第25話 反射的に体が

 真っ暗になってきた周囲。雨は断続的に暴力的に激しく降っている。天は地をズタズタに切り刻んですっかり形を変えてしまおうとしているかのようだ。

 ヘッドライトの先がぽっかりなくなってた。運転していた岡崎は一瞬、その意味がわからなかった。どうもこの先がおかしい、と感じた。

 岡崎はゆっくりと足に力を入れてブレーキングした。スリップしたくなかった。ロケバスに後ろから追突されたくもない。

 高森はパトカーの前、ヘッドライトで照らされているところへ身を乗り出そうとして、背筋がゾクッとした。

 そこにはなにもない。底が抜けている。雨が遙か下へ向かって吸い込まれていく。

 見れば前輪はほぼ、崖の縁であり、あと五センチほどで落ちる。

 慌てて戻って「岡崎さん、バックして、バック!」と叫んだ。

 パトカーは慎重にバックした。すぐ後ろで急停車したロケバスがあり、高森は懐中電灯を赤くして誘導。ロケバスのバンパーに当たるギリギリまでパトカーを下げた。

 ロケバスのドアが開いたので、高森は出てきた音声さんに「この先、道がなくなっています」と度鳴る。

「どうやら崩れてしまったらしく、いまもがけ崩れが拡大しているみたいなんで、危険です。戻りましょう」

 高森はバスの中に踏み込んで、状況を説明します。そしてバスの中ではごたごたが起こってしまう。もうすぐ麓に辿り着き、病院に戻ればひと安心だったはずなのに、いまから歩いてトンネルまで戻れというのだから。

 崖崩れの状況はよくわからないものの、雨が降り続けているのでさらに危険は増しているはず、と高森は考えおり、焦る。

 まして、このままバックでトンネルまで戻すことは、さらに危険だ。いくつかのカーブでハンドルを切り損なえば大惨事も考えられる。いや、通過したあの急カーブをバックで上り返すことなど不可能だ。

 岡崎もやってきて「おれが連れて行く。おまえ、パトカーが無事かどうか確認してから来い」と命じる。

 無事もなにも、よくわからないのだが。

「こんなところでパトカーを失ったら、おまえもおれも、一生、みんなにバカにされるぞ」

 警察官にとって備品はボールペン一本から大切にし、紛失や破損は自分の汚点だと教わってきたこともあり、「わかりました」と二つ返事でパトカーへ向かったものの、無事である確証など持てるはずはないと気付く。

 このまま雨が降り続けば、崖崩れはほかでも起こるかもしれない。

 揉めていたロケ隊が機材などを担いで歩きはじめ、それを大型の懐中電灯で照らしながら岡崎が誘導していく。

 パトカーもマイクロバスもキーをつけたままにしていた。マクロバスのヘッドライトが消えたのであたりはさらに深い闇となった。

 パトカーのライトと懐中電灯だけで崖の状況を探る。

 道路のあったはずのところが深くえぐれ、向こう側がかろうじて見えている。五メートル以上、崩れてしまっていた。

 山側を見ると、そこも深く削れており、山側を伝って向こう側へ行くには、かなり危険だった。高森は登山経験もあるので、そこにロープを張っておけば不可能ではなさそうに見えるのだが、そのためには誰かがロープを持って向こう側へ到達しなければならない。それが可能かと問われれば、高森には自信がない。

 細かい砂利などがいまも崩れていくのが見える。さらに深く削れていく。

 パトカーはギリギリまでバックしたので、崖の縁から歩幅で二歩ほどは離れていた。いますぐそこまで崩れるようには見えない。

 バッテリーがなくなるまで、ヘッドライトで照らしておくべきだろうと判断する。万が一、向こうから登ってくる車がいたら、崖崩れに気付いてくれるだろう。

 パトカーの後ろから谷側へ回った。ガードレールのない谷側は、さらに酷い削れ方をしており、道は崩れ続けていた。山側からの危険より谷側からの危険の方が迫っている。だが、パトカーをこれ以上山側に寄せる方法はない。

 マイクロバスをバックさせようか、と考えていたところ、ヘッドライトの中でなにかが動いた。

「おおおおお」

 高森は、恐怖のあまり低く声が出てしまう。

 そこになにかがいる。

 真っ黒ななにかが動いている。

 そんなはずはない。そこに道はすでにない。崖しかない。

 それなのに。

「おおおおおおお!」

 まるで人のようにそれが立ち上がる。

 逃げ出したい。高森は震えながら動けずにいた。

「た、す、け、て」

 擦れた声が雨音に混じって届く。

 それが言葉であると気付くまでにしばらく時間がかかった。高森は恐怖で固まった体をとりあえず一歩、進めた。若い力がそうさるのだ。それは人の声に違いない。熊や化け物ではない。

 やがて二歩、三歩と加速した。

 黒い影はパトカーのヘッドライトから谷側に外れたので、懐中電灯を浴びせる。

 立ち上がったか。いや、地面に伏せているようだ。

 その黒い影に駆け寄ると、それが人であることを確信した。人なら怖くない。

 崖崩れに巻き込まれた人がいたのだ、と高森は解釈したが、岡崎にも本部にも知らせる方法がない。

「大丈夫か!」

 肩と思われるところを揺さぶる。ぐっしょりと濡れている。長い髪。泥だらけ。やがて、それがいかにもこの場にそぐわない学生服だとわかり、華奢な体に相手は女性だと気付く。

「大丈夫ですか!」

 もう一度叫んで強く揺すると、顔に貼り付いた髪の中から、二つの目が懐中電灯に反射した。

 間もなくそれは閉じられて、肩もがっくりと落ちてしまった。

 死んだのか。なぜこんなところに女子が。学生が。高森にはわからない。

「しっかりしろ!」

 乾いた場所に連れて行くべきだ。そこはマイクロバスが最適だろう。

「どうしたんです!」

 背後からふいに女性の声がして、高森はびっくりする。懐中電灯でそちらを照らすと、こちらも場違いにしか見えないスーツケースを持った女性が傘を差して立っているのだった。

「救助します!」と高森。「バスに運びましょう」

「誰ですか? 誰なんです?」

「わかりません。そうだ、ほかにも誰かいるかもしれない!」

 女学生がひとりだけでここにいるわけがない。車ごと崖崩れに巻き込まれたと考えられる。

 高森は、何人もの女子の乗ったバスが崖の下にあるのではないかと想像するが、まずは目の前のひとりを救うしかない。

「手伝ってください!」

「はい」

 希愛は生まれも育ちも体育会系。指揮命令系統には反射的に体が動く。

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