第26話 力尽きたのか

 スーツケースを放り出し、その子を背後から抱え上げようとしたが、全身から力が抜けている人を持ち上げるのは難しい。

「おんぶします!」

 希愛は傘も置いてしゃがみ込み、警官の高森が手伝って泥だらけの彼女を背中へ乗せた。希愛はずぶ濡れで泥だらけの女子をおんぶしたものの、重いとは感じない。すべりやすいので、しっかりと服を掴んでマイクロバスへ。そのドアを開けるとルームライトが点灯した。

 ネコノミニコンたちがいた後部の座席の散らかりように愕然とするが、横にするには後部座席が最適なので、希愛はメンバーの私物や菓子の箱、ゴミを蹴り飛ばして泥だらけの女性をそこに横たえた。

「かわいそうに」

 誰かはわからないが、若い女子であることは明らかだ。意識がないものの、呼吸も鼓動もほぼ正常。髪も服も手足も泥だらけながら、目立った外傷はない。少なくとも出血はほとんど見られない。

「どうして、こんなところに、いたんでしょう」

 高森はそれには答えず「崖を見てきます。ほかにもいるかもしれないから」と外に飛び出していった。

 岡崎が率いる先に出て言った人たちの姿はすでにどこにも見えない。トンネルへ戻るにはつづら折りの道を行くしかなく、上の方にいるとしても雨と木々に遮られてな光さえ見えない。

 高森は崖に戻った。懐中電灯で崖下を照らすと、山肌を巨大な爪がえぐっていったように、無惨にも木々が倒れ土や岩が転がり、大量の水が流れている。その遙か先にワゴン車が埋まっているとは想像もできない、もし見えたとしても、いまの彼に救出はムリだ。本格的なレスキューを要請しなければならない。ひとりでどうにかなるものではないことを確認し、ほかには見当たらないと判断するとマイクロバスへ戻ってきた。

「待って! 近寄らないで!」

 希愛がバスのドアが開いたので叫ぶ。

「えっ、なんでですか」と高森。

「いま、着替えてるから」

「着替え? どうして?」

「こんなびしょ濡れの服でいたら、死にます」

 低体温症の知識が高森にもあった。濡れた服を脱がして、乾いた毛布でくるむ。これが基本だ。

「かわいそうに。こんなになっちゃって」

 希愛はそう言いながら、服を脱がせて、手近なところにあったメンバーの残したハンカチで体を拭き、私服を着せていく。背丈は美波に似ていた。Tシャツ、セーター、プルオーバーと重ね着させた。ジーンズはピチピチだったりダメージだったりと、穿かせることが難しいこともあって、希愛のゴムの入ったジーンズ風のパンツを履かせた。部屋着として使っているもので、コンビニに買い物ぐらいはできる。ただ股上が深くておばちゃんっぽい。希愛の四角い体型が幸いし、彼女にはゆるゆるで穿きやすい。誰かの残した細いベルトで調整した。

「終わりました」

「すごいですね。手際がいい」

 高森は思わず褒める。訓練でもこれだけちゃんとやれる人はそれほど多くはないだろう。意識を失っている人の着替えはかなり大変なのだ。少なくとも高森には経験がなかった。

 汗びっしょりの希愛だが「吉岡です。マネージャーやっています」と自己紹介。

「自分は高森です。こちらに赴任したばかりなので、このあたりのことは詳しくはありません」

「私だって、わからないです」

 二人は意識の戻らない彼女を見下ろす。

「これ」と希愛は、彼女の制服から取り出したスマホを高森に預けた。「あと、これも」と学生証。

「宝家美桜。中学生なのか」と、てっきり高校生と勘違いしていた高森はちょっと顔が赤くなった。女性というより子どもではないか。

「意識障害のときはどうしたらいいんでしょう」と希愛。

「気道確保、回復体位。そして救急を待つ」と高森。呼吸は乱れていないので、ややうつ伏せになる回復体位へと彼女の体の向きを変えた。

「でも、救急車は来ないですよね」

「もう一度、やってみます」

 パトカーへ戻り、無線を使おうとしても、やはり無反応。自分のスマホも相変わらず使えないことがわかって高森はすごすごと戻ってくるしかなかった。希愛も自分のスマホをいじっていたようだが、ただ電池を消耗するだけだった。

「ダメですか?」

「ダメですね」

 そのときふと希愛は、スタッフたちが見せたドローン映像を思い出す。

「道があるはずなんですよ、トンネルから麓まで」

「道? この道ですよね」

「別のです。人が歩ける程度のものらしいです。トンネルの近くからジグザグに山の中に作られた古い道だとか」

 ほかの人たちをトンネルに誘導している岡崎はそこを下って助けを呼びに行く計画を立てている。希愛はそれを知らない。

「確かですか?」

 映像で見たことを伝える。

「わかりました。まず彼女をトンネルまで連れていきましょう。ここにいたら、いつまた崩れるかわかりません。ほかの人たちと合流してから判断しましょう」

 こうして、希愛は彼女をおんぶし、彼女の体が落ちないように、メンバーの服から抜いたベルトを三本ぐらい使って背負子のように自分の肩からかけて、美桜の下半身を支え、なおかつ希愛の両手が自由になるようにした。

「いいんですか。僕がやるべきだと思いますが」

「彼女は女の子なんで」と希愛。男のお前に任せられるか、と言わんばかり。

「いつでも交代しますので」

 二人はザクザクと砂利道を踏みしめながら林道をトンネルへと向かう。

 雨は横殴りの大粒になったかと思えば、音もほとんどなくなるほど小降りになることもある。もしかすると大雨はピークを過ぎたのではないか。そんな希望が二人をよぎると、とたんにドーッと滝のように降り始め、お互いの声も聞えず傘も役に立たなくなる。

 必死に歩いてようやく道が平坦になってきた。それはトンネルが近い徴候だ。ぐるっと山を回り込むように歩くと、灯りが見えてくる。トンネルの中に待避したスタッフやメンバーたちだろう。

 これほどほかの人たちが恋しいくなるとは希愛は思ってもいなかった。そこへ辿り着けばなんとかなるだろう。

「どうしたんだ、遅いじゃないか」と警官の岡崎。先に行く高森が説明する中、希愛があとから到着した。

「だ、誰?」

 ネコノミニコンたちの間でざわめき。そして「希愛さん、スーツケース、持ってないじゃん!」の声も。

「なにやってんのよ」

「あれ、一番大事なものなのに」

 ディレクターたちは、まるで待ちに待ったメインディッシュが運ばれてきたかのように喜びに沸き立ち、バッテリーの残りも気にせずに照明をつけて撮影を再開する。なんと、崖崩れに遭った被害者が現われたのだ。それも中学生。意識不明。

「最高だ。いや、大変な事故だ」

 希愛も高森も撮影を止めたい衝動にかられるが、疲れが酷く、それどころではない。自分たちさえ命の危険を感じるのだ。女子の意識が戻らないのは、最悪の状況ではないだろうか。

「崖を這い上がってきたのか? それならどうして意識が戻らない」と岡崎。

「力尽きたのかもしれません」と希愛。

 連絡がどことも取れないことで、みんなの不安は増大する一方だ。このままでは、その女子だけではなく、ここにいる全員が危うい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る