ロマンチスト・エゴイスト

 潮風が吹く中、コンクリートの橋を島に向かって歩く。


 空は青く澄みきっており、直射日光と海の照り返しに挟まれて、しっかりまぶたを開けると目の裏側がちくちくと痛んだ。絶好のデート日和ではあるが、撮影日和とは言い難い。現に山田は撮影が始まるまで位置取りやカメラの調整に四苦八苦していたし、志穂の少し前を歩く春日と長谷川も眩しそうに眉をひそめ、整った顔立ちが少し歪んでしまっている。


「去年は、なぜ江ノ島に来たんですか?」


 声が風に飛ばされないよう、普段の撮影よりややボリュームを上げて尋ねる。春日が遠い目で島を見つめながら答えた。


「樹の希望ですよ。誕生日旅行を提案したら江ノ島と言われたので、来ました」

「そうですか。長谷川さんはどうして江ノ島を選んだんですか?」

「行ったことなくて、近かったんで」

「は?」


 春日が驚いたように声を上げた。その勢いで長谷川につっかかる。


「そんな理由だったのかよ」

「そうだよ。遠くまで行くのめんどくせえじゃん」

「お前、一人でふらっと遠出するの好きだろ」

「旅は好きだけど、旅行は苦手なんだよ」

「なんだよそれ……スナフキンかよ……」


 ぶつぶつと愚痴る春日の横に、長谷川が素知らぬ顔で立つ。マイペースな長谷川に振り回される春日という、これまで何度も目にした組み合わせだ。何も変わっていない。今日、二週間ぶりに顔を合わせたなんて、言われなければ分からない。


 二人がどういう腹積もりでこのデートに臨んでいるのか、志穂は聞いていない。だから今撮っている映像がどのように使われるのか、あるいは使われないのか、まるで見当もつかない。イメージするシナリオがあり、それに使えそうな画を撮っていた今までとは違う、手探りで暗闇を歩くような不安感の中の撮影。きっとこれが「人間を撮る」ということなのだろう。


 橋を渡り切り、島に到着する。快晴の休日だけあって観光客は多く、大きなカメラを担いだ山田を含む集団はとても目立っていた。だけど春日も長谷川も全く気にすることなく、標高60mの島をずんずんと登って奥へ奥へと進んで行く。途中に現れる観光施設にも一切立ち寄らない。目的地は決まっているから。


 やがて、その目的地への案内看板が、志穂たちの前に現れた。


『恋人の丘 龍恋の鐘 入口』


 看板を見て、春日が眩しそうに目を細めた。そしてノスタルジーに吞まれそうな自分を振り払うように、大げさな動きで志穂の方を向く。


「茅野さん」

「分かっています。ここで待っていますので、行ってきてください」

「ありがとうございます。樹、行こう」


 長谷川に声をかけ、春日が看板の傍にある小道を奥に向かって歩き出した。長谷川も無言で春日についていく。やがて二人の姿が見えなくなり、足音も聞こえなくなった頃、山田が小声で探るように志穂に話しかけてきた。


「いいんすか?」

「いいも何も、約束したんだからしょうがないでしょ」

「だから、そんな約束して良かったんすかって話っす」

「仕方ないじゃない。ここまで撮らせてもらっただけ、ありがたいと思わなきゃ」


 自分に言い聞かせるように呟く。間違いなく大事な局面だ。撮りたいか撮りたくないかで言うならば、もちろん撮りたい。だけど撮るわけにはいかない。それぐらいの分別はついている。


 思い出の場所に行き、二人きりで話をしたい。

 

 春日の想いを聞き、志穂は率直に「ロマンチストだな」と思った。自分と春日は似ていると思っていたが、やはり違うところはしっかりと違うようだ。自分の頭からその発想は絶対に出て来ない。相手がいないのは、また別の話として。


「ところで山田くん、この先に何があるか知ってる?」

「え。志穂さん、知らないんすか? 来たことないオレでも知ってますよ」

「逆に、なんで来たことないのに知ってるのよ」

「映画の舞台になってるんすよ。まあ恋愛映画なんで、志穂さんは観たことないと思いますけど」


 得意気に答えながら、山田がカメラを肩から下ろして脇に抱えた。


「ざっくりいうと、海が見える高台みたいなのがあって、そこに鐘と柵が置いてあるんす。そんでその柵に二人の名前を書いた南京錠をぶら下げると、永遠の愛が叶うみたいな逸話があるんすよ」

「何それ。どういう理由で?」

「……そういうのに理由とか要ります?」

「だって古くからの言い伝えみたいなものがあるならともかく、そうじゃないなら言ったもの勝ちじゃない」

「それはそうっすけど……本当にロマンがないっすね」


 山田がこれみよがしに溜息をついた。そして春日と長谷川が消えた小道の先を見つめる。


「あの二人が戻ってきたら、今度はオレと志穂さんで行こうと思ってたのに、めちゃくちゃやる気そがれましたよ」

「なんで私と山田くんで行くのよ」

「そりゃ、オレが志穂さんのことを好きだからっす」


 反応が遅れた。


 言葉の意味を理解して、志穂が山田の顔に焦点を合わせた頃、既に山田は志穂を真っ直ぐ見つめていた。今まで見たことのない、こんな目が出来たのかと驚いてしまうほど真摯な視線に志穂はたじろぐ。その戸惑いにつけこむように、山田がいつもよりいやに低い、男を感じさせる声を志穂にぶつけた。


「本気っすよ」


 もしかしたら――


 春日も最初は、恋愛にそこまで興味のある人間ではなかったのかもしれない。どこかで誰かに恋をして、その恋が胸に深く刺さって、ああいうロマンチストな人間になったのかもしれない。自分と春日はやはり似ていて、自分も心とろかすような恋に出会えば、春日と同じようなロマンチシズムを抱くことがあるのかもしれない。


 だけど――これはそうではなさそうだ。


「ごめん」素直に。「一ミリも意識したことない」


 飾らない言葉を、飾らないまま放つ。眼球が飛び出そうな勢いで山田が目を剥き、その過剰な反応に志穂は身を引いた。やがて山田がさっきの数倍大きな溜息を地面に叩きつけ、覇気のない声でボソボソと呟く。


「断り方ってもんがあるじゃないっすか……」

「だから、ごめんって。でもしょうがないでしょ。本当に、全く意識したことないんだから」

「……これからもなさそうっすか?」

「うん」


 はっきりと言い切る。変な希望を持たせないようにしてやろうという志穂の優しさは伝わらず、山田は眉を大きく下げて泣き出しそうな表情になった。そして首をぶんぶんと振り、全てを諦めたように力なく笑う。


「まあ、もう、いいっす。そういう我の強いところが好きなんで」

「変なところを好きになるのね」

「……死体蹴り止めてもらっていいっすか? そのうち刺されますよ?」


 蹴ったつもりはなかったが、ダメージを受けているのは分かったので言われた通りに黙る。山田が脇に抱えているカメラを軽く撫で、視線を再び春日たちの向かった先に戻した。そして志穂の方を向かないまま、照れ隠しと誤魔化しの言葉を前方に力強く吐き出す。


「ドキュメンタリー、ガチで気合い入れて作りますからね」


 やけくそな言い方に、志穂は思わず吹き出しそうになった。だけど笑い声を我慢して笑顔だけを残す。刺されたくはない。それに――山田のこういうところは、嫌いではない。


「当たり前でしょ」

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