第29話 行かなくちゃ

「あんたは殺されたじゃない」

「あんたは、勝手に死んだんでしょ、バカみたいにさ」

 わいわいと言い合う声。

「どこにいるの? ねえ、どこなの?」と希愛。

 さきほどの兵士たちとは違い、今度は姿は見えないのだ。藪が雨に打たれているばかり。

 懐中電灯を声のする方向へ向けた。

「キャハハハ」

 そこには、ずぶ濡れで巫女の衣装を着た彼女たちがいた。

「なんでそんなところにいるの!」

 彼女たちは笑うばかり。一歩もこちらへ近づいてこない。

「どうしてそこにいるの?」

 そのときだ。

 ザクザクザクザクと、また足音がしてきた。

 懐中電灯をそちらに向けてもなにも見えない。それでも、音だけははっきりと聞えてくる。

 あの兵士たちが戻ってきたのだ。

「うそでしょ」

 音がどんどん迫ってくる。懐中電灯を消すと、あきらかに道を塞ぐ人影がある。二列縦隊。整然と行進してくる。

 希愛は、転がるようにまた藪に隠れた。

「だめだよ、そんなところに隠れても」

「ぜんぜん、隠れてないよ」

「頭隠して尻隠さず」

「尻だけじゃないよ、お腹も背中も丸見え」

 笑い転げている彼女たち。

「ちょっと静かにして。気付かれちゃうじゃない」と小声で注意しても笑い声は止まらない。

「ここにいますよー」

「生きている人間がここに隠れてますよー」

「吉岡希愛がいますよー」

「ミニゴリラーマンですよー」

 耳をふさぎたくなるほどの声。

「やめて、やめて」と言っている間にも、足音が近づいてきて、雨音より大きくなってきます。もうすぐそこにいる。

 ザッ、ザッ、ザッ。

 このまま通り過ぎていけばいい、と思ったとき、ふいに足音が消た。

 自分の心臓の音と呼吸の音。

 これは幻なのだから、そこに誰もいるはずはないのだ。そうに違いないのだから、と希愛は懐中電灯で道の方向を照らした。

「あっ!」

 土色をした痩せこけた兵士たちがずらっと目の前に並んでいる。

 希愛はその場にへたり込んだ。逃げられない。

「こ、殺さないで。お願い」

 兵士たちのギラギラとした目がこちらに向けられている。

 それは幻だろう。いるはずのないものだから。

 そうは思っても、金縛りにあったように、指一本、動かせない。

 とうとう声も出せなくなった。

 懐中電灯を反射してずぶ濡れの兵士たちから、じっと見つめられているうちに気が遠くなっていった。

 だめだ、ここで気を失ったら本当に死んでしまう……。

 今度は自分が低体温症になっていくだろうと、希愛も気付いた。体温が下がっていくと眠くなってきて、そのまま死に至る。

 助けて、誰か、助けて……。

 声にならない。もう呼吸も心臓の音も聞えない。なにも聞えない。雨音さえも聞えなくなった。

 目の前が真っ暗になった。懐中電灯の電池がなくなったのか。

「バカ!」

 背中を誰かに叩かれたような気がした。

「希愛ちゃん、こんなところで死ぬの?」

 清美の冷静な声。

 ハッと目を開けると、懐中電灯は雨を照らしていた。

 そして道を照らしていた。そこには、真っ白なものが輝いていた。

「なに? なにこれ?」

 希愛は、立ち上がろうとして膝の痛みを感じた。

「ああっ、痛い。これ、完全にやっちゃったな」

 妙に冷静になっていた。

 痛いということは、まだ死んではいないのだ。

 道に広がる輝くなにか。よく見ようと、這うようにして進んだ。

「なんだ、これ」

 知識として記憶している人間の骨。真っ白に光る骨が、道にびっしりと敷き詰められていた。その中には、目の部分が窪んだ頭蓋骨もいくつも転がっていて、希愛を見上げている。

「そんなこと、あるわけがない」

 清美の声にならって、冷静な声を出してみた。

 声が出た。自分の声だ。

「あるわけがない!」

 はっきりと断言した。

 懐中電灯を藪に向けると、もちろん清美もネコノミニコンたちもいない。ただの藪。自分がへたり込んでいた場所だけが窪んでいる。

 なにかあったんだ……。

 兵士たちはこの世にいるわけがないものだ。でも、ネコノミニコンたちは存在している。彼女たちの幻を見たのはなにかの暗示ではないか。

「行かなくちゃ」

 希愛は、トンネルに戻ろうと決意します。頭の中には、警官と少女のことはもうなかった。そもそも自分はどうして山を下りることにしたのだろう。自分は彼女たちのマネージャーなのに。どうしてあんな決断をしてしまったのだろう。

 それは取り返しのつかないことだ。彼女たちに呼び止められ、目が覚めた。

 まだ間に合うかもしれない。あんな子たちでも、見捨てていいわけがない。バカにしつつも、希愛だけを頼っている。彼女たちが大変な目に遭い、自分だけ生き残ったたとしても喜びなどはない。一生、彼女たちの亡霊と生きるのはごめんだ。

 とはいえ、かなり山を下ってしまった。これから登り返すにどれぐらい時間のかかることか予想もできない。まして左膝はズキズキと疼いている。

 どんなことでも、始めるときが一番怖いのだ──。

 どこかで希愛はそんなことを聞いたことがあった(スティーブン・キングの言葉だが……)。

「ちくしょう」

 迷っているときではなかった。行くしかない。

 ポンチョを脱ぐと、それで左膝をぐるぐるに巻いた。ビニールのポンチョはやや伸びるので、丁寧に巻き付けて縛るとちょっとしたサポーターのようになりそうだ。

「待ってろよ。行くからね、いま、行くから!」

 希愛はゆっくりと山道を登りはじめた。

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