アズ・ア・ヒューマン
居酒屋を出る頃には、春日は足元が覚束ないほどに酩酊していた。
家まで送った方がいいと判断し、志穂と山田は久保田と別れた後、春日を社有車まで連れて行き後部座席に乗せた。そして志穂は助手席に乗らず、何かあっても対応できるよう春日の隣に座る。車が出発してしばらく経った後、春日が額を手で抑えて俯きながら、か細い声で志穂に謝罪を告げた。
「迷惑かけて、すいません」
「気になさらないでください。飲まなきゃやってられない気持ちは分かります。前にも言った通り、私は春日さんに『近い』ので」
実家に出向いた時の言葉を引っ張り出す。春日の口元がゆるんだ。
「僕も、茅野さんは僕に『近い』と思います」
「そうですか」
「考え方が似ている気がするんですよね。それこそ樹よりも、よほど」
長谷川の名前を口にした瞬間、春日のまぶたがわずかに下りた。物憂げな様子で形の良い唇を開き、熱っぽい吐息と共に声をこぼす。
「人間扱いして欲しいんですよ」
すれ違う車のヘッドライトが、春日の顔に浮かぶ疲労を薄く照らした。
「春日佑馬という人間を、春日佑馬という人間として見て欲しい。本当にただそれだけなんです。それって、そんなに難しいことなんですかね」
――難しいことだ。果てしなく、とてつもなく、難しい。
「分かりますよ。私も春日さんと同じように、女ではなく人間扱いして欲しいと思うことがしょっちゅうあります」
志穂は座席のシートから少し身体を起こした。背中に力を入れ、声の通る道を真っ直ぐに整える。
「だからこそ私は、春日さんを人間として撮った映像で、春日さんを人間扱いしない世界を少しでも変えられればと思っています」
春日を慰めるためというより、自分を鼓舞するために言い切る。春日がふっと鼻から息を吐き、小さく笑った。
「お願いします」
車が大きく揺れた。春日がシートに座り直して腕を組み、口と目と閉じて眠る体勢に入る。志穂はしばらく自分に近い側の窓から夜景を眺め、やがて寝息が聞こえて来てから春日を見やった。うつらうつらと船を漕ぐ春日の姿に、無防備な子どもの愛嬌と傷ついた戦士の哀愁を見て、無性に切なくなる。
やがて、春日の住むマンションが近づいてきた。マンション傍のコンビニの駐車場に車を停め、眠っている春日を起こそうとするが、すっかり酩酊していてなかなか目覚めない。どうにか車から降りて貰ったはいいが、すぐに足を大きくもつれさせて転びそうになったので、志穂と山田で部屋まで送ることにした。
山田が春日に肩を貸し、志穂がエレベーターの操作などを受け持って、春日を部屋の前まで連れて来る。志穂が玄関ドアのノブを回して手前に引くと、ドアはあっさりと開いた。どうやら長谷川も日出社長と同じように、自分が中にいる時は家に鍵をかけない人種のようだ。
「お邪魔します」
部屋に上がり、リビングに足を踏み入れると、照明とテレビがつけっぱなしになっていた。しかし長谷川は居ない。寝室にいるのだろうか。志穂はまず現状を把握しようとリビングを見渡し、そして気づいた。
ソファの傍に、男物の服と下着が脱ぎ散らかされている。
――お風呂?
振り返り、通って来たばかりのリビングから廊下に出るドアを見やる。バスルームがあるのは玄関とリビングを繋ぐ廊下の途中だが、そこに誰かが入っている気配はしなかった。そもそも寝室が別にあるのにリビングで服を脱ぎ、さらに脱いだものをその場に放置するなんて、通常のルーチンでは考えにくい行動だ。
考え込む志穂をよそに、山田が「長谷川さーん」と寝室のドアをノックし、反応がないのを確認してから春日を連れて中に入っていった。リビングと繋がった寝室。脱ぎ散らかされた衣服。二つのピースが志穂の脳内でピタリとはまる。そう、これはまるで――
リビングで盛り上がり、ベッドに場所を移したカップルのような――
「うわあ!」
寝室から、山田の叫び声が聞こえた。志穂は思考を止め、慌てて自分も寝室に向かう。開きっぱなしのドアを抜けて、照明の点けられた寝室に飛び込み、呆然と立ちすくむ山田と春日の視線の先に目をやる。
ベッドの上に、裸の男が二人。
二人とも仰向けになり、気持ちよさそうに眠っている。一人は、知らない。飾り気のない短髪が強調する若々しい顔立ちから見るに、おそらく二十代、下手したら十代後半の青年だろう。そしてもう一人は、間違いなく知っている。ライオンのたてがみのような薄茶色の髪と、その野性的な雰囲気を強調する整えられた顎鬚。長谷川樹。間違いなく、その人だ。
「……ん」
長谷川が動いた。寝転がったまま首を曲げ、まぶたを開いて志穂たちの方に寝ぼけ眼を向ける。そしてそのまま身体を起こし、筋肉質な上半身を見せつけるように大きく伸びをした後、一言呟いた。
「早かったじゃん」
春日が山田の肩から崩れ落ち、床に両手をついて嘔吐した。吐しゃ物の酸っぱい臭いが部屋に満ちる。リビングで点けっぱなしになっているテレビのバラエティ番組から、場違いで盛大な笑い声が寝室に届いた。
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