第6話 終戦の日
右に少し曲がったかと思うと、左へ少し曲がる。トンネルは人が横に三人ほど並んで歩けるほどの幅で、天井は頭がつきそうなほど低い。そこからポタ、ポタと水が落ちてくる。足元はしっかりした岩や石ばかりではなく、ぬかるんだり、水たまりがあったりと不確かでスベりやすい。
「気をつけろ。もしかすると、どこかが陥没でもしているかもしれないぞ」と班長。
ふと気付くと、さきほどまで後ろにいたはずの三人がいない。
「おい! なにをやってる。どこにいる!」
班長はひときわ大きなカンテラを持っていたが、それで周辺を照らしても人影はない。濡れて光る壁ばかり。
そんなはずはないのに「逃げ出したか」と班長も諦め、自分も怖くなり、トンネルの入り口へ戻った。
すると、残っていた者もいない。
「おーい、どうした、どこにいるんだ!」
さすがに怒りと恐怖で大声をあげると、ザザッと雨音に混じって砂利を踏みしめるような音がしてきた。いま工事をしている道路の方だ。道路は、トンネル側と麓側の両方から建設が進められていた。トンネル側はトンネル内に居住できる点では便利だったのだが、道具類をすべて運び揚げているわけではなかったこともあり、作業の進捗は遅い。麓からはトラックを使い、整地しながら上がっていくので、少しは速く進める。
このとき、トンネル内では常に二十人以上が居住しながら、道を切り開く作業をしていたはずだった。誰もが本土決戦の日は近いと感じており、だからといって海を渡って戦いに行けるような装備も飛行機も船も燃料もないため、やれることは限られていた。その結果、この地域ではトンネルとそこへ続く道路の整備に、多くの人を動員していた。とはいえ、その多くは年寄りと子どもであった。
ザザッ、ザザッ。
その音がしだいに近づいてくる。
班長は「そうか、こんな雨でも作業をしていたのか。感心感心」と雨の中へ飛び出していく。トンネル側からの道は車両が通れる広さになっていたが、すぐさま細く狭まっていき、そこにも工具が放置されている。
足音は細い道も向こうからしているような気がする。
「おーい」
叫びながら、足音へ向かっていく。すでにあたりは薄暗く、雨も激しいので見通しはきかない。
どういうわけか足音だけははっきり聞えてくる。ザザッザザッ。大勢の軍靴が重い装備を支えてぬかるんだ道をこちらに向かって近づいてくる。きっとそれは山特有の複雑な地形が生み出す現象なのだと班長は勝手に思い込み、音のする方へ向かって急いだ。
すると雨の中、ずぶ濡れの男たちに出くわした。作業にあたっている兵士たちなのだろうか。ただ、その顔に生気はなく、上半身は裸。ずぶ濡れで工具もなにも持っていない。いや、これほどの若者たちがよく揃ったものだ、と班長は感心します。見慣れた年寄りや少年兵、徴用された子どもたちではない。立派な若者たちだ。
「どうした。なにがあった!」
事故でもあったのか。いや、彼らは下からやってきたのだ。道が開通したのだ。
ところが、彼らは班長を無視してトンネルへ向かって行く。
「おい、どうした。なにがあった! どうなってるんだ!」
まるで機械のように、彼らは二列縦隊で、ザザッ、ザザッと足を揃えてトンネルへ入っていく。
「なんだなんだ、脅かすなよ。なんか言ってくれよ!」
そのまま彼らは闇の中へ吸い込まれていった。
「待て! おい、待たないか!」
班長は追いかけた。
しかし、そこには誰もいない。
「いったい、どうなっているんだ!」
班長はひとり、作業用の道を下り急いで報告へ向かった。すると、斜面から突然、大量の水が彼に降り注ぎ、そのすさまじい勢いに押されて道から吹き飛ばされてしまった。
「うわあああ」
藪の中へ頭から真っ逆さまに転がり落ちてしまう。頭を打ち、肩を打ち、お腹、足、まるで滅多打ちにされたように全身を激しくぶつけながら、どのぐらい落ちたのかもわからず、途中で意識を失った。
気がつくと、雨は上がり日が照っている。まぶしいほどの光だ。
「助かった」と、あたりを見回すと、あたりは真っ白に光っている。ただ光っているわけではなく、よく見れば地面から白く反射している物がそこらじゅうに散らばっている。
「なんだ、これは」
班長はおびただしい人骨の上に倒れていたのだ。
この話は、当人が戦後しばらくしてから、日記に書き記した話を元にしている。班長はその後、部隊に報告したとするのだが、その後どうなったのかは詳しくは書かれてない。ただ、こう記されていた。
「その日から、雨が降り出したら作業をやめ、全員が下山することになった」と。
だが、ほどなく広島、長崎に原子爆弾が投下されて、夥しい市民が殺戮されたのち、終戦を迎えたのだった。
ここまでが、郷土史家の発掘した蛇角山トンネルを巡るお話でございます。
江戸時代の同じように、蛇角山トンネルとそこにつながるクルマの通行できる道路を作ったにもかかわらず、終戦の日を迎え、一度として役に立つことなく再び忘れられてしまったのでございます。
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