バースデイ

 恋人の丘から戻った後は、近くの食堂で茅野たちと打合せをした。


 佑馬が下した決断を、茅野は素直に受け止めてくれた。そしてその後、茅野は自らのプランを話し、今度は佑馬たちがそれを受け入れた。樹は佑馬のマンションに戻ることになり、山田が「明日からメシがマズくなるなあ」と肩を落としていた。


 落としどころが決まった後は、デートの撮影を続行。鎌倉まで足を伸ばし、夕食を取ってから、茅野たちの車でマンションまで送って貰った。およそ三週間ぶりの帰宅に樹は何のコメントもすることなく、出て行く前と同じようにマイペースにくつろいでいた。


 やがて、寝支度を整える時間が訪れた。樹が先に風呂に入っている間、佑馬はリビングでテレビドラマを観る。恋愛群像劇を描くドラマには男性同士の恋愛も含まれていて、佑馬はふと、かつて樹がこの手のドラマが増えてきたことを「見世物にされているようで気持ち悪い」と評したことを思い出した。今思えば、考え方の違いを見つける機会はあちこちに転がっていた。見つけたところで変えられないから、何の意味もないけれど。


 樹が風呂から上がってきた。湿った茶髪が頭皮に張りつき、ファンシーなストライプ柄のパジャマと相まって、日中の野性味はすっかり失われている。佑馬はこの姿の樹を見るのが好きだった。晴れた日に家で折り畳まれている傘のような、えも言えぬ存在感と愛らしさを、風呂上がりの樹から感じていた。


「なあ」


 樹が話しかけてきた。佑馬はソファの背もたれに身体を預け、肩の力を抜いて答える。


「なに?」

「明日から私物の整理したいんだけど、キッチン用品どうする? だいたいお前の金で買ったもんだから、残して欲しいなら残すよ。どうせ次に住むところの台所クソ狭いし」


 ドラマの中で、激しい口論が起こった。


 俳優たちの怒鳴り声の中、佑馬はパチパチと瞬きを繰り返す。樹はそんな佑馬を無表情で見下ろしており、その動じない様子がさらに佑馬を混乱させた。話をどこから整理すればいいのか。考えて、とっかかりを見つけ、そのまま口にする。


?」

「そう。山ちゃんとこにいる間に決めて、あとは契約するだけって感じ。ちなみに仕事も決まってるから」


 ドラマの口論が、収束の気配を見せ始めた。待て。こっちはこれからだ。そんな風に置いて行かれた気分になる。


「そういうのは先に言えって」

「言ったら、もう出て行く準備できてるから別れようみたいになるだろ。それはなんか違うじゃん」

「別れないことになったらどうするんだよ」

「キャンセルするだけだよ。それに――ならねえだろ」


 声がくぐもった。しんみりとした雰囲気が生まれ、佑馬も口をつぐむ。テレビドラマのやりとりとアクアリウムのエアーポンプの音が、埋めているはずの沈黙を逆に引き立てて、佑馬と樹から次の一言を奪う。


 ついさっきまで口論をしていたドラマの二人は、いつの間にか抱き合って愛を囁いていた。羨ましい限りだ。自分たちは何度ぶつかっても、ただお互いが違うことを確かめ合うだけだったのに。


「……おやすみ」


 ぼそりと呟き、樹が寝室に向かった。引き留めなくては。そんな理由のない衝動が佑馬の胸に襲いかかる。


「待って」


 強めに呼びかける。今まさに寝室のドアを開けようとしていた樹が、手を止めて振り返った。何と言うべきか。何を語るべきか。佑馬は一瞬のうちに数多くの言葉を脳内に並べ、そして――見つける。


「誕生日、おめでとう」


 樹が目を丸くした。そしてすぐ、顔全体を柔らかくをほころばせる。


「あんがと」


 ドアを開け、樹が寝室に消えた。佑馬はソファに座り直し、正面のテレビと再び向き合う。どうだ。俺たちにだって、これぐらいはできるんだ。すっかり仲直りしたドラマの恋人たちに向かってそんなことを考えている自分が、あまりにも間抜けで、だけど嫌いになれなくて、佑馬は声を立てずにひっそりと笑った。

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