Chapter7:70日目

スマホムービー

 若い男が、床に敷かれた布団の中で眠っている。


 艶やかな肌と薄い髭。少年と大人の境目のやや少年よりといった風体の男が、無防備な寝顔をカメラに曝け出す。やがて画面の外から指が伸びてきて、男の頬を軽く押した。いびきを止めてまぶたを開き、カメラに寝ぼけ眼を向ける男に、画面に映っていない別の男が声を潜めて語りかける。


 ――おはよーございます。


 挨拶に応えることなく、男が背中を起こした。上は半袖の肌着しか身につけていない。男が眠気を払うように首を振り、撮影者に向かって尋ねた。


「何してんすか」

 ――寝起きリポ。

「意味わかんないっす。っていうかそれ、オレのスマホじゃないっすか。どうやってロック解除したんすか」

 ――山ちゃんの指見て覚えた。目の前で無防備に解除しすぎ。

「返して下さいよ」


 男の手がカメラに伸びた。しかし撮影者が大きく動いてその手を避ける。男が肩をすくめ、はあとため息をついた。


「昨日のこと、根に持ってるんすか?」

 ――持ってる。

「仕方ないじゃないっすか。今日がリミットなんすよ。そりゃオレだって説得にリキ入りますって。分かるでしょ?」

 ――分かるけど、俺、ガキだから。

「だからそれは謝りますから……もう……」


 男がむくりと立ち上がる。上が肌着一枚なのに合わせ、下もボクサーブリーフ一枚だった。そのまま部屋を出て洗面所に入る男の後ろを、カメラが撮影を続けながらついていく。


 男が洗面台の蛇口をひねった。水流がボウルを叩くと同時に、撮影者が熱の入った声を上げる。


 ――おおっと山田、水を流した!


 男が手を止めて、不審そうにカメラを見やった。撮影者からの反応はない。しかし男が洗面台に向き直り、蛇口の横に置いてあるコップから刺さっている歯ブラシを抜くと、またしても撮影者が実況を始めた。


 ――歯ブラシを手にした! 山田、朝は歯磨きからなのか!?


 右手の歯ブラシを水流にひたし、空いている左手でコップの傍の歯磨き粉チューブを持ち上げる。


 ――歯磨き粉! 王道のポリフェノール配合!

 

 歯ブラシに歯磨き粉を出し、コップに水を汲んで歯磨きを始める。


 ――山田、歯を磨く! キャラに似合わず意外と丁寧!


 歯磨き終了。蛇口から流れる水で歯ブラシの歯磨き粉を流しつつ、コップの水で口をゆすぐ。


 ――ガラガラペッ! ガラガラペッ! 


 蛇口をひねって水を止める。そして右手に歯ブラシを持ったまま、カメラの方を向いて撮影者に声をかける。


「怒りますよ」

 ――なんで。

「なんでって、そんなふざけたことされたら誰だって怒るでしょ」

 ――ふざけてない。

「めちゃくちゃふざけてるじゃないっすか」

 ――ふざけてないだろ。山ちゃんは俺を撮ってる時ふざけてたのか?


 男がわずかに身体を引いた。持っている歯ブラシの頭が、お辞儀をするように少し下がる。


 ――こっち側に立つと分かるな。これ、楽しいわ。謎に偉くなった気分。


 撮影者の声は、怒りながら笑っているように、小刻みに震えていた。


 ――山ちゃんも少しは、撮られる側の気持ちを理解した方がいいんだよ。

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