第5話 雨の多い時期
終戦の年。六月の雨の多い時期のことだと、当時のことを知る者が戦後に語ったエピソードを郷土史の本には書かれている。
作業用の道は人がひとり通れるほどの幅しかなく、急峻な斜面を縫うように設けられ足を踏み外せば藪に飲み込まれてしまいそうになる。高い樹木が鬱蒼と茂っているためか、雨は和らぐものの、斜面をところどころ滝のように水が流れていき、酷いときにはそれが濁流となって道を流してしまう。
この日も十数人の工兵たちが重い工具を背負ってトンネルを目指して登っていった。道具も装備も服装も満足に揃ってはいない中で、雨に降られるとそれだけで体力は消耗する。スベって転ぶ。足を取られてひっくり返る。泥だらけでびしょ濡れのままで過ごすのだ。
「あれは、なんだ!」とひとりが木々の幹の間に落ちている白いものを見つけた。泥濘に足を取られて思わず這いつくばったので、目に入った。
このところの雨で崖が崩れ、下からなにかが出てきたのかもしれない。
「人骨だ!」
それは薄暗い森の中で、わずかな光を反射する真っ白い人の骨だった。
「これは、おそらく、足だな。腿のあたりの太い部分だ」
「誰のものだ」
「わかるわけがない」
「しかし、最近のものかもしれないぞ。妙にきれいだ」
「持ち帰ってあとで調べよう」
それを荷物に加えたままトンネルに上がっていった。
道を上りきり、トンネルの前に出れば、遮るものもなく、生憎の土砂降り。全員が、服の中までびっしょりと濡れてしまう。急いでトンネルに逃げ込んだものの、中は真っ暗だ。
「おーい」
トンネルには先に十数人の部隊が寝泊まりして、作業をしていたはず。なのに、その気配がない。
「なにをしているんだ。今日は雨で作業はしていないはずなのに」
食糧などを荷揚げし、一部の者を交代させる計画でした。
ところがいるはずの部隊が見当たらない。
飯盒や工具、荷物、テント、そして雨具なども一式、トンネルの中に保管されている。いますぐにも、そのあたりから誰か現れてもおかしくない。
「向こうを見てきます」と若い兵士がトンネルの奥へ探しに行く。
「これを持っていけ」
軍の装備品に懐中電灯もあったのですが、この頃には物資不足で電池が手に入りにくく、油を燃やすカンテラが使われていた。
つんと鼻を突く油の臭い。そもそも油の質も悪いから、しっかり燃えてくれないため、カンテラもないよりはマシな程度の役にしか立たない。
そのボンヤリとした灯りが、トンネルの内側の、いかにも人手で削ったであろう細かい波を打つような凹凸のある壁面を、ゆらーりゆらりと照らしている。
その人が奥へ進んでしまうと、入り口付近はほどなく真っ暗闇となっていく。カンテラの光が届かない。
しばらくしても帰って来ないので「お前たちもいけ」と今度は二人組で行かせた。
その二人も戻って来ない。
「なにをやってるんだ。お前たちで、やつらを連れ戻せ。これは懲罰ものだぞ」
今度は五人をトンネルの奥へ差し向けた。
このトンネルは、江戸時代に手掘りされたもので、途中に固い岩盤や岩があったことから、それを避けるようにうねうねと曲がっている。それほど長いトンネルではないはずなのに出口は見通せない。
そのせいもあって、少し進むだけでカンテラの光が届かなくなってしまう。
「おーい、どうだ」
班長がいくら声をかけても返事はなく、シーンとしている。外の雨音ばかり。
「これでは日が暮れる。早く戻らなければならぬのに」
夜に、急峻な作業用の道を下るのは、さらに危険だった。まして大雨。雨は、どんどん激しくなっていき、トンネルの中でも水が染み出して、水たまりがあちこちに出来ている。壁はどこも濡れている。
業を煮やして「わしが行く!」と班長は荷物を置き、自ら兵を三人連れて奥へ向かった。
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