Chapter2:3日目
取材映像②
「有望な若手ですよ」
ミーティングテーブルの上で手を組みながら、ネイビーのスーツを着た壮年の男がカメラに向かって微笑んだ。笑みに合わせて顔に浮かぶ皺が男の肉体的な老いを、清涼な声と毅然とした振る舞いが精神的な若さを語る。老獪と呼ぶにはまだ早い、だけど遠からずそう呼ばれるものを身に着けるであろう、出来る男の立ち振る舞い。
「センスはいいし、ロジックもいい。それと、これはデザイナーにとってとても大事なことなのですが、人当たりもいいです。彼が『ウェイブス』に入社した時からずっと指導に当たっていますが、私が彼から学ぶことも多いですね」
男が少し体勢を変え、身体の正面をカメラに向けた。リバースストライプのネクタイを留めている、シルバーのネクタイピンがよく見えるようになる。画面の外から女性の声が届いた。
――例えば、どのようなことを学びましたか?
「やはりマイノリティに関する解像度は、彼の方が
――具体的には?
「私が不動産仲介業者の広告デザインを担当した時の話なのですが、家探しをする人たちを何パターンか考え、その姿を広告として押し出そうとしたんです。そして思いつくパターンを並べている時に、ふと彼のことを思い出したんですね。そこで男性同士の恋人のパターンも入れてみた」
――彼の存在が刺激になった、ということですね。
「そうですね。ただ、大事なのはその先です」
――その先?
「はい。アイディアが整ったところで、部内会議で検討の場に出したんです。そこで家探しをする男性同士の恋人を前面に押し出す案に、彼が難色を示しました。同性愛者である彼が、同性愛者の存在を無視しない、多様性を押し出す広告に眉をひそめたんです。なぜだと思います?」
沈黙。やがて、インタビュアーの回答が出される。
――実物とかけ離れていたから、でしょうか。
「違います。実はその仲介業者が、過去にSNSで同性愛者の入居を断ったという話で批難されていたんです」
男の声が大きくなった。この話で興味を引こうという意思が、ボリュームを通して伝わる。
「世間ではさほど話題になってはいません。ですが、そういった方面にアンテナを立てている人たちは違います。そしてそういう人たちはアンテナを立てているわけですから、広告に同性愛表象を使えばそれも見つけるでしょう。そうなれば、現実では入居を断っておいて利用できる時は利用するのかという話になりかねない。彼はそれを懸念していました」
男が視線を横に流した。芝居がかった仕草だが、画になっている。
「私はその批難を知りませんでした。それどころか、同性愛者は業者に入居を断られることがあるという現実そのものを意識できていなかった。弊社にはLGBTに関する研修も存在しますし、全く認識していなかったわけではないのですが、業者にそういう過去がないか調べもせず男性カップルを広告に使おうとする程度には、意識の外だったんです」
男の眼球が動いた。焦点が再び、カメラに合わせられる。
「万人に通じるデザインは、存在しません」
自信に満ちた態度。地球が丸かったり、太陽が眩しかったりするのと同じぐらい、自分にとって絶対の事実を語っていると分かる。
「訴えたい層への訴求力を強めれば強めるほど、それ以外に目が行きにくくなる。そういうものです。ただし取りこぼす量を少なくすることは出来ます。100点のデザインは創れなくても、99点のデザインなら創れるんです。そして90点のデザインを99点に引き上げるためには、90点のデザインを創る力とは全く別の力が要求されます」
男が言葉を切った。そして一呼吸の後、頬を穏やかに緩める。
「私にとって春日佑馬というデザイナーは、その90点を99点にする稀有な力を持った、尊敬すべき相手です」
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