第27話 脅威

「わかりました」と高森。「ぼくがおぶって下山します。この下に道があるんですよね?」

 岡崎は「あることはあるが、長年、誰も使っていないぞ。獣道のようなもので、こんな土砂降りの中じゃ歩けないぞ」と一応は止める。

「普段ならどれぐらいの行程ですか?」

「登ったことがないんだ。地元の人は誰も使わない。怖いからね」

「崩れているかもしれないですよ」とディレクター。

「そういう怖さじゃないんだ」と岡崎。「説明、しにくいけど」

 そのとき、細野屋籐七朗が顔を出し「その道は呪われている!」と大声で叫び出す。ムダに響きのいい彼の声は、トンネルの奥へと吸い込まれていき、おどろおどろしさを増幅させる。

 トンネルは少し入ったところで曲がっているようで、誰もその奥までは行こうとしない。入り口近くの雨のかからないところに機材を置き、乾いた地面にブルーシートや断熱性のあるレスキューシートを並べて、みんなで肩を寄せ合っていた。

「行くしかないでしょう」と高森。「病院があるんですから」

「朝まで待てないか?」とディレクター。

「急変したら、どうします?」と高森。

「途中で行き止まりになったらどうするんだ。連絡方法がないんだからな。助けにも行けない」と岡崎。

 わたしも行きたいな、降りられるなら、といったネコノミニコンたちのどうでもいい会話は完全に無視される。

「私も行きます」と希愛は決定事項のように告げる。

 え、なんで? マジで? あいつどうかしてる、あたしたちを放り出して? 信じられない……。

 そんなネコノミニコンたちのざわめきも、ただただ無視される。

「私、柔道やってたんで大丈夫です」

 ケガでその道を断念したことは伏せておく。

「僕だって剣道と登山で鍛えていますから」と高森。

「一人じゃ危険です」と希愛も引き下がらない。

「二人だからって危険度が減るわけじゃないぞ」とディレクター。「ま、一人がカメラを持って行くなら話は別だが」

 もちろん、その言葉も無視されてしまう……。

「彼女のことを、ここで心配しているぐらいなら、一緒について行く方がいいです」

「僕はこれでも警官ですよ。妙な心配、しないでください」と高森はキッパリ。

「いいえ。心配です」

 あたしたちのことは心配じゃないんだ、ちくしょう、ふざけんなといったつぶやきが聞えてきた。希愛は「うるせえんだよ!」とネコノミニコンに痛烈なひと言を浴びせた。思わぬことに、彼女たちも唖然となる。

 希愛も、それ以上は余計なことは言わず、「行きます」と宣言。

「だったら、これを持っていけ」とディレクターがここへ来る途中の道の駅の袋を差し出した。「コーヒーとチョコレートだ」

 あ、ずるい、あたしも食べたい、チョコレートだって、いいな……。

「ありがとうございます」

「一応、聞くけど、撮影を頼むことはできるかな?」

「ムリです」

 ディレクターもそれ以上は言わない。

 こうして高森と希愛は、少女を担いで山道を降りていくことになった。

 希愛は音声さんがくれた透明のペラペラのポンチョを被った。有名な遊園地で購入したもののようだ。体型的に希愛をカバーすることはムリだが、ないよりはマシだろう。

 二人はトンネルを振り返ることなく、高森が最初は少女をおぶって、希愛が懐中電灯で道を照らす。藪に隠されている道を探すのに手間取る。「そこだ」と高森の声で、希愛がおそるおそる藪に分け入っていく。横幅のある彼女が先頭に立って、いわゆる藪漕ぎ。

 手を切りたくないので、袖を掴むようにして肘からかきわけていると、やがて道のようなものに出た。頭のあたりは藪が邪魔をする。ぐしょ濡れの葉がべったり二人に降りかかり、数歩で頭からすっかり濡れてしまう。足元は砂利が見え隠れする程度に道の名残があった。

 ときどき背後の高森と少女を確認しながら、希愛はその道をどんどん進んでいった。

 希愛が是が非でも山を下りたいと願ったのは、少女を救うためであり、同時にトイレに行きたいからである。

 砂利が見えているところはいいものの、草が覆ってしまっているところは濡れて滑りやすく、手のケガを心配するどころではなくなり、手近な木の枝などに掴まりながら下っていく。手や指になにかが刺さっても、お構いなしだ。ジグザグになっているとはいえ、かなりの傾斜に体が持っていかれる。

「キャーッ」

 ふと気を緩めたとき、足を滑らせてお尻からドーンと倒れ、受け身を取った希愛はそのまま滑り台のようにすさまじい勢いで落下した。

 これは死ぬ。

 そう思ったとき、体はふわっとした藪に絡まって止まった。

 あたりをかなりの水が流れている。そこは道ではない。川だ。

「大丈夫か!」

 高森の声はかなり上で響く。二階あるいは屋根の上かというぐらいの高いところから聞えてくる。それだけ落下したらしい。

「大丈夫です。すみません!」

 落とした懐中電灯を拾い上げ、なんとか立ち上がった。

 大きなケガはしていない。手は枝やトゲで切り傷だらけでピリピリと痛む。

 そして彼女の悩みは、ひとつ、すでに消えていた。

 滑り落ちたときだろうか。恐怖のあまり破裂しそうだった膀胱は全開放。下着からジーンズから内側からもびしょ濡れとなっていた。

「ちくしょう」

 とはいえ、すでに雨で濡れているので、大して差はない。むしろ暖かい。

「そこから動かないでください」

 高森の声と懐中電灯が移動してくる。

 やがて希愛の斜め下あたりから「こっちです。これますか?」と高森の声。道路は彼女のいるところを避けるように作られていた。直線的に落下したのだ。

「行けると思います」

 登り返すのは困難だが、下の道には行けそうだ。

 藪の中を必死に抜け出すと、そこに高森と少女がいた。

「ケガはありませんか?」

「ありません」

「よかった」

 この上、希愛がケガで動けなくなったとしても、高森君にはどうしようもない。少女を担いで下山し、病院に辿り着いてから応援を頼むしかないだろう。それはトンネルにいても同じではあるのだが。

 こんなところに置いていかれたくはないから、希愛は慎重に足元を確認しながら再び先を急ぐ。自分の最大の問題があっけなく解決してしまったので、妙にテンションも高くなっていた。

「うわああ、らーく!」

 背後の叫び声。見れば、すぐ近くで高森が少女を担いだまま滑り落ちてくる。登山で落石などを注意する「落(ラク)」の意味なのだろうか。

 希愛は衝撃に備えてふんばり、片手を近くの枝に、そして片手で高森の腕を掴んだ。

「痛い!」

 細かい傷のついた手や指にさらに新たな傷。カッターの刃で刻まれるような痛みとなって希愛から力を奪う。それでもあえてぎゅっと掴む。

 希愛も持っていかれそうになりながら、なんとか二人を体で止めた。二人の体重を受けて希愛は力をこめた。膝と腰の古傷がピキッとなった。その不気味な音をはっきり聞いてしまった。なんとか彼らが藪に突っ込むことを防いだものの、希愛は不安でいっぱいになった。

 そのとき、彼らの背後から、なにかが飛び出してきた。思わず希愛は少女を守ろうと体を投げ出します。まるで山から噴き出したように、激しい水流が三人の頭の上をアーチを描いて飛んでいった。

 鉄砲水というよりは、大砲かミサイルのよう。もし直撃をくらっていたら三人とも藪の中へ叩きつけられたことだろう。

「まずいぞ」と高森。少女をかばうようにした希愛と一緒に、這うようにしてその場から離れる。

 水のアーチのあと、メキメキバリバリとなにかが裂けるような音がして、地面が揺れた。

 希愛の足もなにかに引っ張られる。踏ん張ろうとしても、そこから崩れていくようで、自分の力ではなんともしようのない。

 誰かに引っ張られて宙に浮いたかと思うと、高森の間近に倒れ込んでいた。

 さっきまで二人がいたところを、倒れた木や草を巻き込んだ土の塊が勢いよく流れていく。

 小規模な土石流だ。三人を飲み込むには十分な勢いで下っていく。

 二人はこのとき、この道がとても危険であることを再認識したのだった。下れば下るほど、上からの脅威が増すのだ。

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