気の合う相手、合わない相手

 ドキュメンタリーの仕事を任されてすぐ、プロデューサーとの打ち合わせに同席した片桐明日奈と初めて会った時、志穂は彼女に劣等感を覚えた。


 自分と同年代の女性が、一団体の代表者として、世界を変えるための企画を動かしている。「世界を変えるような映像を」と意気込んで業界に入ったものの、未だ任された仕事をこなすことしか出来ていない自分と比較して、その姿はひどく眩しく見えた。一般的な社会人女性としては見かけにくい、うっすらと赤く染めた髪が美しくて、真似しようかと考えている自分が卑屈に思えて嫌だった。


 しかし、片桐との間に格差を感じる一方で、志穂は片桐に強いシンパシーを覚えてもいた。


 片桐が代表を務めるLGBT支援団体『マージナル・ウィメン』は、名前の通りセクシャル・マイノリティの中でも女性の支援に特化した団体であり、その問題意識は異性愛者である志穂にも覚えがあるものばかりだった。だから片桐が母校の大学で開く講演会に春日たちが出向き、その姿をドキュメンタリーに収めることが決まった際、志穂は片桐にもインタビューを行いたいと申し出た。その方が良いドキュメンタリーになると思ったのは確かだが、それ以上に、片桐明日奈という人間を自分の手で深堀りしてみたかった。


 そして、今。


 学生会館の会議室で行われたインタビューを終え、志穂は心から満足していた。始まりから終わりまで書いてあって欲しいことしか書いていない本を、丸々一冊読み終えたような気分だ。インタビュー中、仕事を忘れて個人として話しかけてしまうほど、片桐の話は志穂にとって身近で無視できないものだった。


「ご協力頂き、ありがとうございました」

「いえ。いいドキュメンタリーにして下さいね」

「はい。ご期待に沿えるよう、精一杯やらせて貰います」


 明るくやりとりを交わし、山田も含めて全員で会議室から出る。やがて机と椅子がいくつも並んだフリースペースに辿り着くと、春日と長谷川が大勢の若者たちに囲まれている光景が目に入った。春日が志穂たちに気づき、片桐に声をかける。


「終わったんですか?」

「うん。佑馬くんの昔のあれこれ、全部バラしちゃった」

「後輩の前で変なこと言わないで下さいよ」

「でもみんなも知りたいんじゃない? ねえ」

「知りたいです!」


 若い男が元気よく声を上げた。そこから春日と片桐と若者たちの談笑が始まり、志穂と山田は立ったまま少し距離を取る。LGBTサークル『無色透明』のOBである春日と、OGである片桐、そして現役の若者たちの集いを眺めながら、山田がポツリと呟きをこぼした。


「今カメラ回したら、いい画が撮れそうっすね」

「……山田くん」

「いや、回さないっすよ。もちろん」


 志穂の険しい声を受け、山田が慌てて首を横に振った。サークル外でのカミングアウトを行っていない子もいるため、許可のなく『無色透明』のメンバーを撮影することは禁止されている。代わりに撮影OKなメンバーを集めて春日との交流を撮ることになっているから、今焦って映像を確保しに行く必要はない。


「長谷川さんは暇そうっすね」


 山田が春日の隣で押し黙る長谷川を見やり、志穂もそちらに目線をやった。するとちょうど長谷川が志穂の方を向き、目と目が意味深に合ってしまう。長谷川が椅子から立ち上がり、志穂たちの元に歩み寄ってきた。


「何か用ですか」


 ぶっきらぼうに尋ねられ、志穂は「いいえ」と縮こまった。長谷川はその返事に反応せず、しかし座っていた椅子に戻りもせず、志穂の右隣に立って春日たちの談笑を観察し始める。どうやら、志穂を理由に居心地の悪い空間から逃げてきたというのが実情のようだ。


「長谷川さんは、ああいう風に集まる仲間はいらっしゃらないんですか?」


 世間話がてら、探りを入れる。仲間たちと語らう春日に目を向けたまま、長谷川が億劫そうに口を開いた。


「いないですね。つるむの苦手なんで」

「そうなんですか。大学でもサークルには入っていない?」

「俺、大学行ってないです」


 ――しまった。


 気まずさに口をつぐむ。長谷川が横目で志穂を見やり、すぐ視線を春日に戻した。見限られたような素振りを前に、志穂はさらに小さくなる。


「自分も大学は行ってないっすね」


 能天気な声が、志穂を跨いで長谷川に届いた。


 山田が志穂の前を通り、長谷川に近寄る。長谷川が首を曲げて山田の方を向いた。そして右のひとさし指を伸ばし、春日たちを示す。


「っていうか、君はあの子たちと年齢変わらないでしょ」

「そうっすね。ワンチャンあっちが年下かも」

「若いのに偉いよな。俺なんて働いてねえのに」

「働けばいいじゃないっすか」

「言ってくれるじゃん」


 長谷川と山田が和気藹々と話し始めた。今まで見たことのないフレンドリーな長谷川に、志穂は戸惑う。接し方が悪かったのか。あるいは――志穂こいつとは話したくないと思われていたのか。


「トイレ行ってくるわ」


 長谷川が場を離れ、すぐ近くのトイレに入っていった。話し相手がいなくなって黙る山田に、志穂は声をかける。


「ずいぶん仲良さそうにしてたじゃない」

「そうっすね。長谷川さんを撮る時はオレがインタビューして、志穂さんがカメラやります?」


 山田の軽口に、志穂はむっと眉をひそめた。確かに長谷川の知らない一面を引き出したのは評価するが、それとこれとは別の話だ。


「悪いけど、まだ山田くんをそこまで信用できないかな。さっきだってたまたま地雷を踏まなかっただけで、危ないこと言ってたし」

「何か言ってました?」

「働けばいいとか、私たちが言っていいことじゃないでしょ。長谷川さんは差別で職を失ったこともあるんだから。そういう社会の形成に私たちだって無関係なわけじゃないの、ちゃんと分かってる?」


 志穂の説教に、山田がぽかんと呆けた顔を見せた。そしてトイレから出てきた長谷川の方を向き、独り言のように呟く。


「たぶん、そういうとこだと思いますよ」

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