迎え火
まあ、こんなものだろうとは思っていた。
和室で開かれた会食の場で、話に参加せず黙々と食事を進める樹を見ながら、佑馬は一人諦観を強める。去年、まだ普通に仲が良かった頃ですら、樹は分かりやすく春日家に馴染めていなかった。それがドキュメンタリーの撮影があるからと言って、いきなり親密になれるわけがない。むしろ現状を考えれば、来てくれただけ良かったと思うべきだろう。
山田の家に外泊した樹は、次の日にふらっと帰って来た。電話もメールもLINEも反応がなく、どうしたものかと考えながら仕事から帰宅したら、いつも通り夕食を作って待っていた。一日中悩んでいた身としては本当に腹が立ったが、ここで怒ったらそれこそおしまいだと我慢し、あとは元通りだ。何事もなかったかのように、一人と一人が二人にならないまま同居する関係に戻った。
味噌汁を飲みながら、少し離れた場所で食事風景を撮っている茅野と山田を横目で見やる。一晩で「山ちゃん」と呼ばれるほど樹と親睦を深めた山田は、自分たちの関係についてどこまで知っているのだろう。樹は「世間話しかしていない」と言っていたが、信用していいのだろうか。向こうからアクションがないということは、まだ何も知られていない気はするが、カメラレンズの無機質な視線に全て見透かされているようで、どうにも落ち着かない。
「そういえば、樹くん」テーブルの向こうから、父が樹に話しかけた。「佑馬からバーでコックをしていると聞いたけれど、仕事は順調なのか?」
口に含んだ味噌汁を、そのまま吐き出すところだった。そうだ。樹がバーで働き始めた頃に電話があり、そこで近況報告をしてから、情報を更新していなかった。
「あー……それは辞めました」
「そうなのか。じゃあ、今は何を?」
一つ地雷を踏み抜いたと思ったら、すさかず次を踏みに来た。口を挟むべきか悩む佑馬を尻目に、樹は淡々と答える。
「特に何もしていません」
「専業主夫ということか」
「ただの無職ですよ。そんないいものじゃないです」
「そんなことはないさ。樹くんが佑馬と結婚していないのは、ただそういう制度がないからだろう。世間がどう言おうと、専業主夫で間違いない」
父が佑馬に顔を向けた。老いて乾いた唇の端が吊り上がる。
「佑馬。しっかり働けよ。それが男の甲斐性だぞ」
「お父さん、樹くんも男の子よ」
「ん? そうか。そうだな。まあ、何だ。とにかく上手くやってくれ」
グダグダな流れで会話が〆られた。樹は特に何も付け足すことなく、テーブルの上の刺身に箸を伸ばす。何を考えているのか。佑馬はその心理を読み解こうと樹の横顔を凝視するが、食卓が撮影されていることを思い出し、不自然な映像を残すことを避けて食事を再開する。
やがて料理が片付き、会食はお開きになった。テーブルを片付けてから、迎え火を焚くため庭に向かう。父が庭に続くガラス戸を開けるなり、ハルがどこかから颯爽と現れて外に飛び出し、その反応の良さに佑馬は苦笑いを浮かべた。
ハルが落ち着きなく庭を駆け回る中、父がおがらで小さな井桁を組む。蒸した真夏の熱気に包まれ、佑馬のシャツの下にじわりと汗が浮かんだ。縁側に座って都会よりずっと星の多い夜空に目を向けると、山田の構えているカメラに映らないよう、茅野が背後から声をかけてきた。
「迎え火はずっと焚かれているんですか?」
「そうですね。僕が子どもの頃からずっと焚いています」
「風習を大事にするご家庭なんですね」
「今さら止めるに止められないっていうのも、あると思いますよ」
父が井桁の中央に新聞紙を入れ、ライターで火をつけた。灰色の煙が天に吸い込まれていく光景を、ハル除く春日家と樹が縁側に並んで座って眺める。あの世からやってくる先祖への道標を見つめながら、右端の母が独り言をこぼした。
「お義父さんとお義母さんが生きていたら、樹くんを見て何て言ったかしら」
帰ってくる先祖の中で唯一面識のある、佑馬の祖父母の話。母の左隣で父が腕を組んだ。
「二人とも、佑馬のことを知る前に逝ったからなあ」
「でも、じいちゃんもばあちゃんも、そんなことでいちいちどうこう言う人じゃないと思うよ」
「そうだな。俺もそう思う」
佑馬の言葉に、父が同意を返した。そして遠い目で寂しそうに呟く。
「生きているうちに、見せたかったな」
おがらで組んだ井桁が、カランと音を立てて崩れた。鎮火の気配。母が佑馬に声をかける。
「今、見せてあげれば?」
母が左手で父の右手を握り、佑馬に見せつけるように軽く持ち上げた。
「こうやって、僕たち付き合ってますって」
父が気恥ずかしそうに顎を引く。佑馬は自分の左隣に座る樹を見やり、その右手の位置を確認した。そして縁側の板に置かれた、節くれ立った男らしい指の上に、自分の左手を重ねる。
汗ばんだ肌を通して、樹の体温が伝わってきた。心音がわずかに早まり、肌を重ねる行為が久しぶりだったことに思い至る。同じ部屋に住んで生活を共にしていたのに、長らく手と手を触れ合わせることすら無かった。
左手で樹の右手を絡めとり、縁側から立ち上がる。樹はその動きに逆らわず、佑馬の隣に立った。そのまま佑馬が繋いだ手を持ち上げても、押すも引くもなく、されるがまま右手を高く上げる。
月と星の灯りが、繋いだ手をぼんやりと照らす。先祖に、あの世に、この世界に見せつける。自分がそうであることを。自分たちがそうであることを。
「――もういいっしょ」
樹が右手を引いた。絡まっていた指がほどけ、体温が遠くなる。振り返ると、縁側の父と母は手を繋いだまま、佑馬たちを見て幸せそうに笑っていた。
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