人のセックスを
「春日さん!」
頭の後ろで、茅野が甲高い声を上げた。そして這いつくばる佑馬に近寄り、背中を撫で始める。吐くものを吐いて少し明瞭になった佑馬の脳に、茅野が心配そうにかけてきた言葉がじわりと染み込んだ。
「大丈夫ですか?」
大丈夫です。そう答えようとするが、唇から音が出て来ない。大丈夫、大丈夫、大丈夫――
「お前が吐くまで飲むなんて、珍しいな」
感情のこもっていない、一本調子な言い方。佑馬は吐しゃ物のついた唇を右手で拭い、ゆっくりと顔を上げた。ベッドから冷たい目で佑馬を見下ろす樹と視線がぶつかる。
「とりあえず服着たいから、出て行ってくんない? 山ちゃん」
「え、あ、なんすか?」
「こいつの服、リビングにあるから持ってきて」
樹が右の親指を立て、ベッドの奥を示した。佑馬は立ち上がり、樹の隣で縮こまっている青年を見やる。短髪の若者の怯えた目つきが、佑馬の脳から素早く記憶を引っ張り出した。
――本当に、尊敬してるんですよ。
「君、確かサークルの――」
「すいませんでした!」
青年の大きな声が、寝室に響き渡った。樹が佑馬たちを追い払うようにしっしと手を払う。
「そういうのは後でいいだろ。いいからまず出てけって」
偉そうな物言い。アルコールとは違う熱が、佑馬の頭をカッと温めた。両手を強く握りしめ、樹を睨みつけながら言い放つ。
「ふざけるなよ」
「ふざけてねえよ」
「ふざけてるだろ! 当てつけみたいに男連れ込んで、何考えてんだよ!」
「別にいいだろ。俺ら、もうとっくに別れてるんだから」
花火が消えるように、滾っていた熱がすうっと引いた。
振り返り、茅野と山田を見やる。二人とも唖然とした顔で佑馬たちを眺めていた。単純についていけてないのか、今の言葉に驚いたのか。佑馬が事態を図りかねているうちに、樹が茅野たちに向き直って言葉を放つ。
「そういうわけで、すいません。俺ら、ハナからラブラブカップルなんかじゃないんですよ。そこのバカが後先考えずにドキュメンタリーの話なんか受けやがったから、仕方なくカップルのフリをしてたんです。でもそれも、今日でおしまい」
樹がベッドから床に下りた。陰茎まで剥き出しの全裸を前にした茅野が、口元を手で抑え身体を強張らせる。しかし樹はそんな反応など気にすることなく、マイペースに衣装ケースから下着や服を取り出して身に着け始めた。
「今日まで、本当にキツくてさ」
誰に告げるわけでもなく、樹が淡々と独りごちる。
「安請け合いしたの、マジで後悔してたんだよな。こんな風に終わるとは思ってなかったけど、どうせ時間の問題だったし、ちょうどいいっしょ。カメラ回されて、見世物にされて、性に合わねえわ。他人の生き様を玩具にすんなっての」
Tシャツにハーフパンツという姿になった樹が、他者を威嚇するような大股で寝室から出て行こうとした。佑馬はその背中に刺々しく声をかける。
「どこ行くんだよ」
寝室とリビングの境目で、樹が足を止めた。リビングから届くテレビの音声が、大きな身体に遮られて小さくなる。ハーフパンツのポケットに手を突っ込み、樹がおもむろに振り返った。
「赤の他人が同じ家に住んでるのはおかしいから、出て行くんだよ」
切れ長の目を細め、樹が佑馬を見やる。焦点のぼけた眠そうな瞳。ただひたすらに面倒。そういう感情が伝わる。
「長谷川さん」
茅野が前に出た。そして両手を身体の前で合わせ、しずしずと頭を下げる。
「長谷川さんの気持ちを汲み取れず、不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。責任者として謝罪します。ですが」
茅野の頭が上がった。背筋を伸ばし、凛とした声を放つ。
「春日さんだって、考えなしにお話を受けたわけではないと思います。春日さんと長谷川さんがパートナーシップ制度を利用してインタビューを受け、それにたくさんの人たちが希望を見て、春日さんはその希望を次世代に繋げようとしてくれたんです。だから――」
「あんたさ」
言葉を遮り、樹がポケットから右手を出した。そしてひとさし指を伸ばし壁際の本棚に向ける。
「あそこの本、あんたも読んでるんだろ」
樹が示した先には、佑馬のBL本が並んでいた。
「俺らのインタビューなんて、あれと同じだろ。男同士がいちゃついてんのを見るのを好きなやつらが、男同士がいちゃついてるから持ち上げたんだよ。どっちが挿れる方とか挿れられる方とか騒いで、同じことを自分の好きなキャラクターにやらせたりして。俺らがセックスするエロ小説を書いてるやつもいるんだぜ。何が希望を見ただよ。性欲を掻き立てられたの間違いだろ」
吐き捨てられた言葉に、茅野が上体を引いて怯んだ。逆に樹は勢いを増す。
「あんた、『人のセックスを笑うな』って小説知ってる? 映画にもなってるんだけど」
「……知ってます」
「あのタイトル、本屋で同性愛の本を見て笑ってるやつらを見た時に思いついたんだと。まあ確かに笑われるのはムカつくわな。でもさ」
樹の唇が、嘲りに大きく歪んだ。
「『人のセックスに萌えるな』も、あんま大差ないと思わねえ?」
問いかけに、茅野は答えなかった。口を噤んだまま動かず、やがて俯いて樹から視線を逸らす。樹がふんと鼻を鳴らし、佑馬たちに背を向けながら言い放った。
「冗談じゃねえよ」
バタン。ドアを勢いよく閉めて、樹が寝室から出て行く。部屋が揺れ、床に広がる吐しゃ物の臭いが、わずかに強くなった気がした。
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