第24話 慎重に飛び出す

「今朝ぐらいの天気だったらどうする?」

「予報が出ていましたからね、常識があれば行かないでしょう」

「十二年前はそこまで正確な情報じゃなかった。線状降水帯なんて言葉も滅多に聞くことはなかった」

「なるほど……」

「それにな、これから行けばわかるが、この山の道ってのは晴れている日と雨の日じゃまるで違う。シロウトがマイクロバスで通れるような道じゃない」

「一度、トンネルまで行きましたけど、ガードレールもなかったですね。クロスカントリーのコースみたいに厳しい道でしたよ」

「ああ。あの道がいまはたぶん、川になってる」

 麓から山への斜面にとりかかる頃には、高森も岡田の言葉を素直に受け入れていた。急傾斜ときついカーブが連続する道路は、川のように水が溢れている。パトカーのタイヤはスリップしやすく、たまにえぐられたようなところがあると、ズズッとハンドルを取られて思いがけない方向へ車体が傾く。

 ベテランの岡田がハンドルを握っているからいいようなものの、とても高森には運転できそうになかった。

 森が深くなるとヘッドライトをつけなければならない。まだ夕方というには早い時刻なのに。

「鉢合わせしないようにしないとな」

「でも、下ってきてくれていればいいですね」

「まあな」

 カーブのたびに岡田の運転は慎重さを増す。後輪が滑る。

「まだ来たばかりだから、高森君は雨の日や夜間は、この道に入らないこと。いいね?」

「はい」

 高森も運転には自信があった。が、ここは素直に受け入れる。岡田は熟知しているので、ハンドルとアクセルの加減が巧みだ。

 いくつかのカーブを経て、かなりの高さにやってくると、道はさらに険しくなる。道幅は狭くなり、左右から木々が迫る。凸凹もきつくパトカーの底を打つような嫌な音がして、乗っている高森たちも首がぐらぐらする。谷側は草木で覆われて路肩が見えにくくなっている。

「こんなところでスタックしたらJAFも来ないからな」

 岡田はそれでもゲームでもしているかのように、楽しそうに悪路の運転に熱中しているのだ。

 雨も激しさを増す。それは標高が高くなって雨雲の中に入ったせいなのか、あるいはいよいよ予報にあった線状降水帯によるものなのか、高森にはわからない。ただ、病院で話をしていた頃に比べて、危機感はさらに高まったことは間違いなかった。助けに行くはずの自分たちでさえも、命の危険を感じる。

「ここは危ないな」

 バシャンと水たまりのような深い穴にタイヤがはまり、しぶきを高く上げながら通過し、まだマイクロバスと遭遇しないことにやや焦りも感じはじめた。

「あと少しでトンネルだ。やつら、まだ下山していないんだ。到着したらおれが説得する」

「はい。お願いします」

「帰りは、おまえが運転してみるか?」

「え?」

「ハハハ。冗談だよ、冗談。おれだって命は惜しい」

 道がようやく平坦な斜面になってトンネルが近いとわかる。木々の向こうにチラチラと灯りが見えている。そこに撮影隊がいる。

「まだなにかやってるな。止めさせないと」と岡田。

 少し道幅が広くなって、Uターンできるぐらいのスペースが見えてきたとき、マイクロバスとトンネルがはっきり見えた。

 撮影真っ只中だろうか。

「あいつら、なんでトンネルの中に入ってるんだ」と岡田は憤る。「立ち入り禁止なんだぞ、あそこは」

 サイドブレーキをしっかり引いてシートベルトを外すと「行ってくる。車を反対に向けるぐらいはできるよな」。

「はい」

 岡田が雨の中、説得しに出ていく。

 運転席に移った高森が少しアクセルを強く踏むだけで、バリバリと砂利を跳ね飛ばしながら後輪が滑り、慌ててハンドルでカウンターをあてる。氷の上にいるようなものだ。

「ここを運転するなんて」と思わず恐怖がこみ上げてくる。

 なんとかパトカーの頭を下りへと向けた。

 ほどなくして、岡田が戻ってきたので高森は慌てて外に出て運転席を彼に明け渡した。二人ともすでにびしょ濡れだ。シートも濡れてしまっていた。足元もドロドロで、ああ、これをあとできれいにするのは自分の仕事だなあ、と高森はちょっとうんざりする。

「先導して降りる。あと三十分で終わるそうだ」

 そして無線を取り、本部に報告しようとした。

「ん? おかしいな」

 無線が通じない。

「しょうがねえな」と岡田はスマホを取りだしてなんとか連絡を取ろうとする。

「ちぇっ、こいつもダメか。おまえのは?」

「ダメですね。ネットも入れないです」

「いやな予感しかないな。きっとまずい結末なんだぜ、これってさ」

 高森は、なぜそんな不吉なことを言うのかと文句をつけたくなる。岡田がジム・ジャームッシュ監督のファンということを高森は知らない。映画『デッド・ドント・ダイ』も見ていない。それが警官二人の登場するゾンビ映画であることも知らなければ、主人公の警官を演じるアダム・ドライバーが何度も「まずい結末になる」、This is All Gonna End Badlyを繰り返すことも知らない。


 ちなみに、この映画を知らなくてもみなさんは人生になんの影響もございませんし、特に知られたセリフでもありませんので、高森君が知っていたらそれこそ奇跡でございましょう。ウィキペディアによれば批評家の採点は「平均点は10点満点で5.93点」で傑作とは申せません。愛すべき作品とは言えるのではないかと思いますが……。

 そしてすでにみなさまご存知の通り、このあと三十分では撮影が終わらないのでございます。

 じれた岡田は、「次はおまえ行け」と高森に説得に行かせた。そして、ようやく撤収となって下山を開始。このあとどうなるか、みなさんはご存知の通りまずいことが起こるのでございます。


 助手席でほとんど先の見えない道を下っていくパトカー。高森は、ただただ、ひやひやしているだけ。

「あ!」

 その高森、驚いて思わず足を突っ張った。

 岡崎は「ふん」と鼻を鳴らしてゆっくり深くブレーキを踏んだ。滑りやすい路面で急ブレーキは危険。しかも後ろからロケバスがついてきている。可能な限りゆっくりと停車する。ロケバスも停止している。

「見て来い」

「はい」

 高森はパトカーから飛び出した。

 まるで人を罰するかのように激しい雨の降りしきっている。

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