Chapter3:9日目

取材映像③

「子どもの頃、ひな祭りが嫌いだったんです」


 赤みがかったショートボブの若い女性が、カメラに向かって口を開いた。ティントルージュで彩られた唇の動きに合わせて、両耳に下がっているシルバーのフープピアスが揺れる。


「特にお内裏様とお雛様が苦手で、『お前の幸せはこれだ!』と言われてる気がしたんですよね。ひな人形をすぐ片づけないと結婚できなくなるという話も、男と結婚できない女は不幸みたいな感じでイヤでした。でも三人官女は好きだったんですよ。だから引き立て役になっているのが気に食わなくて、お内裏様とお雛様を押しのけて三人官女をひな壇の一番上に置いて、親に怒られたりしていました」


 右手で口元を隠し、女性が笑った。指の先を覆う爪にはニュアンスネイルが施されており、髪色やアクセサリーと合わさって我の強い印象を強めている。自分への信頼と、その信頼を裏打ちする能力を感じさせる、知的で上品な我の強さ。


 ――その頃から、性的指向は女性を向いていたのでしょうか?


「いいえ。初恋もまだでしたよ」


 インタビュアーの質問に、女性が軽やかに答えた。右手を今度は顎に当て、考え込む素振りを見せる。


「でも、素養はあったんでしょうね。恋愛なんてしたことないのに、異性愛規範に違和感を覚えていたんですから。もっとも、レズビアンではなくてもひな祭りが嫌いだったという女性はたくさんいますし、それだけではないと思いますが」


 女性が顎から手を離した。そしてカメラに向き直る。


「すいません。話を戻します。質問はなぜ私が『マージナル・ウィメン』を設立したのか、ですよね」


 ――はい。


「ひな祭りの話のように、小さな頃から異性愛規範に違和感を抱き続け、それは性的指向を自覚してから強くなりました。そして大学生になってからLGBTサークルに入って、同じような想いをしている同性愛者が世の中に大勢いることを知りました。だけど、それとは真逆のことにも気づいたんです」


 ――真逆のこと?


「同じような想いを同性愛者も大勢いる、ということです」


 女性が背筋を伸ばした。声の張りが強くなる。


「特にゲイの友達は、私の感覚がそこまでピンと来ていない人も多かったんです。理解していないわけではないけれど、温度差がある感じですね。逆に性的指向はヘテロであっても、女性であれば私の感覚はよく通じました。それで、思ったんです。人生で異性愛規範を押し付けられる強さが、男女で全く違うんじゃないかと」


 ――男性の方が伸び伸び育てられている、ということですか?


「仕事をして金を稼げという規範は女性より男性への押し付けの方が強いでしょうし、結婚して子どもを作れという規範は男女変わらずに強いと思います。ただ異性愛規範に関しては、女性の方が強く押し付けられていると感じるんですね。規範に煩わされる機会が多い、と言った方が適切かもしれません」


 女性がテーブルの上に肘を立て、手を胸の前で組み合わせた。


「例えば、異性間の恋愛は、主に男性が女性にアプローチをかけますよね。そしてゲイもレズビアンも多くはカミングアウトせず、異性愛者として振る舞っている。結果として、気のない相手からアプローチをかけられる経験の数において、ゲイとレズビアンでは差が生まれやすいんです」


 ――レズビアンの方が多い?


「そうです。レズビアンのマッチングアプリに女性狙いの男性が潜んでいることも珍しくないんですよ。だからレズビアンはゲイより、マッチングアプリで会う前に相手のことを入念に確認する傾向があるんです」


 ――面倒な話ですね。


「でしょう?」


 女性が可笑しそうに笑った。そしてふと目線を横に流す。


「でもそういう違いって、あまり理解されないんですよね。『LGBT』は連帯を表す言葉で、違うものが集まっていることに意義があるのに、塊にするとそれが無視されてしまう。だから私は『違いを大事にする連帯』を作りたいと思ったんです。バラバラにはせず、一緒のまま、それでも違うことを大事にしていきたい。私が女性に特化したLGBT支援団体『マージナル・ウィメン』を立ち上げたのは、そういった想いによるものです」


 一先ずの答えに辿り着き、語りが止まった。だけど次の質問が来るより先に、女性が再び口を開く。


「春日さんはそういうの、分かる人だったんです」


 ――そういうの、というのは。


「異性愛規範の煩わしさです。高校の頃はかなり女性にモテていて、正直うんざりしていたと聞いています」


 ――なるほど。


「先輩後輩の間柄ではありましたが、サークルで一番話の合うゲイでした。だから私はこのドキュメンタリーに期待してるんですよ。彼の生き様を、語る言葉をしっかりと伝えてくれれば、世の中は良い方向に動く。そう思っています」


 女性がカメラをじっと見据える。意思を持たないカメラレンズに、意志の強さを叩きつける。私は本気で語っているのだから、お前も本気で撮れ。そういうメッセージを視線に乗せて放つ。


 ――あの。


 インタビュアーの声。女性が椅子に座り直して体勢を整えた。獣が毛を逆立てて身体を大きく見せるように、両肩を上げて胸を張り、次の質問に備える。


 そして、思いきり透かされる。


 ――私もひな祭り、嫌いでした。

 

 女性の眼力が、ふっとゆるんだ。にわかに気の抜けた顔が現れ、そこに続けて、穏やかな微笑みが浮かぶ。


「気が合いますね」

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