醜雨
本間舜久(ほんまシュンジ)
第1話 伝説
これよりご披露させていただくお話は、重ね重ねのミルフィーユ状態。いつとも知れない昔からつい最近に起きたことまで幾層にも重なった長い長いお話でございます。
「真景累ヶ淵」と申します明治の大落語家、三遊亭圓朝の作となるあまりにも有名な怪談噺がございます。それは江戸時代に知られていた「累ヶ淵」なる元となったお話があったそうです。
うれしいことやお祝いごとが重なることは喜ばしい一方、そんな良いことでさえも、重なり具合によっては縺れていき、解けない縺れを起点として魔が生まれ、やがてとんでもない不幸の連鎖へと雪崩込む、なんてことが起こり得るわけでございまして、重なることの偶然、それが必然となる恐ろしさを、割合と多くの方が実体験としても記憶されていらっしゃるのではないでしょうか。
この「醜雨」というお話もまた、幾重にも重なっていく連鎖の果てに起きたこと。どうしたって恐れを感じないではいられないわけでございます。
それでは長丁場となりますが、お付き合いください。
いまから何年前のことでしたでしょう。これからいたしますお話は、まだ関係者の中に生きて暮らしている方もいるかもしれませんので、場所も名前もここでは別のものに変えさせていただくことにいたします。
仮に「
知られるようになったのは、1990年代の何回目かのオカルトブームの最中、あるテレビ番組で取り上げられたことからでした。
たまたまその地域の出身だった放送作家によって発掘された伝説を、ある番組が取り上げたのです。彼が知人の葬式で何十年ぶりかに実家に戻ったとき、ふと読んだ地方紙の記事で、地元の郷土史研究家が伝説を本にまとめたことを知りました。わずか百部だけ刷られたその本を、帰宅する道すがら唯一販売しているという駅前書店へ寄って購入し、帰りの電車の中で読みふけったのです。
残念なことに、伝説の多くはどこか別の地域にもあるような話であり、目新しいものはありませんでした。ただ一つ、そのなんとか隧道の怪談だけが彼の心をとらえたのでございます。
何気なく怪奇特集の企画案にそれを加えたところ、すんなりと通りましたものの、予算の関係でとても現地へスタッフやレポーターを派遣する余裕はなく、くだんの放送作家が知人を通して周辺を取材してまとめたものを、番組ではお話の上手なタレントさんが語って紙芝居のように伝えたのでした。
いくつも紹介されたエピソードの一つでしたので、全国的な知名度には結びつきませんでしたが、地元では秘かな話題となりました。このときから、心霊スポット「
この時代の特徴として、それ以前なら「風の噂も七十五日」などと申しまして、世間からあっという間に忘れられるような些細なことさえも、誰かがネットに書き込むことで半永久的に残り、さらに何度も蒸し返され、尾ひれがついて生きながらえるようになりました。
ですから一番新しいお話もまた、ネットで偶然見かけた「
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