職場撮影
春日の勤務する広告デザイン会社『ウェイブス』は、都内の商業ビルの一画にオフィスを構えていた。
春日の案内でオフィスに入り、山田と共に受付で入館許可証を貰う。受付の社員は若い男性だった。一般的には女性を配置する会社の受付に男性。この会社が性に関して先進的であることが、取材をするまでもなく分かる。
カメラを回しながら春日を追いかけているうちに、八つのデスクが二グループに別れて配置されているエリアに着いた。春日が「おはようございます」と元気よく挨拶をして、同僚が挨拶を返す。そしてデスクに座ってノートパソコンを立ち上げる春日に、志穂より少し年上っぽい女性社員が隣のデスクから声をかけた。
「今日はずっと撮影?」
「午前だけです。僕だけにつきっきりってわけにもいかないので」
「ああ、長谷川くんの方も撮らないといけないもんね」
「そうじゃなくて、撮る人にも別の仕事があるということです」
「そうなの? 毎日ずっと春日くんたちを撮ってるんだと思ってた」
「そんなのが続いたら、僕も樹ももちませんって」
談笑に耳を傾けながら、志穂は思考を巡らせる。同僚の女性が長谷川を知っているのは、春日が話しているからだろうか。しかしその程度で苗字呼びは随分と馴れ馴れしく思える。この女性社員が特別にフランクなのか。あるいは、春日がそういうキャラクターなのか。
「職場インタビューもあるんだよね」
女性社員がちらりと志穂を見やった。不安げな様子を見て、志穂は口を挟む。
「インタビューさせて頂けると聞いてはいますが、不参加でも構いませんよ」
「あ、いえ。参加したくないわけじゃないんです。ただ、何時ごろから始まるのか気になって」
「まずは春日さんの上司にインタビューをして、職場インタビューはその後ということになっています。そういえば、上司の方はもう出社されているのでしょうか?」
「私です」
はす向かいのデスクから、ハスキーな声が上がった。
背の高い男性社員がすっくと立ちあがり、志穂たちに歩み寄ってくる。新人教育にバディ制を採用している『ウェイブス』において、かつて春日のバディを務め、今は上司を務めている男性。名前は――
「久保田慎也です。よろしくお願いします」
久保田が志穂に名刺を差し出した。志穂も同じように久保田に名刺を渡し、山田が後に続く。久保田が志穂の名刺と顔を見比べ、感心したように呟いた。
「お若いのにディレクターとは、優秀なんですね」
「人がいないだけですよ」
「またまた、ご謙遜を」
100パーセント真実だ。志穂は愛想笑いを浮かべ、話を変えた。
「インタビューはいつ頃から始められますか?」
「いつでも。何なら、今からというのはどうでしょう」
「今から?」
「出来ることは出来るうちに。弊社のポリシーの一つです」
得意げに言い切る。自分に自信のある人間の話し方だ。経験上、撮影でこういうタイプの人間と相対した時は、出来る限り相手の言い分に従った方が良い。
「分かりました。今からやりましょう」
「承知しました。では、ミーティングルームまで案内します」
久保田が志穂から目線を外した。そして傍で座っている春日を見やる。
「ボロクソにけなしてくるから、覚悟しとけよ」
「いいですけど、それだと放送できませんよ」
「ナマイキ言いやがって」
久保田が嬉しそうに呟き、春日も口元をほころばせた。強い信頼が伺えるやりとりだ。マイペースで掴みどころのない長谷川より、よほど春日とお互いを理解し合っているように見える。
「行きましょうか」
久保田が歩き出した。堂々と胸を張り、肩で風を切って歩く姿は、やはり自信家のそれだ。おそらく四十歳は過ぎているだろうが、立ち振るまいが力強く年かさを感じさせない。そして、エネルギッシュな中年男性はアブラギッシュを併発しがちだが、細身のシルエットやぴったりと合ったスーツのおかげか、スマートな印象も失っていない。理想の上司。そんな陳腐な言葉が志穂の脳裏に浮かぶ。
「ここです」
ミーティングルームの扉が、久保田の手によって開かれた。右手の壁に大きなモニターがかけてあり、そのモニターに短辺を合わせる形で長方形のテーブルが置かれている。久保田がテーブルを指さし、志穂に尋ねた。
「どの椅子に座れば良いでしょうか?」
「そうですね……では、そこに座って貰えますか?」
テーブルの長辺に三つずつ並んでいる椅子のうち、志穂たちから見て奥側中央の椅子を示す。久保田が「分かりました」と答え、すぐに指定された椅子に座った。その後、志穂と山田で両脇の椅子を部屋の隅にどかし、志穂がテーブルを挟んで久保田の前に、山田がその右隣に座る。
「さて」久保田がテーブルの上で手を組み、背筋をピンと伸ばした。「私は何をお話すれば良いのでしょうか?」
座して待つのではなく、自分から口火を切る。本当に我が強い。もっとも上に立つ人間なのだから、それぐらいで丁度いいのかもしれない。
「それではまず、久保田さんから見て春日さんはどういう社員なのか、教えて頂けますか」
「有望な若手ですよ」
即答。そしてそのまま、流れるように語り出す。
「センスはいいし、ロジックもいい。それと、これはデザイナーにとってとても大事なことなのですが、人当たりもいいです。彼が『ウェイブス』に入社した時からずっと指導に当たっていますが、私が彼から学ぶことも多いですね」
「例えば、どのようなことを学びましたか?」
「やはりマイノリティに関する解像度は、彼の方が
「具体的には?」
「私が不動産仲介業者の広告デザインを担当した時の話なのですが――」
久保田の受け答えには、隙が無かった。
言葉に迷いがない。春日にインタビューした時も素人にしては出来すぎていると感じたが、久保田はそれ以上だ。職業柄、日常的にクライアントとやりあい、プレゼン能力が研ぎ澄まされているのだろう。編集は少なくて済みそうだが、一般人の密着ドキュメンタリーであることを考えると、扱いにくい面もある。
「――私にとって春日佑馬というデザイナーは、その90点を99点にする稀有な力を持った、尊敬すべき相手です」
久保田が春日を褒めたたえる。本当に「ボロクソにけなしてくる」わけはないと思っていたが、ここまで臆面もなく持ち上げて来るのは予想外だ。本当に良い関係を築けているらしい。
「春日さんが同性愛者であることは、途中で分かったのではなく、最初から分かっていたんですよね?」
「はい。入社してすぐの自己紹介で本人が話していました」
「戸惑いはありませんでしたか?」
「ないですね。弊社はLGBTフレンドリーな企業を目指し、社宅制度の対象範囲に同性パートナーを含めるなど、様々な施策を実施しています。そうである以上、彼のような人間が入社してくるのは当然であって、驚くようなことではありません」
「同性パートナーでも社宅に入れるんですか?」
「審査を行い、事実婚に相当すると判断されれば可能となっています」
「なら、春日さんも入ろうと思えば入れる?」
「同居期間がそれなりにあり、パートナーシップ宣誓を行っているので、可能だと思います。私も社宅に入らないのかと聞いたことがあります。あまり乗り気ではなさそうでしたが」
「なぜ?」
「恋人が自由人なので、まだ不安だと言っていましたね」
「なるほど。ちなみに久保田さんは春日さんの恋人のことは、どの程度ご存じなのでしょうか?」
一瞬、久保田の返答が淀んだ。だけどすぐに持ち直す。
「会ったことがあります」
「それは、春日さんに紹介されて?」
「大学の同期との会合に使う場所に悩んでいた時に、彼から恋人の働いているバーを紹介されて、そこで会いました。色々な人に同じように店を紹介していたようですよ。なので、会ったことがあるのは私だけではないです」
春日と同僚の女性がデスクで交わしていた会話を思い出す。なるほど。あの時、やけにフランクだと感じたのはそういうことか。おそらくあの女性も長谷川の働いていたバーに行って、長谷川と会ったことがあるのだろう。
「会ってみて、どのような印象でしたか?」
「それほど話したわけではないので、何とも。ハンサムな方だとは思いました」
「そうですか。では――」
「あの」
視線。
言葉を遮った久保田が送る強い視線に、志穂は思わず身構えた。久保田が今まで発していたエネルギーには指向性がなかった。太陽が放つ熱のようなもの。だけどこの視線は違う。明確にターゲットを定めた、レーザービームのようなエネルギー。
こういう視線を向けられた時は、いい画が撮れることが多い。一人の人間として感じる萎縮の裏に、ディレクターとして感じる高揚を潜ませ、志穂はじっと口をつぐんだ。音を目で捉えようとするかのように、久保田の薄い唇を見つめ、その奥からどんな言葉が飛び出すのか待つ。
久保田の視線が、ふっとゆるんだ。
「申し訳ない。何でもありません。続きをどうぞ」
――残念。
落胆を隠し、インタビューを続ける。続けながら、引っ込めた言葉が再び現れることを期待する。しかし結局、そこからインタビューが終わるまで、久保田が指向性のあるエネルギーを放つことは一度もなかった。
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