戻ることは、いまはとてもできない。たくさんの死体を乗り越えて中へ入ることなど考えられない。むしろ遠ざかりたい。道は崖崩れで通れない。
どうしよう、どうしよう……。
いまさっき、ロケバスが転落して一緒にがんばってきた仲間もろとも消えたショックに、目の前に突きつけられたほかの人たちの無惨な姿、そして自分を抱えてくれていた細野屋も……。
道の向こうからなにかがやって来る。
それはみんなで聞いた、あの大勢で行進するような音ではなく、ベチャッ、ベチャッと柔らかなものを踏み潰すような足音だ。懐中電灯の光の届かないところだから、よく見えない。
清美は、とっさに落ちていた懐中電灯の向きを変えてみた。またもチカチカして、いまにも消えそうだ。
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