もしも僕らが
インタビューの後は夕食の場を設け、茅野たちに樹の手料理を振る舞った。
食べたいものを尋ねたら山田が「唐揚げ!」と即答したので、メインディッシュは唐揚げになった。樹が山田の部屋を間借りしていた間に何度か作ってもらい、すっかりハマってしまったそうだ。唐揚げを頬張りながら「引っ越すならうち来てメシ作ってくださいよ」と言う山田に樹は「ヤダよ」と答え、佑馬はそれが予定調和の冗談であると理解しつつも、山田がきちんと断られたことに内心ホッとしていた。
食事の後は、しばらく雑談をした。イデオロギーを語るわけでも、ドキュメンタリーへの想いを語るわけでもない、本当にただの雑談。茅野からこのマンションの近くにテレビで紹介されたタイ料理屋があることを聞いた。山田から今上映中の子ども向けアニメ映画がやたら深くて面白いことを聞いた。樹から次に住む部屋のボロ具合とその近所の治安の悪さを聞き、佑馬はアクアリウムに新しく入れようと思っている水草のことなどを話した。目的のない会話は心地よく、別に何を成し遂げたわけでもないのに、茅野が「そろそろお暇します」と立ち上がった時には不思議な達成感を覚えていた。
茅野たちの身支度が整うのを待ってから、全員で玄関に向かう。靴を履いて土間に立った茅野が、佑馬たちに向かって「色々ありがとうございました」と頭を下げた。茅野の後ろで山田も同じように頭を下げ、佑馬たちに謝意を示す。
「動きがありましたら、またお二人に連絡させて頂きますので、その際はよろしくお願いいたします」
「分かりました」
「俺はいいです。素材は提供したんで、後は好きにして下さい」
樹がぞんざいな言葉を放った。そして一言、小さな声で付け加える。
「信じてますから」
茅野の口角が上がった。佑馬と樹を交互に見やり、堂々と胸を張る。
「お二人と知り合うことが出来て、本当に良かったと思っています」
「あ、それはオレもっす」
山田が口を挟んだ。そこは上司に託して黙るところだろうと、最後まで変わらない場の読めなさに佑馬は笑いそうになってしまう。茅野が呆れたように肩を落として山田を見やりつつ、玄関のドアノブに手をかけた。
「それでは、また」
ドアを開け、茅野と山田が出て行った。佑馬と樹はリビングに戻り、まずは食事の後片付けをする。片付けを終えると樹はソファに寝転がり、テレビを観ながらスマホを弄り出した。本当に今日、出て行くのだろうか。もしかしたら、このままここに居るつもりなんじゃないだろうか。いつもと変わらない樹から目を離せず、佑馬はビーズクッションに座ってリビングに居座り、別に観たくないバラエティ番組を樹と一緒に視聴する。
だけどもちろん、そうはならない。
「んじゃ、そろそろ行くわ」
バラエティ番組が終わり、樹が大きく伸びをしてソファから下りた。そして残っている私物を詰め込んだキャンバス地の黒リュックを背負う。いよいよ本当に、最後の最後。離陸寸前の航空機のように、リビングから玄関に続くドアに半身を向けて待っている樹に、佑馬は座ったまま声をかけた。
「ちょっと待て」
這ってテレビに近づく。テレビ台下の収納スペースには、佑馬が几帳面にファイリングした書類が色々と並んでいた。部屋の契約書、家電の説明書と保証書、そして――パートナーシップ宣誓書のコピーと、その宣誓書の受領証。
「これ、どっかに捨てといてくれ」
収納スペースから宣誓書のコピーを取り出し、立ち上がって樹につきつける。樹が露骨に眉をひそめた。
「役所に返すんじゃねえの?」
「受領証はな。でもこっちは残る。頼むよ。俺はこれ、どうしても処分できそうにないんだ」
「しなくていい」
強い否定が、佑馬から言葉を奪った。固まる佑馬に見つめられ、樹が決まり悪そうに視線を逸らす。
「処分したくなったら処分すればいい。逆に処分できないなら、それはまだ必要ってことだろ。じゃあ持ってろよ。必要なんだから」
「……いいのか?」
「なんか問題あるか?」
顔を伏せる。問題はない。ただ、どういうつもりか聞きたいだけだ。春日佑馬と長谷川樹の関係を、いったいどう捉えているのか。
「なあ」
薄い紙をつまむ指に、わずかに力を込める。
「もし日本でも同性婚ができて、俺たちが役所に出したのが、これじゃなくて婚姻届だったとして」顔を上げる。「そうだったらお前は、まだ俺と一緒にいようって思ったか?」
きっぱりと諦めたはずなのに、その瞬間が近づくと足掻いてしまう。やり直したいわけではない。救われたいのだ。その程度には近づけていたのだと、自分で自分を納得させたい。
「……そうだな」
右のひとさし指を顎に当て、樹が考え込み始めた。下を向いた唇から、声が床に落ちる。
「たぶん」樹の澄んだ瞳が、正面から佑馬を捉えた。「結婚しようって言われた時、断ってる」
パサッ。
パートナーシップ宣誓書のコピーが、ひらりと床に落ちて軽い音を立てた。佑馬は指を離してしまったことに気づき、だけど落としたそれを拾う気になれない。呆然と樹の顔を見つめ、返答の真意を考える。
結婚していたらどうしたかという質問に、そもそも結婚していないと答えられた。仮定すら不可能なレベルでありえないのだろう。つまり――
最初から、ずっとここにいるつもりは無かったということ。
「……くくっ」
含み笑いがこぼれる。なんてことはない。要するに長谷川樹という人間が、そういうやつというだけなのだ。間違えたわけでも、足りなかったわけでも、合わなかったわけですらない。どこの誰が相手だとしても落ち着く気なんてなかった。それだけの話。
じゃあ、パートナーシップ宣誓も断れよ。ド阿呆が。
「クズ」
シンプルな罵倒を浴びせる。樹がむっと眉根を寄せた。
「無理なものを無理って言ってんだから、むしろ誠実だろ」
「俺のためなら無理できるんじゃなかったのかよ」
「限度がある」
「クズ」
罵倒を繰り返し、佑馬は床からパートナーシップ宣誓書のコピーを拾い上げた。そして自分たちで綴った名前を眺め、しみじみと呟く。
「でもそれなら、こんな宣誓しないで、最初から結婚を断られる方が良かったな。夢見ないで済んだし」
同性婚の制度があれば、そもそもここまでこじれることも無かった。きちんと失敗できるのも権利だよな。そんなことを考えながら、佑馬は紙から目を離して樹と向き合う。
「元気でな」
無理して笑顔を作る。樹も目を細め、穏やかに微笑んだ。
「じゃあな」
踵を返し、樹がリビングから出て行く。ドアが閉まり、姿が見えなくなり、玄関から出る音が耳に届く。右手でつまんでいる紙切れがやけに重たくて、どうしても動けなくて、佑馬はだらりと腕を下げ、碇を下ろした船のようにしばらくその場に立ちすくみ続けた。
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