世界を変える
ショッピングモールの屋内駐車場にワゴンを停めた時、待ち合わせ時間まで残り八分になっていた。
急いでエレベーターに乗り、一階の喫茶店に向かう。日曜昼のモールはそれなりに混んでいたけれど、喫茶店はそこまで混雑していなかった。ざっと店内を見渡して相手がまだ来ていないことを確認し、小さく安堵の息を吐く。
四人がけボックス席の片側に、志穂と山田で横並びに座る。注文を取りに来たウェイターを「もう二人来るので」と追い返し、テーブルの上に番組の企画書と名刺を複数置いて準備完了。面接官のようなスタイルで相手の到着を待つ。
二分後。
待ち望んでいた若い男性二人が店内に現れ、志穂は立ち上がった。こちらは穴が開くほど例のインタビュー動画を見ているけれど、向こうは志穂も山田も知らない。呼びかけてやる必要がある。
「
二人がこちらに気づき、歩み寄ってきた。動画で見るよりもスマートな印象だ。どちらも休日らしい飾り気のない格好をしているのに、風景に紛れていない。
「初めまして。ディレクターの
やってきた二人に名刺に渡す。黒髪の青年が笑みを浮かべた。
「こちらこそ、近くまでわざわざ来てもらって、すいません」
「社有車を使っての移動ですから、気になさらないでください」
にっこりと笑い返す。山田が「カメラマンの
正面の黒髪が、
年齢は志穂の一つ下の二十八歳。広告会社勤務のデザイナー。大学生の頃、LGBTサークルに所属しており、同サークルに所属していたLGBT支援団体の代表者がテレビ局のプロデューサーに話を持ちかけたことから、このドキュメンタリー制作は始まっている。撮影も彼を軸に組み立てていくことになりそうだ。
向かって左の茶髪は、
二十七歳のフリーターで、現在は無職らしい。制作のきっかけを作ったLGBT支援団体の代表者も彼のことはほとんど知らず、あまり情報は得られていない。協力する気はあると聞いているが、どこまで納得しているかは不明だ。春日とは逆に、打ち解けるまではあまりカメラを向けすぎない方が良いだろう。
ウェイターが飲み物を持ってきた。志穂と春日にアイスコーヒーが、山田と長谷川にコーラが行き渡ったのを見計らい、雑談を切り上げる。
「ではそろそろ、本題に入りましょうか」
企画書を春日と長谷川に配る。春日が目を細め、ホッチキスで留められた企画書の一枚目に、大文字で記されている言葉を読み上げた。
「100日間……ですか」
予想通りのところに食いついた。ここまである程度の話はしているが、具体的な撮影期間を提示するのは今回が初めてだ。
「はい。もっとも、100日間ずっとついていくわけではありません。初日や最終日はもちろん撮影させて頂きますが、その間は全て撮るわけではなく、撮影に値する日をピックアップ出来ればと考えています」
「100日間の密着取材を行うと言うよりは、密着取材の候補日が100日分あるというイメージですね」
「そうなります」
「100、という数字に意味はあるんですか?」
「インパクト狙いです。プロデューサーとの打ち合わせでは、77や88のようなアイディアも出たのですが、そこまで行くなら100まで行こうと。もっともそれは春日さんと長谷川さんの許可を頂けるなら、という話にはなりますが……」
対面の二人を伺う。まずは春日が「僕はOKですよ」と返事をくれた。次にマイペースにコーラを飲んでいた長谷川が、グラスを持ったまま呟く。
「いいけど、なんか詐欺くさいですね」
詐欺。糾弾の意図を感じる言葉に、脈拍が少し早まった。
「100日間くっついて取材するわけじゃないのに、言葉の響きが強いから利用するって話ですよね。過大広告にならないんですか?」
「……確かに、毎日撮影をするわけではありませんが、期間中は常にお二方と連絡を取り合い、必要があればいつでも赴きます。ですから、100日間の取材というのも一概に嘘とは言えないかと」
「ふーん。じゃあ『100日間密着取材』とか言わなけりゃセーフか」
使おうと思っていたワードを封じられた。――まあ、いい。許可は下りた。今は話を進めさせて貰おう。
「ではOKということで、ありがとうございます。つきましては、どこからどこまでの100日間を撮影対象とするか、アタリをつけてしまいたいのですが、よろしいでしょうか?」
「いいですよ。何かそちらから要求はありますか?」
春日が質問を投げる。話を聞く姿勢を示してくれるのは、素直にありがたい。
「まず、遅くとも六月か七月には撮影を始めたいと考えています。なので、そこまで期間を自由に選択できるわけではありません」
「分かりました」
「次に、1日目を土曜にして、100日目は日曜で終わる形にしたいと考えています。初日と最終日は構成を作る上で重要ですから、どちらも休日にすることで日常から始まり日常で終わる形にしたいなと」
「なるほど。いいアイディアだと思います」
「それと最後に、期間中に大きなイベントを用意できるなら、そういう期間を選択したいです。撮影のしがいがあるので」
「大きなイベント?」
「例えば……どちらかの誕生日とか」
「誕生日……」
志穂の言葉を繰り返し、春日が長谷川の方を向いた。
「お前はいけるよな?」
「まあな」
「じゃあその日が入るようにするぞ。いいな」
「いいよ」
あっさりと許可が出た。春日が志穂に向き直る。
「僕の誕生日は二月なので難しいですが、樹の誕生日が九月なので、その近辺を含む形にして頂ければと思います。去年は二人で江ノ島に行ったから、今年もどこかに出かけますよ。そうすれば撮影も捗るでしょう」
「ありがとうございます。他にイベントの予定はありませんか?」
「そうですね。去年のお盆は、一緒に僕の実家に帰省しましたが……」
春日がちらりと隣を見やった。長谷川が気怠そうに口を開く。
「行きゃいいんだろ。行くよ。心配すんなって」
「なんだよ、その言い方。まだ何も言ってないだろ」
何やら険悪な空気だ。志穂は場を整えようと、慌てて口を挟んだ。
「あの、無理はなさらないで結構ですよ。我々はお二人の自然な姿を撮らせて頂ければ構いませんので」
「自然な姿、ねえ……」
長谷川が皮肉っぽく呟いた。良くない流れを断ち切ろうとするように、春日が声調を強める。
「気にしないで下さい。僕も樹も無理はしていません。この撮影は、僕たちにとっても大切なものなんです」
開いた右手を胸に乗せ、春日が滔々と語り出した。
「この国には、未だ同性婚の制度が存在しません。僕たちはパートナーシップの宣誓を行い、その時に受けたインタビューが広がってネットで有名になりました。ですがそもそも、そんなことでインタビューを受けること自体がおかしいんです。僕はこの国を、同性のカップルが当たり前のように存在できる国にしたい。今回のドキュメンタリーを通じて、社会に僕たちのような人間への理解を広め、パートナーシップ制度の拡大や同性婚の実現に繋げていきたいんです」
春日の右手が胸から離れた。そしてその手が、志穂に向けられる。
「だから良いドキュメンタリーを撮りたいのは、茅野さんだけではありません。僕たちも同じなんです。社会に新しい価値観を提示し、世界を変えるような番組を、一緒に作り上げましょう」
世界を変える。
かつて同じ言葉を、志穂は何度も口にした。映像制作の仕事に就くために様々な会社を訪問していた時、面接で「世界を変えるような映像を撮りたい」と繰り返した。それを笑われることも、真摯に受け止められることもあった。笑いながら真摯に受け止めたのが『ライジング・サン』の社長で、その態度に惹かれ――たわけではなく他社の内定が取れず、そこに入社することになった。
あの時、社長は「うちみたいな小さい会社の方が、でっかい仕事を任されるチャンスがあるかもよ」と言っていた。そして確かにディレクターとして指揮を取る立場になるのは早かった。ただ、そもそも会社にでっかい仕事があまり来ないので、今まで世界を変えるチャンスには恵まれなかった。
そのチャンスが、今、目の前に転がっている。
「こちらこそ」
手を伸ばす。春日の手を掴み、グッと力を込める。
「よろしくお願いします。今より未来の世界を映すドキュメンタリーを、力を合わせて一緒に撮らせて下さい」
春日が満足げに口角を上げた。志穂はその表情に頼もしさを覚えつつ、ちらりと隣に目をやる。長谷川はテーブルに頬杖をついて企画書を眺め、志穂たちの方を向いてすらいなかった。
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