行方

 樹がいなくなった後、山田が「とりあえず、これ片づけますか」と床を指さし、まずは寝室を掃除にすることにした。


 トイレットペーパーで吐しゃ物を拭い取り、濡らしたティッシュと雑巾でフローリング床を拭く。目の前の現実から逃げるような行動が、結果的に現実と向き合う時間を作り、酔いもどんどんと醒めていった。おかげで掃除の後、樹と寝ていた青年とリビングで向き合った際は、落ち着いて話を聞くことができた。


 最初にアプローチをかけたのは、青年からだったそうだ。


 講演会の打ち上げで一目惚れし、連絡先を交換してやりとりをしていたらしい。しかし樹からの返事は素っ気ないものが多く、さすがにダメかと諦めかけていた。その矢先、今日は佑馬が遅くまで帰ってこないからと誘われ、乗ってしまったというのが事の流れだった。


 一通りの話を聞いた後、佑馬は青年に今日はひとまず帰るよう促した。青年は佑馬が怒らないことを不思議がっていたが、佑馬からしたら樹とは既に破局していたわけで、酔いも醒めた今となっては「他人の恋人に手を出しやがって」という怒りは良くも悪くも湧いてこない。わざわざ逢引の場所に佑馬の家を選び、事後を見せつけられたことへの怒りはあるが、そうしたのは樹だ。振り回された側にぶつける感情ではない。


「本当に、本当に、すいませんでした」


 最後に謝罪の言葉を残し、青年が玄関から出ていった。さて、大事なのはここからだと、佑馬は深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。青年に対して、自分は被害者でいられた。だけど茅野たちに対しては違う。樹と共犯になって騙し、偽りのドキュメンタリーを撮らせようとした加害者に他ならない。


 玄関からリビングに戻る。ローテーブルの長辺に並んで座る茅野と山田の対面に正座し、話し合いの体勢を整える。言わなければならないことが山のようにある。だけどまずは、これだ。


「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした」


 手を腿に乗せ、頭を下げる。茅野が慌てたように口を挟んだ。


「気にしないで下さい。むしろ、我々が無神経だったせいで……」

「違います。これは僕と樹のいざこざで、茅野さんたちは巻き込まれた側です。撮影のせいじゃない」


 きっぱりと断言する。山田が気まずそうに目線を逸らして呟いた。


「やっぱ、わざと見せつけたんすかね」

「分からない。ただ、そうなってもいいとは考えていたと思う。さすがに僕以外が来るのは想定外だっただろうけど」

「……こじれてますねえ」


 山田がため息を吐く。茅野が顎を引き、おそるおそる口を開いた。


「春日さんと長谷川さんが既に別れていらっしゃるというのは、本当の話なのでしょうか」

「……別れているは言いすぎかもしれませんが、概ね本当です」

「それは、私たちの撮影のせいで?」

「いいえ。茅野さんたちと顔合わせをした時には、既にその状態でした」


 茅野と山田が目を見開いた。反対に佑馬は、まぶたを少し下ろして俯く。


「片桐さんから話が来た時点で、もう僕らの仲は険悪になっていました。だけど茅野さんが言っていた通り、自分たちにかけられた期待に応えたいと思い、話を受けてしまったんです。樹も納得はしていなかったかもしれませんが、了承はしてくれました。だけど撮影が続くにつれて溝が深まり――結果は、このザマです」


 自嘲気味に笑ってみせる。笑えるような事態ではない。だけどもう、笑う以外に出来ることがない。


「ドキュメンタリーは、今後どうなるんでしょうか」


 一番気になっていることを尋ねる。茅野が腕を組んで俯き、考えをまとめながら語り出した。


「少なくとも、長谷川さんがいなければ撮影は続けられません。そして仮に戻ってきたところで、このまま今までと同じように撮影ができるとも思えない。ただ、既にある映像を使って番組を作り上げることは可能だと思います」

「まだ40日近く残っているのに?」

「元々、100日という期間設定はただのインパクト狙いですから。プロデューサーの判断次第ではありますが、反故にすることは可能だと思います。春日さんと長谷川さんの同居生活を軸に、春日さんのご実家で迎え火に向かって繋いだ手を掲げる映像で〆れば、今の時点で筋の通った番組も作れるでしょう。とはいえ――」


 茅野が言葉を溜めた。そして佑馬をちらりと伺い、続ける。


「もちろん、そのような対応を取る場合でも、長谷川さんの同意は必須です」

「……ですよね」


 佑馬は肩を落とし、疲れたように息を吐いた。予想はできていた。これから何をするにしても、どうなるにしても、樹がいないと話にならない。


「春日さんから長谷川さんに連絡をするのは、やはり難しいでしょうか」

「僕としてはむしろ早く話をしたいぐらいですが……拒否されるでしょうね」

「仲介を頼めそうな、長谷川さんと仲の良い人に心当たりは?」

「思いつかないです……家族とも絶縁状態みたいですし……」

「あの」


 長いこと黙っていた山田が、横から口を挟んできた。そして茅野と佑馬を交互に見やり、不満そうに口を尖らせる。


「二人とも、おかしくないっすか」


 おかしい。その意味するところを捉えきれず、佑馬は目を丸くした。同じく意味を理解できていない茅野が、つっかかってきた山田につっかかり返す。


「何がおかしいの?」

「撮影とか番組とか、そんなのどうでもいいじゃないっすか。もっと先に考えることあるでしょ」

「どういうこと?」

「なんつうか、離れた実家の近くでめっちゃでっかい地震が起こって、最初に心配するの家のローンじゃないでしょみたいな話っす」

「……ごめん。分からないから、変な例えは止めてきちんと話して」

「だから――」


 ブー。

 どこかから、スマホの振動音が聞こえた。山田がデニムのポケットからスマホを取り出し、「すいません」と断って電話に出る。


「はい……はい……ええっ!」


 佑馬たちに背を向け、こそこそと話していた山田が、いきなりリビングを揺るがすような大声を上げた。そして勢いよく佑馬たちの方に向き直り、放心した様子で電話に応対し続ける。


「はい……大丈夫です。とりあえず部屋に入れてください。はい……分かりました……はい……」


 山田がスマホを耳から離した。どうやら話が終わったようだ。佑馬と茅野を順々に見やり、言葉を探して固まっている山田に、茅野が声をかけて動き出しのきっかけを与える。


「誰からだったの?」

「……大家っす。オレの住んでるとこ、昔ながらのアパートって感じで、何かあると結構気軽に大家が電話かけてくるんすよ」

「じゃあ、何かあったの?」

「はい。オレの知り合いだって言ってるやつが来てるけど、部屋に入れてもいいかって聞かれました」


 事態を察し、茅野が黙った。山田が申し訳なさそうに口を開く。


「長谷川さん、オレんちにいるっぽいっす」

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