評価の価値

「だって褒められたところ、ほとんど久保田さんのアイディアじゃないですか」


 対面に座る春日が愚痴を吐き、テーブルに置いてあるハイボールのジョッキに手を伸ばした。そのまま中身を勢いよく喉に流し込み、言葉を続ける。


「相手のためじゃなくて自分のためのメイクってコンセプトも、普通は使わないような派手な色使いも、全部そう。異性愛者には創れないとか、セクシャル・マイノリティとしての感性が生きているとか、適当言うなって思いましたよ。めちゃくちゃ異性愛者の考えたデザインだし。ねえ?」


 酔いにとろけた目で、春日が隣の久保田を見やった。久保田は困ったようにネイビーのネクタイを撫でながら答える。


「まあ、でも、仕上げたのはお前だからな。お前の感性が全く生きてないわけじゃない。茅野さんもそう思いますよね?」

「そうですね。私はデザインについては専門外ですが、映像制作でも同じコンセプトから同じ映像が出力されるわけではありませんし、春日さんのデザインが認められたと考えて良いと思います」


 助けを求めるように話を振られ、その要請に答える。春日はどこか納得いかないように唇を尖らせながら、再びハイボールに口をつけた。ペースの早いアルコールの消費から春日の頬は赤らんでおり、緩められたネクタイが醸し出す隙の多い雰囲気と合わさってやけに色っぽい。カメラを回していないことが惜しいと思えるほどだ。もっとも志穂の隣から山田がカメラを回していたとして、この映像をドキュメンタリーに組みこむことは難しいだろうが。


 会った時からずっと、今日の春日は分かりやすく気落ちしていた。


 少なくとも、大口のコンペに勝利したデザイナーの姿ではなかった。一緒に出向いてきた久保田は、春日がまるで世界を救ったかのようにその成果を褒めたたえていたが、当の春日には少しも響いていなかった。


 春日のデザインを採用した化粧品会社への取材を終えてもそれは変わらず、久保田は春日の気分を上向かせるため志穂たちも誘って居酒屋で飲み会を開いた。その結果が、これだ。最初こそ「部内で祝勝会を開いてその様子をドキュメンタリーに乗せよう」と明るい話も出ていたが、春日の体内のアルコール濃度が高まっていくにつれて愚痴が多くなり、今では立派な絡み酒になってしまった。


「トイレ行ってきます」


 ひとしきり愚痴った後、春日が立ち上がってふらふらと席を離れた。場の中心人物がいなくなり、にわかに静寂が生まれる。金曜夜の勤め人たちの騒ぎ声があちこちから聞こえる中、久保田が小さなため息を吐き、志穂に向かって笑いかけた。


「すいません。恥ずかしいところを見せてしまって」

「構いませんよ。春日さんの人間としての深みを見られることは、ドキュメンタリーを撮る私たちにとってもプラスですから」

「なるほど。それは、そうかもしれませんね」


 久保田が生ビールのジョッキを持ち上げ、ほんの少しだけ飲んでまたテーブルの上に置いた。久保田が酒をあまり飲まず、志穂と山田はノンアルコールで済ませているのも、春日が一人熱くなっていく要因の一つなのかもしれない。


「茅野さんたちは、ずっと春日たちを追っているんですよね」

「ええ。お盆は春日さんの実家にお邪魔させて頂きました」

「春日の恋人も一緒に?」

「はい」

「なるほど。プライベートの方は、上手くやっているんですね」


 プライベートの方は。皮肉めいた言葉を吐き、久保田が目線を横に流した。


「ゲイだから仕事が取れたって、そんなに嫌なものなんですかね」


 久保田の声が、ほんの少し暗い色を帯びる。


「例えば海外ではクォーター制と言って、議員や役員の女性比率が一定以上になるよう決まりを定めたりしますよね。セクシャル・マイノリティの場合も制度までは行かないにせよ、彼らを属性で重用することは良いこととして捉えられる。それと同じようには考えられないのでしょうか?」


 問いかけを受け、志穂は答えに詰まった。春日の感情は理解できる。だけど今の社会が平等ではないことも、だから特別扱いで公平を目指す必要があることも、同じように理解できる。


「丁重に扱えという要求と、粗雑に扱えという要求が、社会に混在しているように思えるんです。そういう事態に直面すると――戸惑います」


 長めに言葉を切った後、シンプルな結びで終わった。おそらく良くない台詞を引っ込めたのだろう。例えば「ワガママだ」とか、そういったものを。


「……人によるのではないでしょうか」


 お茶を濁す。久保田が志穂に何か言いかけたが、ちょうど春日が戻ってきて引っ込めた。代わりに、よろけながらシートにどかっと腰かける春日に向かって、心配するような言葉を吐く。


「大丈夫か?」

「大丈夫ですよ。明日休みだし」


 返事とは裏腹に、ろれつが回っていない。かなり酔っているようだ。


「なんか、すいませんね。ほんとすいません」


 いきなり、春日が久保田に向かって謝り始めた。困惑する久保田に、春日がその真意を語る。


「トイレで気づいたんですよ。俺が他を圧倒する即採用のデザインを出せていれば、そもそもこんなことにはなってないんだって。なのに勝手にストレス感じて、鬱憤ぶつけて、ダサいですよね。俺がデザイナーとして半人前なのが悪い。ここからはそう切り替えて、しっかりやって行きます」


 卑屈すぎる言い分に、志穂は唖然となった。久保田が不機嫌そうに吐き捨てる。


「じゃあ、あのデザインで行けると思って送り出した俺も半人前か」


 春日の瞳が揺らいだ。久保田の右手が、春日の左肩に置かれる。


「確かに、今回の案件はデザインとは別のところが評価されたかもしれない。でもそれだってお前の一部だろ。お前が評価されたことには変わりない。お前はお前の力で仕事を取ったんだ」


 久保田の右手が春日から離れた。そのまま親指を立て、どこか芝居がかったように自分を示す。


「そして俺はそんな能力のあるお前が部下にいて、仕事を取ってきてくれて良かったと思っている。それで、何か問題あるのか?」


 ゲイであることも能力の一部。望んでいない、だけど優しい言葉を耳にし、春日の顔に迷いが浮かんだ。ハイボールのジョッキを手にして口元に運び、その仕草で久保田から目線を外しつつ答える。


「……ないです」

「だろ。じゃあ、頑張れ!」


 久保田が春日の背中を叩いた。春日は赤くなった頬を緩めて控えめに笑う。ずっと無言で食事と雑用に徹していた山田が、春日のハイボールが無くなりかけているのに気づき、注文用のタブレットを手に「何か飲みますか?」と春日に尋ねた。

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