反省会
「では、本日はありがとうございました」
佑馬と樹が見送る中、茅野と山田が玄関から出ていった。とりあえず初日を乗り切れたことに佑馬は安堵する。ただ、乗り切っただけだ。総合的にはむしろ、初日からこれかと不安を覚える仕上がりだった。
リビングに戻るなり、樹がソファに寝そべりスマホを弄り始めた。期待していたわけではないが、やはり樹の方から切り出してくれることはなさそうだ。ソファの後ろに立ち、寝転がる樹に声を落とす。
「樹。反省会しないか」
「反省会ぃ?」
寝転がったまま、樹が首を曲げて佑馬の方を向いた。
「そう。今日の失敗を検討して、次に生かす」
「失敗なんてあったか?」
山ほどあっただろうが。そう怒鳴りたくなる気持ちをなだめる。それをやってしまったら、それこそ反省会どころではない。
「もっと上手くやれたところがあったって話だよ」
「どこ」
「例えばお前、茅野さんに嘘ついただろ」
「なんか言ったっけ」
「本読んでないって言った。確かにBLは読んでないけど、本は電子書籍で読んでるのに」
今だって読んでるんじゃないのか。そう咎める意図を込めて、樹の手元のスマホに視線を送る。樹がスマホを佑馬から隠すように、自分の身体に寄せた。
「棚の本の話だから、別にいいと思ったんだよ」
「嘘こけ。その後に色々聞かれたらめんどくさいからだろ」
樹がグッと顎を引いた。佑馬はやれやれと小さく首を振る。
「気持ちは分かるよ。でも茅野さんは俺たちのそういうところが知りたいし、撮りたいんだ。そこを隠したらいいドキュメンタリーは完成しない。だからもう、そういう嘘はつかないでくれよ。後で辻褄合わなくなったりしたら困るだろ」
共感を示し、事情を並べ、懇願で〆る。樹の感情を逆撫でしないよう、佑馬は言い方を選んだ。しかし配慮は功を成さない。
「嘘ついて撮影されてんのに、嘘つくなって言われてもなあ」
今度は佑馬がひるんだ。樹がさらにたたみかける。
「だいたい、お前だって嘘ついただろ」
「俺が?」
「インタビュー」
「あれは嘘っていうか……普通ああ言うだろ。同性婚がなくても手はあるとか、ゲイってだけでクビには出来ないとか言ったら、ドキュメンタリーを観てる人にじゃあ今のままでいいかって思われる。何のためのドキュメンタリーだよ」
「……それを嘘って言うんじゃねえの?」
樹がソファから立ち上がった。敵意剥き出しの目ににらみつけられ、佑馬の背筋がこわばる。
「嘘つくなとか、綺麗ごと言うなよ。この話が始まってからずっと、お前は俺に嘘つけとしか言ってねえよ」
吐き捨てるように言い放ち、樹が寝室に向かって歩き出した。不機嫌丸出しに寝室のドアを勢いよく閉められ、佑馬は大きく肩を落とす。大失敗だ。これならば反省会をしようなんて考えなければ良かった。
樹が去ったソファに座り、ボトムスのポケットから自分のスマホを取り出す。ドキュメンタリーの撮影中はあまり触れていなかったから、いつの間にか色々な通知が溜まっていた。その中からまずはLINEの新着メッセージを開く。
『今話せる?』
送り主は片桐明日奈。大学生の時にLGBTサークルの先輩後輩として出会い、卒業後はLGBT支援団体を立ち上げ、テレビ局にこのドキュメンタリー撮影の企画を持ち込んだレズビアンの女性だ。今日の撮影の話を聞きたいのだろうが、残念ながら良い報告は出来ない。とはいえ、引き延ばしたところで状況が変わるわけでもない。
『話せますよ』
素直に返信を打つ。すぐメッセージが既読になり、コールが送られてきた。少しは心の準備をさせて欲しい。この行動力がなければ、企画を通すことなんて出来なかっただろうけど。
「もしもし」
「もしもし。今日、撮影初日だよね。終わった?」
「終わりました」
「どうだった?」
ぼんやりとした質問。具体的に聞きたいことがあっても、まずは相手の言いたいことを優先する。出会った時から変わらない片桐のスタイルだ。
「すいません。あまり上手くいかなかったです」
「なんで?」
「樹がちょっと。あいつ、打ち解けるまで長いんで」
「ああ。警戒心の強いタイプだからね」
片桐は樹に会ったことがある。インタビュー動画を観た片桐から佑馬に「会ってみたい」と打診があり、片桐の恋人も含めて四人で会食を開いた。そしてその場で樹はほとんど喋らず、会食後は片桐の苗字すら覚えていなかったことが判明し、佑馬はそのマイペースっぷりに頭を抱えた。
「まあ、まだ初日だし、そのうち慣れて素が出せるようになるって」
励ましに、佑馬は苦笑いを浮かべた。嘘をついているのだ。素が出ては困る。
「私は適当に流せばいいとか言わないからね。ちゃんとやってよ」
片桐の声が、にわかに湿り気を増した。
「本当に、期待してるんだから」
ドキュメンタリー撮影の話を聞いた時、佑馬は最初、断ろうと思った。
理由はもちろん、それどころではないから。半年続かなければ出て行って貰うと宣言した仕事を二か月で辞められ、別れる流れに入っている自分たちには荷が重いと思った。だけど片桐の熱意にほだされ、結局は自分たちが今どういう状態にあるか話さないまま、依頼を受けてしまった。
支援団体の代表者としての顔を持つ片桐の元には、様々な当事者たちの悩みが集まってくる。他人事だけど、他人事と思えない。佑馬もそんな話をいくつも伝え聞いている。
そういう現実を変えるためにやれることがあるならば、出来る限り協力したい。嘘をつくのは悪いかもしれないけれど、そう思うことは悪くないだろう。少なくとも佑馬は、そう考えている。
「来週の講演会は、予定通り来るんだよね?」
佑馬は「はい」と頷いた。来週の日曜日、片桐は母校の大学で性的マイノリティについての講演を行う。そして佑馬と樹は講演を聴きに行き、その様子をドキュメンタリーの一部として撮影される。
「サークルにも顔出すんでしょ?」
「出すつもりです。ちょいちょい顔出す片桐さんと違って、僕はもう知り合いは誰もいませんけど」
「佑馬くんを知ってる子はたくさんいるみたいよ。サインねだられるかも」
「それはそれで困りますね」
昔のように、軽口をたたき合う。やがてスピーカーの向こうから「誰と話してるの?」と女性の声が聞こえた。片桐が「佑馬くん」と答え、少し間が空いたのを見計らい、佑馬は片桐の恋人の名前を出す。
「真希さんですか?」
「そう」
「電話中に話しかけてくるの、愛されてますね。プレッシャー感じました」
「まあね。でもそれは佑馬くんも同じじゃないの?」
「ないですよ。じゃあ真希さんのためにも、そろそろ切りますね」
「そうね。それじゃあ、おやすみ」
別れの言葉の後、やけにしっかりした声で一言、片桐が呟いた。
「頑張ろうね」
通話が切れた。佑馬はスマホをポケットにしまい、樹のこもっている寝室を見やる。片桐と言葉を交わして高まった使命感が、樹とちゃんと話をするべきだと告げている。だけどさっきの失敗が脳裏にちらつき、行動に移せない。
気分転換をしようと、佑馬はソファから立ってベランダに出た。そして手すりから身を乗り出して景色を眺める。道路に面した五階のベランダから見える展望はそれなりに開けていて、だけど郊外のベッドタウンだからか、マンションから見えるものもマンションばかりだ。
生活の灯が並ぶ光景を見ると、いつも同じことを考える。自分と同じような人間が他にもいる。オープンだったり、クローゼットだったり、一人だったり、二人だったり、様々な形でこの世界を生きている。それを意識してしまう。
俺たちのドキュメンタリーは、俺たちだけのものではない。
両手を握る。目線を上げ、星のない夜空を仰ぐ。頑張ろうね。去り際に呟かれた言葉が、鼓膜の内側で蘇った。
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