「どこにでもいる普通の恋人」

 若い。


 喫茶店で茅野を目にした時、佑馬は何よりも先にそう思った。女性であることは知っていたのでそこに驚きはなかったが、まさか自分と同年代だとは思っていなかった。カメラマンに至ってはその辺の大学生と変わらず、もはや若いというより幼い。大丈夫だろうか。素直に、不安を感じた。


 しかし話が進むにつれ、その不安は消え去った。目標を明確に示し、そこに至る道筋を論理立てて語る茅野は、デザイナーとして普段仕事でやりあっている客たちよりも遥かにスムーズに話が出来た。考えてみれば、コンセプトを二転三転させて自分を困らせて来るような客は、だいたい中年以上の男だ。佑馬は偏見で色眼鏡をかけてしまったことを恥じ、罪滅ぼしとばかりに茅野に協力する姿勢を示した。


 やがて、場がお開きになった。喫茶店を出て少し歩いたところで、茅野がエレベーターの方を指さす。


「では私たちは駐車場に戻ります。今日はありがとうございました」

「いえ。こちらこそ、今後ともよろしくお願いします」


 頭を下げる茅野に、佑馬も頭を下げ返した。樹はその隣で微動だにせず突っ立っている。――この野郎。


「それでは、また」


 茅野たちがエレベーターに向かう。二人を見送る佑馬の横で、樹がんーっと伸びをした。そして首を振り、聞こえよがしに呟く。


「あー、しんどかった。やっぱああいう真面目な空気苦手だわ」

「……お前さあ」


 声に苛立ちを込め、樹の方を向く。牽制のためにわざと仕込んだ棘。だけど振り向いた先の樹はケロッとしていて、次は素の苛立ちが練り込まれてしまう。


「取材、受けてくれるんだよな」

「だから来たんだろ」

「だったらもう少し態度良くしてくれよ。茅野さんも困るだろ」

「んなこと言われてもさあ、嘘は苦手なんだよ。自然な姿を撮らせてくれとか、笑っちまうわ」


 樹の唇が、自らを嘲るように大きく歪んだ。



 エレベーターを見やる。


 茅野たちはいない。いたとしてもエレベーターまでは距離があるから聞こえなかっただろうが、それでもやけに安心した。打ち合わせ中、分かりやすく乗り気ではない樹を前に、いつバラしてしまうか気が気でなかったからだろう。点火済の爆弾の傍で話をしている気分だった。


「お前は堂々と嘘ぶっこけて、すごいよな。詐欺師になれるよ」

「……もう別れたは言いすぎだろ。まだ一緒に住んでるんだから」

「それはお前が引き止めたからだろ。俺は別に――」

「樹」


 言葉を遮る。そして声をひそめ、軽く周囲を見渡す。


「誰が聞いてるか、分からないから」


 自意識過剰――ではない。インタビューがツイッターで拡散されて以降、何度も知らない人間から話しかけられた。それぐらい有名になっているからこそ、ドキュメンタリーを撮影するような話が上がっているのだ。


 樹が何か言いたげに唇を動かし、すぐに止めた。そしてデニムのポケットに手を突っ込み、つまらなそうな目で遠くを見やりながら口を開く。


「お前、この後どうすんの?」

「え?」

「どっか寄ってくのかってこと」

「ああ。本屋とか見ていくつもりだけど……」

「そっか。じゃあ、俺は帰るわ」


 背中を丸め、樹がのっそりと歩き出した。そして呆気に取られる佑馬に向かって、ひらひらと手を振る。


「疲れてんだよ。じゃあな」


 ――ずっと働かないで暇してるくせに、何言ってんだ。


 出かかった台詞を、唾と一緒に飲み込む。遠慮したというより、計算した。それは禁句タブーだ。寝た子を起こし、今さらドキュメンタリーから降りられたりしたら、目も当てられない。


 重たい足取りで、茅野たちが乗り込んだエレベーターに向かう。中に乗り込み、本屋がある階のボタンを押すと、後から若い男女のカップルが乗り込んできた。身体を奥に引いて、カップルに階数ボタンの前を譲る。


「何階だっけ?」

「四階」


 女が右手の人差し指で「4」のボタンを押した。使われていない左手は、男の右手とがっちり繋がっている。佑馬は恋人と手を繋いで外を歩きたいタイプの人間ではない。なのに自分の境遇と比較して、ため息に近いものが漏れそうになる。


 ほんの数ヵ月前までは、佑馬もあちら側の人間だった。市役所でパートナーシップの宣誓を行い、テレビ局のインタビューに堂々と答える程度には、関係の強さに自信があった。だけど現実はこれ。あのインタビューで語った前向きな言葉も、こうなると皮肉にしかならない。


 ――僕たちはどこにでもいる普通の恋人同士なのですが


 その通りだ。春日佑馬と長谷川樹はどこにでもいる普通のカップル。だから男女のカップルがそうなるように、別れの危機に瀕することだって、普通にある。

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