バディ
茅野たちと別れてオフィスに戻ると、会社の人間はほとんどが昼食を取りに外に出かけていた。
昼休みに入る時間をズラした分、行動サイクルがズレてしまったようだ。佑馬のグループも誰一人デスクに残っていない。とりあえず自分のデスクに座り、パソコンにログインして、キーボードを叩き閑散とした空間に硬質な音を響かせる。
「休憩時間中なんだから、仕事するなよ」
はす向かいのデスクから、久保田が茶化すように話しかけてきた。佑馬は指を止めて答える。
「早めに休んだ分、早めに再開した方が良くないですか」
「要らん。止めろ。カタカタうるさい」
「音量はいつもと同じだと思いますよ」
「周りが静かだから目立つんだよ」
にべもなく言い捨てる。部下を休ませようとしているのは分かるけれど、そんな昼休みの数分まで厳密にやらなくてもいいのに。もっとも、労務管理というのはそこまで厳密にやるからこそ、意味があるものなのかもしれないけれど。
「ところで、ドキュメンタリーの撮影は順調に進んでるのか?」
「一昨日の土曜に始まったばっかりですし、まだ何とも」
「会社の上司がムカつくとか言ってないだろうな」
「言ってないですよ。それ言って僕に何のメリットがあるんですか」
「確かに。ムカついても黙ってるタイプだな、お前は」
「別にムカついてませんってば」
久保田が愉快そうに笑った。そして自分のスマホを弄り出し、少し間を開けてから言葉を続かせる。
「お前の恋人は、俺について何か言ってたか?」
思いもよらない人物が話題に上がり、佑馬は目を丸くした。桃太郎に乙姫が出てきたような違和感への疑問を、そのまま飾らず口にする。
「樹が?」
「ああ。会ったことあるから、何か言ってるんじゃないかと」
「僕の知らないところでインタビューされていたら分かりませんが、たぶん何も言ってないと思います。そりゃ聞かれたら答えるかもしれませんけど、茅野さんが樹に久保田さんのことを聞く意味も分からないですし」
何ならあいつ、久保田さんのこと覚えてないと思いますよ。興味のない人間にはとことん興味がないので。――そこまでは言わずに留める。覚えておいて欲しいと思ってはいないだろうが、覚えていないと言われていい気分はしないだろう。
「それより、久保田さんの方こそどうなんですか」
「俺?」
「茅野さんのインタビュー、どんな感じで答えたんですか。ボロクソにけなしてくるとか言ってましたけど」
「褒めちぎったよ」
久保田は、佑馬の方を見ていない。
自分のデスクで、自分のスマホを眺めている。だけどちゃんと見ている。少なくとも佑馬は、そう感じた。
「勘違いするなよ。よそ行きのコメントを出したわけじゃない。思ってることを話したらそうなっただけだ。お前は、よくやってるからな」
ぶっきらぼうに放たれた言葉が、佑馬の胸にじんと響く。上司と部下ではなく、先輩と後輩の関係だった頃から、久保田は大事なところは茶化さなかった。右も左も分からない若僧だった佑馬はそういう久保田に惹かれ――正直な話、恋慕に近い感情を覚えたりもした。
その残渣のようなものは、今も心の片隅にへばりついている。樹に申し訳ないと思う気持ちはあるが、人の想いというのは得てしてそういうものだろうと開き直る気持ちもある。感情をコントロールすることは出来ない。出来るのは言動をコントロールし、他者と誠実に向き合うことだけだ。
「許せないなら、許さなくていい」
久保田がスマホから顔を上げ、デスク越しに佑馬の方を向いた。親の気を引くことに成功した子どものように、佑馬はその仕草を嬉しく思う。
「あれ、良かったです。色々な許せないこと、許して来たので。これからはあの言葉を胸に、妥協しないで生きていきたいと思います」
ありがとうございます。その言葉の代わりに賞賛を返す。久保田が自分のスマホに視線を戻し、小さく笑った。
「勝手にしろ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます